第4章 初めて会うクラスメート

 透の言った通り、華たちは三十分後にはその「知り合い」の家にいた。そこには華が今まで見たこともないような光景が広がっていた。

 時刻は午後四時をまわったばかりだというのに、部屋の窓には分厚いカーテンがかかり、代わりにLEDの照明が周囲を照らしている。部屋の中は整頓されている……というより、ベッドや机と椅子といった基本的な家具以外、ほとんどものが置かれていない。正確には、「ものが無さ過ぎて散らかりようがない」と言った方が正解かもしれなかった。

 何より華の目を惹いたのは、机の上に置かれた「それら」だった。黒く艶光りする本体、一方の画面は同じく真っ黒だが、もう一方は白く点り、蟻の列のように文章が書き連ねられている。

 それは二台のパソコンだった。

 少し離れた華の所からでも、一方の画面に表示された文章は読むことができた。『グラスを取る順番をコントロールすれば、被害者が毒入りのグラスを取る確率を50%にまで上げることが……』先ほど美緒里の所で見たネット小説だ。どちらが先に読み始めたか分からないが、透とこの部屋の主がこういった作品でつながっていることは容易に想像できた。

 その主は、机の前の回転椅子に座ったままさっきから身じろぎ一つしなかった。身長151センチの優より少し高いくらいの小柄な背丈、室内だというのにすっぽりと頭を覆ったフード、そこから覗く鋭い目、どこを取っても部屋と同じく、華が今まで会ったことのない少年だった。

 今、少年は透と話していた。「……で、こっちが暗号の本文を書き写したもの、こっちがその人が考えた答えがこれなんだけど、どう思う、健人けんと?」透が二枚の紙を見せながら少年に尋ねる。健人と呼ばれた少年は何も言わずに、受け取った紙をじっと見つめる。しばらく三十秒はそうしていたかと思うと、

「話にならないな」

 と、たった一言だけ、ぶっきらぼうな口調で答えた。

「は、話にならない?」さすがに違うとは思っていたが、従姉の考えがこうもバッサリと切り捨てられたことに華は戸惑った。

「ああ」健人は短く頷く。

「まず、ポケベルなら最初に*2*2、最後に##が必要となる。仮にそれらが省略されてたとしよう。それでも仮名、アルファベット、数字、それに記号の四つが混在している時点でもはや暗号の意味を成していない。換字式暗号なら、仮名かアルファベットのどちらかを抜いてそれに合わせるようにしなければ、意味の通る文章にはならない。どうせなら……」

 と、先ほど美緒里がしたのと同じように、暗号の本文を見ながら手元の紙にスラスラと何かを書き込んでいく。華が「コンザイ」という言葉を漢字に変換し、「式暗号」というのがどんなものか考えている間に、健人は何かがびっしりと書き込まれた紙を透に差し出した。

「例えばこんな風に……」

「ちょ、ちょっと待って!」華は慌てて腰を浮かせ、止めに入った。同時にこちらを見た二人に文句をぶつける。

「ねえ、全然話が分からないんだけど。まずそもそも、この子誰? 透とはどういう知り合い?」

「透、急に来たと思ったら、俺のこと友達に言ってなかったのか? そういうとこ、相変わらずだな」健人の言葉を無視して、透は気にした様子もない。

「そっか、まだ説明してなかったね」と、椅子に座る少年を指さす。

「この子は衣笠きぬがさ健人、まだ僕らと同じ小六だけど、数字とかパソコンにすごく詳しいんだ。多分二組だけじゃなくて、六年全体で」

 なるほど、まあ予想はしていたが、やはり彼が透のいう「数学やコンピューターに詳しい奴」だったか。しかし、まさか自分たちと同い年とは……ん?

「透、今何て?」

「小六だけど数字とかパソコンにすごく詳しい」

「その後」

「二組だけじゃなくて、六年全体で」

「二組って、横川小うちの?」

「うん」

「いやいやいや、そんな訳ないって!」華は思わず首をブンブンと横に振った。

「何で?」対照的に、透はポカンとしている。

「だって、」華は透と同じように健人を指さした。

「あたしこんな子、見たことないもん! ねえ」と、華は大吾、優、翼の方を振り向いた。

「そうでしょ!?」

「確かに……」「見たことねえなあ……」優と大吾がそれぞれ首を傾げる中、翼一人が「私は何度か見たことがある」と言った。

「えっ」驚く二人には目もくれずに翼は、

「去年の秋頃だ。最初は母親らしき女性と一緒にいたな。転校生だと思ったのを覚えている。その後も図書室や廊下で何度か見かけたが、いつの間にか見なくなっていた。てっきりまた転校したと思っていたが、まだ横川小にいたのか」

 と受け取り様によっては失礼に聞こえることを言った。しかし、健人は特に気分を悪くした風もなく、「ああ」と頷いた。

「俺は半年くらい前、この町に引っ越してきた。親の仕事の都合だったけど、その時はもう学校を休みがちになっていたから、父さんも母さんも環境を変えてみた方がいいって思ったのかもしれない。俺も最初の内は頑張って何日かおきに登校してみた。だけど、やっぱり休み出すようになって……親も医者も学校も、無理に行く必要はないって言ってくれてる。だから、六年になってからは一日も学校には行ってない」

 それを聞いて、ここに来る前に透が言った「平日も基本家にいる」という言葉の意味が華にもようやく分かった。ということは、つまり……

「……不登校、ってこと?」おそるおそる尋ねると、健人は無言で頷いた。

「何か前の学校で嫌なことでもあったの?」

「いや」健人は今度は首を横に振った。

「自分でも何で行けないのか分からない。別に透と話すのは苦痛じゃないし、自分のペースで勉強とかもできるからむしろ都合がいい。学校のプリントも透がまとめて持ってきてくれるからあまり問題は感じてない」

 華は今まで知らなかった幼なじみの意外な一面を知って驚いた。思わず透に視線を移す。

「透、いつの間にそんなことしてたの?」

「六年になってからずっと」透は何でもないとでもいうように答えた。

「毎週土曜の朝に持っていって、日曜の夕方に取りに来る。今朝も来たばっかだよ」

「一週間分を二日でできるの……」華が思ったことを優が代わりに口にした。

「そういう訳で」透が後を引き取る。

「健人はものすごく頭がいい。特に算数とパソコンにね。だから意見を聞きに来たんだけど、そしたら」そう言って先ほど健人に渡された紙を華たちにも見せる。

 紙が一面字で埋め尽くされていると思ったのは、縦横に引かれた線によって作られたマス目だった。定規を使った様子もないのにほぼまっすぐな線が書かれている。字は上と左端に0から9の数字がそれぞれ書いてあるにすぎない。そして、マス目のいくつかには丸印がつけられていた。

「その美緒里って人の考えは」健人が口を開いた。

「途中までは正しいと思う。わざわざポケベルなんか持ち出さなくても、もっとシンプルに考えればいいんだ。こういう風にオリジナルの表を作って、そこにどんな文字が当てはまるか予想すればいい。見てみろ、他に比べて“00”が圧倒的に多いのが分かるか。そしてもう一つ」と、初めて悪戯っぽい目を見せる。

「日本語の仮名で一番多く使われているのは、“い”だ」

「“い”……?」華には何のことやら分からなかったが、翼はすぐに反応した。

「いろはだな」

「そういうこと」健人はニヤリと笑う。

「つまり、00が“い”を指してると考えて、順にいろはをこの表に当てはめていくんだ。例えば……」そう言いながら、表を次々と字で埋めていく。たちまちの内にこんな文字列が浮かび上がった。


    0 1 2 3 4 5 6 7 8 9

  0 い ろ は に ほ へ と ち り ぬ

  1 る を わ か よ た れ そ つ ね

  2 な ら む う ゐ の お く や ま

  3 け ふ こ え て あ さ き ゆ め

  4 み し ゑ ひ も せ す

  5

  6

  7

  8

  9


「こんなもんかな。後の行には数字とかアルファベットが入るんだろう。ひとまずはまだ分からない所を飛ばして字を当てはめていくと……」そうしてその下に字を書いていった。はたして出てきた文は……


  いゑ○○いりいをはふ

  か○いなに○ろ○はれ

  に○いらい○○○い○

  ろそいのに○いらはれ


「いやいや」思わず華は文句を言った。

「美緒ちゃんのとほとんど変わらないじゃない」

「だから例えばって言ったろ」健人は気にした風もなく言ってのけた。

「今は横書きでやったけどもしかしたら縦書きなのかもしれない。今は詰めたけど『いろはにほへと』で切って『ちりぬるを』からは改行するのかもしれない。ひょっとしたら渦巻き状に埋めていくのかもな。まあ、どうであれ、後は探偵団の仕事だ」

「えっ、ここからはやってくれないの?」

「俺は自分なりの考えを示しただけだからな。精々頑張れ。じゃあ透、また明日プリント頼む」そう言って学校に行かないクラスメートはヒラヒラと手を振った――


 それから数日、五人はあらゆる可能性を試してみた。健人の言った通り、文字の向きを変えて暗号が解けないか手分けしてやってみたのだが、意味の通る文章になる気配は全くといっていいほど感じられなかった。

 よく見てみると、月曜日、透がプリントやノートのぎっしり詰まったファイルを担任の樽井先生に渡していることに華は気付いた。もしかしてまた金曜日に一週間分の宿題を健人の元に持って行くのだろうか、だったらその時も見届けてやろう。華は漠然とそんなことを考えていた。

 しかし、暗号も健人のことも全て頭から吹き飛ぶようなことが起こったのだった。


 その週の水曜日、午前八時過ぎ。通学中の華と透は住宅街から大通りに出る交差点で信号待ちをしていた。六月に入ったがまだ梅雨入り宣言は出されておらず、昨日の昼からは晴天が続いている。

 駅にも住宅街にも近いからか、信号待ちをする顔ぶれは何度か、もしくは何度も見かけたことのある人と初めて見る人とが混じり合い、毎日同じ時間に通っていても毎回違っている。その人物は、華が初めて見る人だった。

 眼鏡を掛けて痩せた大学生くらいの男性が向こうからやって来た。肩には大きな白いバッグを掛けている。信号で立ち止まるとポケットからスマホを取り出し、何やら操作し出す。そこまでは別にどうということのない、普段通りの光景だった。

 その時、華は一台のバイクが路地を曲がってこちらへと向かってくるのに気付いた。華がそのバイクに注意を惹かれたのは、目の前に人や物がないにもかかわらず、それがやたらと遅く走っているからだった。運転手の顔は、フルフェイスのヘルメットに覆われて見えない。

 何か変ね、あのバイク……。華がそう思った次の瞬間、バイクが眼鏡の男性の一メートルほど後ろに迫った時、運転手がにゅっと腕を伸ばした。

 危ない、と声を掛ける暇もなかった。運転手は急にバイクを加速させたかと思うと、眼鏡の男性を追い抜きざまに男性が肩に掛けたバッグをひったくった。しかし、悲劇はそれだけでは終わらなかった。

 眼鏡の男性はバッグを盗られまいととっさに肩紐をつかんだが、それがまずかったらしい。バイクに引きずられて数メートル飛ばされたかと思うと、そこにあった電柱に頭から激突した。思わず耳を塞ぎたくなるような鈍い音が辺りに響き、そこに人々の悲鳴と車のクラクションが重なる。バイクは動じた風もなく、猛スピードでその場を走り去っていった。

「大丈夫か、おい!」華たちの近くに立っていた、サラリーマン風のおじさんが男性に駆け寄る。その言葉を合図にしたように、人々が続々と周りに集まってくる。華と透もそれに続いた。

 男性は頭から血を流し、ぐったりとしてピクリとも動かなかった。持ち主と引き離された眼鏡は忘れ去られたように歩道に転がっている。「誰か警察に!」「いや、先に救急車だ!」大人たちの声がどこか遠く聞こえる。その時、けたたましい足音が路地の向こうからやって来るのが聞こえた。振り返った華の目に、こちらへと駆けてくる見慣れた顔が映った。

「何かあったんですか? ……あ、華っちに透っち」

「美緒ちゃん、どうしてここに?」

「駅に向かう途中ですごい音と声が聞こえたから。一体何が……」美緒里がそこまで言った時、周りの人垣が動いて倒れた男性の顔が見えた。それを見た美緒里の目が大きく見開かれる。

「え、あれって……屋敷やしき君!? な、何で彼がこんなことに!?」

「知り合いなのか?」最初に駆け寄ったサラリーマンが振り返る。美緒里は青い顔で頷く。

「大学の友人です。救急車は?」

「さっき呼んだ。君、すまないが友達なら……」

「分かってます」美緒里は再び頷いた。「一緒に乗っていきます」

「美緒ちゃん……大丈夫?」華は思わず尋ねた。それくらい美緒里の顔色は悪い。大丈夫、と美緒里は無理矢理作ったような笑顔を見せた。

「また落ち着いたら連絡するから……二人は学校に行って」


 華は、ほとんど何も身に入らないまま一日を過ごした。それは、透も同じだったに違いない。バイクに撥ねられたあの屋敷という男性のことが心配で仕方なかった。

 授業が終わると、二人はそのまま美緒里が教えてくれた病院へと向かった。もちろん、大吾たちには事情を話してある。さすがに今日は探偵団の活動も休みだ。

 屋敷が搬送されたのは、商店街を抜けた先の国道沿いにある辻宮総合病院らしい。少し遠いが、小学生でも歩いて行ける距離にあるのはありがたかった。

 美緒里によれば、屋敷の病室は四一二号室とのことだった。病院の清潔さを示すように真っ白な扉を開けると、ベッドに横たわった体の向こうに、美緒里の顔があった。

「あ、華っち、透っちも!」二人に気付いた美緒里が顔を輝かせる。病室に入ると、屋敷の状態が明らかになった。

 屋敷は頭に包帯を巻いた状態で、パジャマ姿で横になっていた。眼鏡をかけた目は開いている。どうやら命に別状はないらしく、とりあえず華はそのことにホッとした。当然、意識がなければ赤の他人が面会になんて来れるはずもないのだが、そのことに気付く華ではなかった。

「ああ」二人がさらにベッドに近づくと、屋敷が弱々しく微笑んだ。

「三島さんの従妹とその友達だってね。わざわざ見舞いに来てくれたのかい、ありがとう」

「僕たち、今朝の現場にいたんです」透が答えた。

「ああ、そうだったのか」屋敷は納得したように頷いた。

「ねえねえ、頭は大丈夫?」華は見舞いの言葉もなしに尋ねた。当然、受け取り様にとってはかなり失礼な物言いになるのだが、 そんなことに頭の回る華では以下同文。

「そうだね」屋敷もその辺りは分かっているのか、苦笑しつつもスルーした。

「はっきり言って、最悪じゃない。入院も、とりあえず今夜一晩ってことらしいし。ただ……」

「ただ?」

「カバンを取られたのがどうもね」元からそういう話し方なのか、それとも医者に安静にするよう言われているのか、屋敷は目を天井に向けてボソボソと言った。

「スマホとかハンカチとか、ズボンのポケットに入れてたもの以外はあらかた盗られちまった。財布に入れてた金も少なくなかったし、他にも大学の教科書とかノートとかも入ってたんだよ。全く、とことんツイてないなぁ。つい先週も……」

「何かあったの?」華が身を乗り出した時、コツンという音と共に何かが足に当たる感触がした。見下ろすと、黒い表紙の手帳が床に落ちている。

「あれ、それ」華が拾い上げたそれを見て美緒里が 言った。「さっき話を聞きに来た刑事さんのじゃない?」

「本当だ」屋敷も頷いた。「話を聞き終わった時に連絡が入って慌てて出て行ったから、多分その時に落としたんだな。まあ、五分くらい前のことだから、その内取りに戻って……」

 と、言い終わらない内に、病室の扉をノックする音が響いた。屋敷が「どうぞ」と声を掛けると、扉が開いてスーツ姿の男性が顔を見せた。

「失礼、どうやら先ほどこちらに手帳を忘れたようで……」表れた五十歳前後の男性は、そこで言葉を途切れさせた。その目は手帳……ではなく、それを持つ華と、その隣にいる透に釘付けになっている。

「どうして君たちがここに?」そう尋ねる厳つい顔の男性は、二人の顔見知り、県警捜査一課の首藤 元鬼げんき警部だった。

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