頬へのキスと違和感 ~お前を傷つける者には罰を~



 ルリは頬にキスをされながらぼんやりと考えた、何故グリースには安心するんだろう、と。


『ああ、不死人の女王、そして母となる子よ。当然だ、その子は不死人の王なのだから』


「……?」

 何か声が聞こえた、夢で聞こえた声と全く同じ声。

「どうしたのルリちゃん?」

「んー……なんでもない」

 色々あって気が付かない内に精神的に疲れて幻聴が聞こえたのだろうと、ルリは決めつけてグリースに対して嘘をついた。

「……そっか」

 グリースは深く尋ねることをせず、優しくルリの頬にキスをしていた。


 扉の開く音がした。


「――グリース貴様何をしている!!」

 怒鳴り声に、ルリがびくりと跳ねあがる、自分に対しての怒鳴り声ではないのに。

「何って、ルリちゃんのほっぺにちゅーしてただけだけど?」

 グリースはルリを抱きしめて、再度頬にキスをした。

 ルリは硬直していた、グリースの行動にではない、先ほど怒鳴り声を発した声の主から発せられる怒りのオーラに硬直しているのだ。

「……グリース今すぐルリ様から離れろ、さもなくば貴様のその顔を氷漬けにして粉々に砕いてやる」

「わー、ねぇルリちゃん聞いたぁ今の? 本当男女問わず嫉妬する奴ってアレだよねぇ」

 グリースは慈悲深い笑みから小ばかにするような笑みに表情を変え、ルリをぎゅうと抱きしめる。

「――離れろ!!」

 声の主――アルジェントの怒声にルリは再びびくりと硬直する。

「お前さぁ、俺嫌いなの分かるけど、自分が仕えているルリちゃんびびらせてどうするんよ? あと、すっげぇ顔、そうだなぁ好きな人と嫌いな奴が一緒にいるのに怒鳴り込んでいくような奴の顔みたいだぜ?」

「殺す!!」

 部屋の空気が一気に冷え込んだ、寒さには多少慣れているルリだが、急に寒くなることに関しては耐性はそこまで強くない、寒さに体を抱きしめ震えさせる。

 グリースはルリにベッドの毛布を肩にかけ、ルリから距離を取った。


 距離を取った途端グリースに無数の氷でできた刃が牙をむいた。

 グリースはそれらを避け、窓に寄りかかる。


「じゃ、ルリちゃん、またね!!」

 飄々とした笑顔でルリにそう言うと、グリースは姿を消した。

「……」

 ルリは肩にかけられた毛布を掴みながら、呆然とグリースが消えるのを見つめていた。

 まだ部屋の空気は寒い、どんどん寒くなっている。

 ルリは何故か温かい毛布にくるまって、口から白い吐息を吐き出した。

「……さ、寒い……」

 ルリは声を震わせながらそう呟いた。



 アルジェントはもっと早く来るべきだったと自分の行動の遅さを責めた。


――ああ、何故ルリ様はアレに大人しく触られているのです、頬に口づけをされてるのに何故抵抗しないのです!!――


 ルリから離れたのに合わせて放った氷の刃は全てよけられた、主以外では避けられない術のはずなのにあの忌々しい不死人はいとも簡単に避けて、そして逃亡した。


――殺す、殺す、殺す、殺す!!――


 アルジェントの頭の中が、グリースへの憎悪と殺意で埋め尽くされる。

 アルジェントの怒りに魔力が反応しているのか、部屋の気温が下がっていくが、寒さへの耐性が強すぎるアルジェントはそれに気づかない。

「……さ、寒い……」

 ルリの声で、アルジェントは我に返った。

 アルジェントは部屋の温度がルリの今の恰好では寒すぎる温度にまで低下しているのにようやく気付く。

 アルジェントは温度を下げる術を解除する、すると特殊な素材でできている部屋であるためか、温度がゆっくりと上がっていき、元のちょうどよい温度になった。

「ルリ様、申し訳ございません」

 アルジェントは表情をいつもの表情に戻し、ベッドに腰をかけていたルリの前で膝をつき首を垂れる。

「次から気を付けてね。ふぅやっと温かくなった……」

 ルリはふうと息を吐いて、毛布にくるまるのを止めたようだ。

「アルジェント、そうやって頭下げなくていいよ、ね?」

 ルリはいつもの調子で声をかけてくれた。

 アルジェントが顔を上げると、困ったような笑みを浮かべたルリの顔が目に映った。


――ああ、今日も愛らしい、愛おしい――


 アルジェントの目には愛しの人の愛らしい姿が映る。


――ああ、今日も美しい黒い髪、美しい瑠璃色の目、可愛らしい顔、柔らかそうな体、柔らかそうな頬……頬……――


「……」

 アルジェントは忌々しいことを思い出して、無言になる。

「アルジェント?」

 無言になったアルジェントにルリが声をかけてきた。

 アルジェントはタオルと、消毒液を取り出した。

 タオルを消毒液で濡らす。

 そして濡れた部分で、ルリが先ほどグリースにキスされていた頬をごしごしと吹き始めた。

「ちょ、ちょっとどうしたのアルジェント?!」

 ルリは何故これをされているのか理解できてないらしい、悲しいことに。

 アルジェントはグリースにルリが汚された気がして、ルリの頬を拭く力を強めた。



「あいだだだだ!! 沁みる!! 沁みる!! アルジェント止めて、沁みるってば!!」

 ルリは引きはがそうとしたが、アルジェントの力の方が強かった。

 かなりこすられて、頬がひりひりして、タオルを濡らした液体――消毒液の匂いがしたからおそらく消毒液だろう、それが沁みるのだ。

「あ゛――!! 誰か助けていやマジで!! 誰かアルジェント止めてー!!」

 ルリはたまらず叫んだ。

 ルリの叫びに反応するように、黒い床から闇が形を作りぬるりと人の形になる。


 真祖が棺にいる時間帯なのに姿を見せた。


 ルリは目を丸くして真祖を見る。

「――アルジェント、止めぬか」

 真祖の声に、アルジェントはルリの頬を消毒液で濡らしたタオルでこするのを止めた。

 ルリはひりひりする頬を手鏡を使ってみる、赤くなっている。

「もう、何で私の頬ここまでこするのさぁ、まぁ不死人だから少しすれば戻るかもしれないけど」

 ルリは不満そうに言う。

「アルジェント、何故そのような事をした?」

 真祖がアルジェントに問う。

「……グリースがルリ様の頬に何度も口づけを」

 アルジェントは主である真祖の問いかけに答える。

「ルリ、それは本当か?」

「え? うん、頬にキスされたよ。それがどうしたの?」

「……」

 ルリは真祖の方を見て答える、真祖が少し眉をひそめたように見えた。

 真祖が無言で近づいてくる。

 ルリは何だろうと、少しだけ身構える。

 真祖はルリを抱き上げる。

「⁇」

 ルリが混乱していると、真祖がルリの頬にキスをし始めた。

「んー……」

 ルリは真祖の口づけを頬にされながら、考える。


――んー……なーんか、やっぱりグリースとちょっと違うなぁ、唇がちょっと冷たいからかなぁ?――

――それとも二人の立場とか?――


 ルリはグリースと真祖の頬への口づけをされた時の感触や自分の感情の状態の差異の理由を考えるが、まったくわからなかった。

 考えている間に、真祖のルリの頬への口づけが終わった。

「アルジェント、これでよいか?」

「――勿論です」

 アルジェントは真祖に頭を垂れた。

 頬への口づけを終えた真祖はルリをベッドに座らせ、首筋を撫でてから、髪を撫でる。

「……少し髪が伸びているな」

「あ、やっぱり、じゃあ切ろうかな。頭重いの苦手だし」

「……私としては伸ばして欲しいのだがな」

「だって髪の毛洗うの面倒……」

「髪ならば私が洗います、そして乾かします、整えます!!」

 扉を開けてヴィオレが入ってきた。

「げ」

 ルリは嫌そうな顔をする。


 ルリは髪を伸ばすのが面倒な理由があった。

 髪の毛を昔は一時期伸ばしていた、割と長かった。

 友人たちが好き勝手に髪の毛を弄って遊ぶのは我慢できた。

 だがいちゃもんをつけてくる奴らがいた、男女問わず。

 むかついたのでバッサリ髪を切ったのだ。

 髪を切った途端、いちゃもんをつけてくる連中は何故か憂鬱な顔になっていちゃもんをつけてこなくなってきた。

 友人たちが「ざまあみろ」とか言ってた理由が未だに分からないが、それ以来、髪はあまり伸ばさない様にしていた。

 二十歳のお祝いの式が故郷ではあったので、その時のために一時的に髪の毛を長くしたことはある。

 式が終わったらバッサリ切ったが。


「……ルリ、何故髪を伸ばすのを嫌う、面倒だからだけではないように見えるぞ?」

 真祖の問いかけに、ルリは少し言いづらそうに口を開いた。

「……その、髪伸ばすと色々いってくる奴いたの思い出してちょっと嫌になるので……」

「ヴィオレ、そ奴らを探し出して死なない程度に痛めつけてこい。死なない程度の拷問ならお前の得意分野であろう?」

 ルリが理由を言うと、真祖は即座にヴィオレ命令を下し、ヴィオレは首を垂れる。

「畏まりました、ではルリ様を侮辱した罪償わせてきます」

「ちょ、なんでそうなるのー?!」

 ルリは慌てて二人を止める。

「アルジェント、二人を止めて!!」

「真祖様、そのような輩、生きてる事自体がもはや罪です。殺しましょう」

「だー!! 余計性質が悪くなってるー!!」

 ルリは頭を抱えた。

 その日、ルリは三人を説得するのにかなり苦労する羽目になった。


 最終的に、ルリが髪を伸ばす代わりに、何もしないということで落ち着いた。


 ルリは少しばかりはめられたような気もしなくもなかったが、あの三人ならやりかねないというのが理解できているので、無理やり自分を納得させた。





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