第2話 幽霊屋敷と宇宙猫

 ユナイティが9人いることしか知らなくとも、「海野マヲリ」というアイドルがセンターを務めていることくらいは、アイドルに疎いぼくでも知っている。

 とはいえ、沢山いるアイドルの中から海野マヲリを選んでみよと問題を出されたら正答できる自信はない。それくらい、似通った顔を並べたアイドルグループだった。

 姉貴が熱烈に追いかけ続けていたインターネットのオーディション番組。その、ファイナリストだけで結成されたガールズグループ。ファン達がありったけの血と涙と投票権を駆使して選び抜いた、選ばれしガールズ、ユナイティ。……あれから何年だ。3年か。団結ユナイトが解けるのは早い。



 ユナイティのアミナが引退したショックでロボットみたいになってしまった姉貴は放置しておいて、僕は姉貴の代わりに母さんと二人で皿を洗っている。体にすっかり染みついた動きを繰り返しながら、次の動画について考えている。

 タイトルはどうしよう。クリックしてもらうためには第一印象が大事だ。サムネイルには赤字で「幽霊屋敷探索!」って入れようかな。怖い感じの字体フォントを使おう。ばーっと目立つ感じに荒いモザイクを入れて……。興味を誘うように。


 そこへ、父さんが横槍を入れてくる。


「ミナト、テスト勉強はどうなんだ?」

「もちろん、着々とやってるよ」

「ならいい」


 儀式みたいな問答を終えて、ぼくは音もなくため息をつく。

 父さん。学校の勉強のことなんか本当はどうでもいいくせに。ぼくのことなんかどうでもいいくせに。成績だの、テストだの、イベントごとのたびに心配するふりなんかするなよな。うざいよ。

 ぼくはぼくでうまくやってんだよ。「今」みたいにさ。


 人数分の皿を戸棚にしまい、バラエティのBGMがうるさいリビングを離れる。手を拭きながら、母さんがテレビに吸い寄せられていく。姉貴はまだ倒れてるし、父さんは仏像みたいに動かない。

 ま、こんなもんだよな。

「……勉強してくる」

 誰も聞かない呟きを残して、ぼくは自分の部屋に籠城を決め込むことにする。


 

〜〜〜〜〜


 日曜日はあいにくの雨だったけれど、ぼくの中に雨天中止という言葉はない。雰囲気が出て、いいじゃないか。

 準備を整えて階下へ降りると、姉貴がテレビ画面をジャックしてユナイティのライブ映像を垂れ流していた。カーテンを締め切り、ペンライトを持ち出し、ハチマキなんか巻いちゃって、それでもって号泣しているのだ。アミナ──脱退していったメンバーが誰で、今いるメンバーが誰なのか全く区別がつかなかったけど、真っ白に脱色した髪を振り乱して歌っているセンターのマヲリだけはぼくにもわかった。マヲリはまだ居るんだっけ?

 ていうか、ショックなのはわかるけど、ちょっと引くわ。


 ぼくは姉貴に声をかけずに家を出た。



 家から歩いて20分くらいのところに、幽霊屋敷がある。歩いて20分?遠くない?と思うそこの読者諸君。実は小学校時代の通学路沿いにあるのだよ。ぼくは6年間、この道を歩いていたのさ。

 そうそう、くだんの幽霊屋敷。雑草はボーボーだし、生えてるなんかの木は石垣からはみ出ちゃってるし、郵便受けはいろんな紙でパンパンに膨れていた。管理なんかされちゃいない。

 以前ドアを開けようとした時同様、というか、あの時のまんまに思えた。ボロ屋敷がさらにボロくなっても違いなんかわからない。だってボロいから。

 ぼくはスマホの電池の残量をチェックする。そして、傘を肩と頬で挟んだまま、自撮り棒の先にスマホを取り付けた。音声は後撮りにしようかな。いろんな音が入るだろうし。


 そう思ってなんとなしに一歩一歩踏み出していく、と。

 敷地を跨いだあたりで、タバコの苦い香りが鼻を掠めた。


「おうい、そこの少年」



 ぼくは目だけを動かしてそちらを見た。崩れかかった軒の下に、女が一人、ヤンキーみたいに座り込んでタバコを喫っていた。

 墨で染めたみたいに真っ黒な髪に、淡いピンクのメガネをかけた女だった。黒い革のジャンパーを寒そうに着ていて、そのくせ秋の季節に合わないデニムのミニスカートを履いていて──真っ白な膝の間からチラッとピンクのレースが見えていた。

 ぼくはサッと目を逸らした。やばいものを見た気がした。見たいけど見てはいけない気がした。もう一回見たら終わる。色んな意味で終わる。姉貴のパンツとはわけが違うんだ。


「少年。ここは私有地だ」


 女は立ち上がってタバコを踏み消した。


「何をしにきたのかな」


「さっ」

 撮影を、と言いかけて、ぼくは持っている自撮り棒を背中に隠した。馬鹿正直に言って警察に突き出されるのも困る。


「……肝試しを、強要されていて。証拠に動画撮ってこいって」

「ふうん」


 女は興味なさそうに僕の顔を見た。ぼくも女の顔を見た。女は、化粧は濃いけどおそろしく綺麗な顔をしていて、どこを見ていいか困るレベルだった。じっと見つめて、見とれている、だなんて思われたくなかった。

 かと言って、デニムのミニスカートを見るのも躊躇われるし、革ジャンの下のタンクトップみたいなやつを見るのも気が引けたし、だから彼女のメガネを見つめるしかなかった。

 ぼくは、弱い男だ。


「あたし、この家に住み着くことにした宇宙人」

「はい」

 返事をしてから、僕は目を丸くした。

「……はい?」

「宇宙人。名前はネコ。ネコさんと呼んで」



……読者諸君。スペイス・キャットというネットミームをご存知だろうか?

 ご存知ない方は検索してほしい。愛らしいネコちゃんが見れる。



 というか、宇宙猫って、それはこっちのセリフだ。こっちが宇宙猫顔だよ。ぽかーん。

「さっき、私有地って言いませんでした?」

「言った。あたしが相続した」

「じゃ、宇宙人じゃないじゃん!」


 女は舌打ちをした。耳元でおびただしい数のピアスとかチェーンとかが揺れた。

「なんだこいつ。見た目以上に賢いな」

「聞こえてますよお姉さん!」

「ネコさん。ネコさんだってば」


 女は繰り返し言ったが無視した。面倒臭いからお姉さんと呼ぶことにしよう。


「お姉さんは、ここの家の人なんですよね。じゃあ……住んでるんですか?この幽霊屋敷に」

「住んではいないかな。ここは仮の宿、秘密基地。安全地帯」

「はぁ」

「だから、たとえ肝試しだろうがなんだろうが、立ち入り禁止。入ったら警察呼ぶ」

「ええ、そんな。じゃあどうすれば……」


 困った。幽霊屋敷ネタが使えないとなれば次の動画のネタがない。


 お姉さんはスマホをいじりながら、新しいタバコを咥えて火を点けている。器用だ。

「ていうか少年。本当のこと言ったらどうなの」

「えっ」

「肝試しなんて嘘。きみ、何かの動画を撮りにきたんでしょ」

「え、っ、えっえっ、えっ」

「おおかたワイチューバーってとこ?」

 なんて鋭いんだこのお姉さん。ぼくは隠すのを諦めた。

「なんでわかるんですか!?」

「わかるよ」


 お姉さんは大きく息をついて、煙を吐き出した。


「そういう目をしてたから」

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