不死人、人間、吸血鬼、そして――神



 ルリはぐったりとベッドに横になっていた。

 ルリはぐったりとしつつ視線を動かすと、アルジェントがテーブルと椅子を用意し、パイと紅茶を用意していた。

「ルリ様、お茶にいたしましょう」

「あ゛――うん……」

「ルリ様? もう一度、ルリ様に先ほどの内容を――」

「ぎゃー!! やめろ!! もう今日は聞きたくない!!」

 ルリは起き上がって耳を塞ぎながら椅子に滑り込むように座って、パイと紅茶を口にする。

 パイはリンゴのパイだった。


――お母さんの作ったリンゴのパイ食べたいなぁ――


 ルリの目からじわりと涙がにじむ。

 ルリは慌てて目を拭った。


――ああ、本当ダメ、帰りたいとかそれやっちゃったらお母さん達が危険にさらされるし、色々と問題が起きる、我慢しないと――


 そう思って必死に「実家に帰りたい、お母さん達に会いたい」と言う思いに蓋をしようとするが、一旦零れてしまった思いにはそうそう蓋などできなかった。

 目からぼろぼろと涙が零れる。

「ルリ様」

 アルジェントがハンカチを差し出してきた。

「……どうも゛……」

「――すみません、少しだけ用ができました」

 ルリがハンカチを受け取ると、アルジェントはそう言って部屋を出て行った。

「……う゛う゛……」

 ルリはハンカチで顔を覆いながら、自分一人だけになった部屋で泣いた。



 アルジェントは自室に戻り、鍵を閉めた。

 ぎりっと唇を強く噛む。

 悔しくて、歯がゆくてたまらなかったのだ。


 もし、自分が世話役でなければ。

 もし、ルリが自分を愛してくれていたなら。


 自分はあの時、泣くルリを抱きしめて慰めることができた。

 彼女の悲しみに寄り添ってあげることができた。


 けれども、できない。

 アルジェントはルリの世話役。

 アルジェントの愛をルリは知らないし、ルリはアルジェントの事を愛していない。


 だから、抱きしめられない、慰めてあげられない、寄り添ってあげることができない、許されない。


――ああ、ルリ様、どうか、どうか私を愛してください、そうすれば――

――貴方が悲しんだ時、貴方を抱き、慰めることができるのに――


 アルジェントは今までで最も、自分の立場だからできないということに、苦悩した。



 ルリは、一人、部屋で涙を流していた。

 アルジェントからもらったハンカチはもうぐしょぐしょで役に立たなくなっていた。

 ルリは自分が「普通」とかけ離れてしまっている事が辛かった。


 あの日、あの時、事故に遭わなければきっと自分は「普通の人間」のままだったはず。

 そうしたら、今でも家族と一緒に過ごして友達と一緒に大学に行って、遊んだり、色んな事ができただろうと。


 だけれども、今は「普通」ではなくなったルリは、友達はもちろん、家族に会う事も連絡を取ることすらできない、許されていないのだ。

 それが今は「最善」だと言われている。

 今の自分と関わることは危険な行為なのも理解しているし、自分の身も危なくなる。

 自分の身が危なくなれば、確実に種族間基、国家間レベルの問題になるのだ。

 そうなった時、家族たちの身の安全がどうなるか分からない。


――辛い、寂しい、哀しい、恋しい、会いたい、でも、我慢しないと――


「どうしたの? ルリちゃん」


 声に顔を上げれば、いつもと少し違う表情、けれども優しい声だった。

 部屋に姿を現したグリースがルリに近づいてきて、隣に腰を下ろした。

「大丈夫……じゃ、無いよね。そうだよね、会いたいよね」

 グリースはルリを抱きしめ、頭を撫でた。

「本当、ごめんね。俺達も色々やってるんだけど……ルリちゃんの望みを叶えてあげれなくてごめんね……」

 涙が止まらなかった。


 最初はただの「この世界で初めての不死人の女性」というだけだったはず。

 なのに、今はそれだけですまない状態になっていた。


 何で自分は「異質」すぎる存在になってしまったんだろう。

 何でこんな苦しいことばかり神様は強いるのだろう。


 何故、こんなことになってしまっているんだろう。

 家族との連絡も出来ない状態になった、連絡を取れば、何かが起きるから。


 何故?


 ルリが他の不死人の「女性」とは異なるから。

 その「異なる」が故にルリはこの状態に陥っているのだ。


 だが、それだけが原因ではない。


 今も自分がいた国には「人間だけの世界、人間が支配する世界、神に愛された人間が支配する世界」を作るという考えを捨てられない人間が多い事も原因だ。


「……ねぇ、グリース……」

「どうしたんだい、ルリちゃん」

 ルリはふと沸き上がった疑問を口にした。

「神様は、いるのかな。いるとしたら、神様は一体だれを愛しているの? 人間? 吸血鬼? それとも――不死人? それとも誰も愛していなくて、見捨ててるの?」

 ルリの疑問にグリースが口を閉ざした。

「……グリース?」

 いつもと違う反応に、ルリはグリースを見る。

 グリースは重い表情をしていたが、ルリの声に反応していつもの明るい表情になった。「あー……はは、悪い!! ちょっと予想外の質問だったからさ! うーんどうだろうなぁ、俺が神様だったら、お前らいい加減にしろって吸血鬼も人間もボコるけどなぁ」

「……そっかぁ……」

「まぁ、実際両方を滅びる寸前まで追い込んだ俺が言ってもなぁ。つーか俺も知りたいくらいだよ、神様がいるんなら何で俺の家族と恋人達、集落で暮らしてた皆を見殺しにしたんだってな」

「あ……うん、ごめん」

 グリースの言葉に、ルリはうつむいた。


 その通りだ、グリースは育ての親と血は繋がらないが愛してくれた兄弟、二人の恋人達、そしてグリースを受け入れてくれた集落の人間、吸血鬼、吸血鬼と人間のハーフの者、皆殺されたのだ。

 グリースも殺されて、そして生き返った――否不死人になった。


 神がいるなら、どうしてこんなひどい事を放置したのだろう、とルリは思った。


 種族が違えど争うことなく、愛し合い、慈しみ合った者達が、それを憎む者達に殺された。

 確かにあったはずの幸せは、一瞬にして憎しみの炎で焼かれてしまった。


 実際神はいるのかもしれない、誰も姿を見た事はないけれども。

 ルリの国では今でも地域で異なるが、その地域の形で神様を祀っている。

 見たことは無いが、神の加護を受けた物があったことは知っている、どのような物だったか本等に記載されている。

 吸血鬼は神の加護を受けた物等苦手なものが多い、その代わり恐ろしい程の力を持っている。



 神がいるなら、何故、人間の発展を悉く遅れるような事態になったのか、神のもたらした言葉というのは本当に「神の言葉」だったのか、「神の言葉」という名前の幻聴――統合失調症などを患っていた者が書いた出鱈目だったのではないか?

 男と女が惹かれ合うようにしたというなら、何故男と男、女と女、誰も愛せない者等、そうではない者達がいるのだろう?

 何故人間は「神の敵」とする吸血鬼が支配する国がこのように発展したのだろう。

 自然を破壊するような発展しかできなかった人間の国と違い、自然に忌避されるはずの吸血鬼が自然と共存するように発展できたのだろう?

 そして――


 不死人は何のために現れたのだろうか?



「ルリちゃん」

 ぽんと頭を撫でられる感触に、ルリは顔を上げると、グリースが微笑んでいた。

「考えるとキリないよ、誰もわかりゃしないんだ、答え何てないんだから」

「……そう、だよね」

「誰も答えなんてわかりゃしない、神の『言葉』とされた言葉が果たして本当にそうだったかなんて、わかりゃしない、何せ俺が産まれる前の話だしな、それに神は男と女を作った――ってされてるけど、じゃあ両性の俺はなんなの? って話」

「あ……」

「まぁ、おかげで実の親にひでぇ扱いされたけどなぁ。でもそれから逃げたおかげで俺は本当の『家族』と出会えた、俺が両性であっても俺として扱ってくれる両親に、兄弟にな」

「……」

「ルリちゃんの家族は今も、不死人になってヴァイスの奥方にされたルリちゃんの事を心配している、俺が何とかこっそり持ってきてる手紙で分かるだろう?」

「……うん」

「いつかちゃんと会って話ができるよう、頑張るから、一人で抱え込みすぎないでくれ、な?」

 グリースの言葉にルリはこくりと頷いた。



 ルリが落ち着いたのを確認して、部屋を後にし、グリースは隠れ家に戻ってため息をついた。

「あ゛――……焦った、あんな質問されるとは思ってなかったよマジで……」

 グリースはふぅと息を吐く。

「……神は人間も吸血鬼も見放してて、不死人――特に俺とルリちゃんしか愛していないなんて誰が言えるか、こんな言葉。他所から聞いたら妄言どころじゃねぇしな……まぁ、ありがたいのは、神がそれを俺以外に言わないって事くらいか……ルリちゃんにまで言い出したらマジでアイツの考え台無しにしてやる」

 グリースはそう言ってベッドに体を沈めた。

「……」


「あ――本当、人間と神はそっくりだぜ、我儘で身勝手で、自分達が正しいと思い込んでやがる」


 グリースは忌々し気に吐き捨てると目を閉じた。

 これ以上嫌なことを考えたくなかったから。





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