帰りたい、家族に会いたい!!



 グリースが帰った後、真祖はヴィオレをアルジェントを呼び、ルリの部屋の掃除と、ルリを湯浴みさせるように命令した。

 風呂は特に、ルリの体を丹念に洗うようにヴィオレに命令した。

 ヴィオレは真祖に命令されるがままにルリの体を丹念に洗った。

 ルリは若干困惑した状態のまま全身を洗われた。

 全身からグリースの残した香りとは違う花の香りが漂っていた。

「……」

 嫌いな香りではないので我慢した。

 風呂から上がり、体を拭くと、下着を身に着けると、服を着せられた。

「……」

 ルリはため息をついて、部屋に戻る。

 部屋に戻ると、あの甘い香りは消えていた。

「奥方様、グリースの甘言にはお気をつけください」

 ヴィオレが険しい表情でルリに話しかけてきた。

「あれは吸血鬼と人間の敵です、二千年前の戦争でもっとも被害を出したのはグリースなのですから」

「……」


――でも私には優しかった――


 ルリはそう言いたかったが言葉を飲み込んだ。

 言ってはならない言葉だと、頭があまり良くない自分でもわかった事だった。

「……」

 ルリはベッドに腰をかけ、深いため息をつく。

 そして窓の外を見る、青い空が見えた。

 ルリは窓に近寄り、ガラスとは違う透明な板越しに外を見る。


 鳥達が自由に空を飛び回っている。


 一週間、自分はこの部屋から出るのは風呂に入る時くらいだ、でも歩いてではない、魔術で浴室へと転移させられいる。

 別に鎖で足を繋がれている訳ではない、だが、自分だけになると部屋に鍵がかかる。

 鍵がどうやってかかっているのか分からない。

 だが、仮に鍵が掛かってなくても自分がこの部屋から出ることはできない。


 外に出たくないのか、と問われたら外へ出たい。


 我儘を言えば買い物だってしたい、カフェで友達とまた話をしながらのんびりしたい。


 ルリがそれらを望んだところで無理なのはわかっていた。

 一度外に出たいと言ったところ、ここに居る間に聞かされたことを思い返す。

 ルリの不死人特有のフェロモンは今抑えるのがかなり難しく、ヴィオレもアルジェントも薬を服用してそのフェロモンを無効化するのが手一杯らしい。

 その薬を全ての国民に配布するというには数がどうあがいても足りない。

 だから、今城の外に出たり、ヴィオレやアルジェントや真祖以外の人物に会うとほとんどの場合自分に襲い掛かってくると言われたのだ。

 人間ならま性的衝動が暴走して襲い掛かり、吸血鬼なら吸血本能も暴走して襲い掛かってくると言われた。


 確実に、負傷者、悪くて死者が出ると言われたのだ。


 そこまで言われると、出たくても出られない気分になった。

 会いたくても友達には会えない、実家に帰った時家族以外の人物と遭遇したら自分は襲われるし、今自分の立場から下手に実家に帰った時にそれをかぎつける輩が居ないとは限らない。


 ルリは外を見て深いため息をついた。



 ヴィオレは外を、空を自由に飛ぶ鳥と羨ましそうに見つめているルリを見て心が痛くなった。

 一週間、ほぼこの部屋から出ることなく過ごしているのだ。

 どれだけ室内で気を紛らわす事を提案しても気はまぎれないだろう。

 偶に、世話役である自分達がいない一人だけの時間を作っても、大して気分転換になっていないも分かった。

 その上、先ほど何時か姿を現すのではないかと思っていたグリースが姿を見せたと、主から言われた。

 グリースの甘言に手を取りそうになっていたと聞いたので、ルリの精神状態はあまり良い物ではないのがそれでも分かった。

 何とか気分転換になるものはないかとヴィオレは考えていた。


「ヴィオレ様」

 姿を見せていなかったアルジェントが部屋に戻ってきた。

「どうしたのです、アルジェント」

「真祖様からご許可が取れました、城の庭等であれば良いとの事です」

「……本当ですね?」

「はい、真祖様から許可をいただいてます」

 アルジェントの言葉に、ヴィオレは安堵の息を吐き出した。


――これでルリ様の気が幾分かはれてくれればよいのですが――


 ヴィオレはそう思いながらルリに近づいていった。



 ルリは外には出れないという事実に、憂鬱になった為、外を見るのを止めようと窓から離れると、ヴィオレが近づいてきた。

「……ヴィオレ、どうしたの?」

「ルリ様、少し気分転換に参りませんか?」

「気分転換って……何処にですか?」

「アルジェント」

 ヴィオレがアルジェントを呼ぶと、彼はいつもの様子でルリ達に近づいた。

 足元に魔術陣が描かれ、アルジェントにいきなり抱きかかえられる、お姫様抱っこという感じの抱き方で。

「え? え?」

 ルリは突然の事に着いていけず混乱した。


 光で包まれて光が消えたと思ったら、締め切られた部屋ではなく、床だった場所には植物が、草があった。

 黒い天井があった上には青空と太陽が見えた。

「そ、と?」

「城の敷地内にある庭園です、今はルリ様と私達しかおりません」

 アルジェントはそう言うと何処からか靴を取り出して、ルリに履かせ、ルリを地面に立たせる。

 ルリは突然の事に頭がついてきてないのか、ぼんやりとしていたが、何かに気づいたのかヴィオレを見た。

「ヴィオレ、大丈夫ですか?!」

 ヴィオレは吸血鬼、太陽の光には弱い、有害のはずだとルリは彼女を見た。

「ご安心を私は吸血鬼が苦手な物のほとんどが平気ですから」

「あ……そうなんですか……良かった」

「でなくてはルリ様の世話役そして護衛はできませんから」

 ルリはヴィオレをじっと見る、本当に何も感じていないようだ。

「……」

 ルリは植物にちょんと触れる、本物だ。

 植物から生気を吸って枯らしてしまう吸血鬼の城に、こんな見事な庭園があるとはルリは思わなかった。

 見たことのない植物もある。

 この庭園は自然をイメージしているように感じられた。

 草と土の感触を靴越しに踏みしめながら、久しぶりの外をルリは体感する。


 部屋の空気とは違う、どこか青々としてひんやりとした空気が心地よかった。

 生き物がいるのを感じた。

 視界を綺麗な色の蝶々が横切る。


 一週間ぶりの外だと実感ができた。

 城の敷地内だから、城から出てはいないのだから本当の意味では外ではないかもしれない。

 だが、部屋の中にほぼ監禁生活を強いられてきたルリにとっては十分すぎる「外」の空間だった。


 歩いていると、それなりの高さと太さのある木と対面する。

 ルリは樹木独特の感触を楽しむように木の表面を撫でた。

「……」

 ふと、昔の事を思い出した。


 大学に入る前に亡くなった自分の父親が、元気だった頃、祖父母以外の家族で自然公園や山へ出かけたのを思い出した。

 自然好きの父親は、ルリも自然が好きだと分かると連れまわした。

 幼い頃のルリにとっては結構有難迷惑だった。

 父親に振り回されると疲れるのだ、休日は自由にしたい年ごろのルリにとっては若干父親は鬱陶しい存在だった。

 そんな父親は高校に入ると、とある厄介な病気だと発覚し、体調を崩した。

 ルリは兄や母親と一緒に面倒を見ることになった。

 既に結婚した姉も偶に顔を出し、父親の状態を不安がっていた。

 父親は何とか手術をした、成功したはずだったが、容体が急変しそのまま亡くなった。


 父親が死んでからは自然公園にも山にも家族で行かなくなった。

 だが、ルリはふらりと近場の自然公園に向かい、散策するようになった。

 まだ、父親がそこにいるようなして。


 母親は、父親の死から立ち直ったように見えたが、自然公園に行くのは辛いらしく行くことは無かった。

 父親より先に亡くなっていた祖父が死んでから家に引きこもりがちになった祖母はついに歩くのも一人ではできなくなった。

 兄は何を考えているのか今も分からない、でも家事をしたり祖母の世話をしていた。


 ルリの頭の中に浮かんだのは、家族団らんの実家の光景。


 ぼろりと涙がルリの瑠璃色の目から零れ落ちた。

 ルリは涙を止めようと思ったが、涙は止まってくれない。


――悲しい、寂しい、会いたい、帰りたい――


 ルリはその場に蹲った。

「ルリ様?!」

「ルリ様どうなさいました?」

 ヴィオレとアルジェントが駆け寄ってきた。

「……たい」

「どうなさいましたか?」

「……」


「帰りたい……!! 家に、私の家に帰りたい!! 此処は私の家じゃない!! お母さん達に会いたい……会いたいよ……!!」


 一週間の監禁生活、自分の意思を無視される形で仲の良い家族と引き離されたことに、ルリは耐えきれなくなったのだ。

 グリースと会ってしまった事もある。

 そしてほんのわずかな「外」との接触が今までルリが心の奥に押さえ付けていた感情を吹き出させた。


――何で、私なの?――

――お母さん達に会いたい、お母さん達と一緒に家で過ごしたい!!――

――元の生活に戻りたい!!――


 他者から見たらささやかな望みかもしれない、だがルリの立場や不死人という存在になってしまったという事実が、そんな望みですら叶えるのが難しい願いに変えてしまっていた。





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