第1章 謎の紙切れ

「ほらとおる、そっちそっち! もっと右だってば!」

 三日後、午後四時過ぎ。同じく溝戸県内にある横川よこがわ小学校、その校庭と道路沿いのフェンスを隔てるように植えられた木の一つの下で、六年二組のもり透は上からの重みと声に耐えていた。

 透の肩の上では、スカートの下に体操服のズボンという格好の幼なじみが靴下履きの両足で乗り、真上にある木の梢を手で探っていた。透が上を向いた拍子に体が揺れ、一瞬ひやりとするが、肩の上の相手がかろうじてバランスをとったことで転落は免れる。ほっとしたのも束の間、太めの枝を両手で掴んだままの弓長ゆみながはなが透を見下ろして文句を言ってきた。

「何してんのよ透! もう少しで落ちそうになったじゃない!」

「そんなこと言ったって、しょうがないじゃないか」透は思わず言い返した。

「下からだと、右とか左とか言われても分かんないんだから」

「言われた通りに動いてくれたらいいの! 感覚で分かってよ」

 感覚それで分かれば苦労しないと思ったが、透は黙っていることにした。十年来の幼なじみでも、言葉だけでは分からないこともある。ガサガサという音と共に、華がかき分けた葉が何枚か、目の前を通り過ぎていった。その時、向こうの方からやってくる足音が聞こえた。そちらを見ると、向こうの方を調べ終えたらしい上条かみじょう大吾だいご前野まえのゆうがこちらに歩いてくる所だった。

「おーい、そっちはどうだ? こっちは何も見つからなかった……って、お前らまだそんなとこやってるのか?」二人のいる木の下まで歩いて来た大吾が、二人が最初に調べ始めた木と今いる場所を交互に見比べて言った。そうなのよ、と華がまるで子供の成績の悪さを嘆く母親のようにため息を吐く。

「透がもっとちゃんとしてくれてたら、今頃この倍はいけてるはずなんだけど」

「だからそれは華が……」またしても反論しようとした透だったが、それを優が遮る。

「まあまあ、二人とも。それより、もう四時だけど、そろそろつばさたちが戻ってくる頃じゃ……あ、来た」

 と言い終わらない内に、校舎の方から肩まで下ろした髪に賢さを表したような眼鏡の少女、青木あおき翼がまっすぐこちらへと向かってきた。その後ろからは、それよりも髪を伸ばした四年生、真田さなだ香織かおりが隠れるようにして付いてくる。翼は四人の元に辿り着くと、前置きも無しに「こっちには何もなかった」とだけ言った。

「教室、体育館、思い当たる場所はほとんど探したが、どこか人目につかない場所に落ちているわけでも間違えて捨てられているわけでもないようだ。もちろん落とし物として届けられてもいなかった。やはりあるとしたら校庭だろう」

「そっか、ってことはやっぱりここにある木のどれかね!」華はそう言うや否や、透の肩からひょいと飛び降りた。地面に降りると靴のかかとを踏んだまま、まだ調べていない木を順番に見ていく。やがて一本の木の下で立ち止まると、「ここ!」と叫んだ。

「この上にある気がするわ」

 と、華があまりにも自信満々に言うので、逆に透は心配になった。

「何で?」一応聞いてみると、案の定、

「あたしの直感よ」という答えが返ってきた。

「やっぱりそう来たか……」思わず頭を抱えたくなる。華は二言目にはすぐ「直感」と言う。本当はもう少し後先を考えてから行動してほしいのだが……。そんな透の気持ちも知らず、華は見当をつけた木の梢を見上げると、追いついてきた大吾に尋ねた。

「ねえ、この上まであたしを持ち上げることってできる?」

「当たり前だろ」大吾が自信満々に頷く。そのままその場にしゃがみ、華が上りやすい態勢を作る。その肩に靴を脱いだ華がするすると身軽に上ると、大吾はその足を掴んでゆっくりと立ち上がった。華がまるで遊園地のアトラクションに乗ったかのようにはしゃぐ。

「すごーい! さすが大吾、透とは全然違うわね!」

 余計なお世話だ! 透はムッとしたが、やはりここでも何も言わず黙っていることにした。そもそも大吾が上手くいっているのも、本人の体格だけでなく、上に乗っている華や優が小柄なことも影響しているのではないのか……そんなことを思っている間に、梢に手を突っ込んでいた華が急に「あった!」と声を上げた。

「えっ!?」さすがにすぐ見つかるとは誰も思っていなかったのか、透以外にもほとんどが驚きの声を漏らす。そんな下の反応をよそに、華が枝の間から右手を引き抜く。その中には、角に赤やピンクの糸で色とりどりのカーネーションが刺繍された真っ白なハンカチが握られていた。それを目にした途端、それまで緊張に強ばっていた香織の表情が見る間に輝く。

「それ!」

 一方、六年生の面々はまさかの展開に唖然としていた。

「マジかよ……本当に見つけるなんて」大吾が感心半分、呆れ半分といったように呟いた。

「へへっ、だから言ったじゃない、あたしの直感は絶対だって……わっ!」調子に乗り過ぎたのか、両手を離して大吾の肩の上で得意気にしていた華が、突然バランスを崩してよろける。

「危ない!」

 慌てて大吾が足を踏ん張り、透と翼が前後から支えようとする。しばらく両手をばたつかせていた華だったが、倒れかかった所を透がかろうじて支え、何とか態勢を立て直す。誰からともなく、安堵のため息が漏れた。

「はあぁ……危なかったぁ……」胸をなでおろす華に向かって、透は思わず文句が出た。

「全く、いつも無茶し過ぎだよ、華は。……それに華って結構重い……」

「!!!」次の瞬間、ハンカチを握りしめたままの華の右手が、真下にいる透の頭を直撃した。

「誰が……だぁれが、重いっていうのよっ! 透の馬鹿ぁー!」


 そもそも、なぜ透たちが下級生のハンカチを探していたのか……根本的なきっかけは半月ほど前、五月の連休が明けた頃に遡る。

 その頃の透は、取り立てて特徴のない、どこにでもいるごく普通の小学生だった。変わった点と言えば、ミステリーが大好きで周りよりも多くの推理小説を読んでいたこと、そして、将来何になりたいかと聞かれて、「名探偵」と大真面目に答えたことであった。それを聞いて立ち上がった(?)のが考えるよりも先に行動に移す幼なじみの華だった。透の話を聞いた華が結成したものこそこの「横川小探偵団」であり、そこに加入したのが大吾、優、翼なのだった。

 こうして結成された少年探偵団だったが、行動を開始して早々、予想もしなかった事態に巻き込まれた。探偵団は下級生の間で噂になっていたお化け騒動を調査することになったのだが、その過程で、透と華は怪しいと睨んだ人物を追いかけた先で殺人事件に遭遇してしまったのだった。それだけでも十分驚きだったが、華をさらに驚かせたのはそこから先だった。何と透は、現場の不自然な点をその場で次々と指摘して警察を唸らせただけでなく、最終的には犯人の使ったトリックを見破り、お化け騒動と殺人事件の両方を解決してしまったのだ。その「名探偵」ぶりは華から見ても目を見張るものであり、推理を披露している時の透は普段と全く異なる空気を纏っているようだった。

 結成から僅か一週間で事件を解決したことで一躍学校の有名人となった探偵団だったが、その後事件解決の依頼が増えたかというとそうではなかった。別に事件解決の依頼が増えた訳ではなく、たまに来たとしても、「教室に蜂が出たから退治してほしい」だの(透たちが駆けつけた時には既に逃げ出した後だった)、「テストの問題が分からない」だの(翼がいなければどうなっていたことか……)といった、本当に探偵に頼む仕事か? と言いたくなるような依頼がほとんどだった。そして、今日の放課後になってやっと来た探偵らしい依頼が、真田香織の「なくしたハンカチを探してほしい」というものだった。何でも、おばあちゃんからもらったもので、おばあちゃんの手で香織の好きなカーネーションが刺繍された、この世にたった一つの大切なものなのだと言う。ただ、いつ、どこでなくしたのかは分からないらしい。そこで、翼が香織と共に教室や体育館といった校内を探して回り、その間に透、華、大吾、優が校庭を探すという作戦を取ることにしたのだった。そして、華が持ち前の直感でハンカチの場所を探し当てたのが先ほどのことであった、のだが……。

 香織が喜びと戸惑いの色を浮かべながら去って行った後も、華はまだ怒っていた。

「信じられない! 透って、本当にデリカシーないのねっ!」

「悪かったって」透は廊下を足早に歩く華の後を追いながら、この日何度目になるか分からない謝罪を口にした。言い終えてから、頭のてっぺんに手をやって顔をしかめる。

「それにしても、あんなに強く殴る必要もないのに……」

「当たり前じゃないっ!」華はくるりと振り返って透を睨み付ける。

「あたしだって一応は女子なんだからねっ!」

、かよ」追いついてきた大吾が呆れたように言った。

「あーあ」華は壁に寄りかかってため息を吐いた。

「何かないかなぁ。虫退治とかハンカチ探しとかじゃなくて、もっと派手な事件が。さすがに殺人事件はもう懲り懲りだけど、お金持ちの家から宝石が盗まれたみたいな、もっと透の頭が役に立つ、探偵っぽい事件が起きないかしら」

「だからそういうことは警察の……」透の言葉を華が無視しようとした時だった。

「おーい、いたいた」という声と共に、一人の男子が薄暗い廊下をこちらに向かって来るのが見えた。その顔を見て大吾が意外そうな声を上げる。

「何だ、有輝ゆうきじゃねえか。一体どうした?」

 その言葉で、華にもそれが誰かようやく分かった。三組の松村まつむら有輝だ。大吾と同じ柔道教室に通っているという有輝は、背は大吾よりは少し低いものの、全体的にガッチリした体型をしており、Tシャツや短パンから覗く腕も足も丸太のように太い。そんな有輝が、どこか思い詰めたような顔で華たちの前にやって来ると、前置きも無しに言った。

「実は、探偵団に相談したいことがあるんだ」

「ふーん」それを聞いても、華は乗り気になれなかった。これまでの苦い経験が頭の中を占めていたからだ。

「有輝、それってハンカチ探しとか何か? 悪いけど、それだったら自分で探してくれない?」

「ハンカチ? そんなんじゃないよ。本当は大人に相談した方がいいのかもしれないけど、信じてくれないかもしれなくてさ……それでまずは探偵団お前らに相談してみようと思ったんだよ」

「どういうこと?」

「だからさ……とりあえず、これ見てくれよ」そう言って、有輝は短パンの右ポケットから一枚の紙切れを取り出した。差し出された左手の中のそれを見た途端、華は思わず声を上げていた。

「な、何よこれ!」

 その言葉で、他の四人も紙切れに目を通す。紙切れには、こんな文字がびっしりと書き連ねられていた。


  00427980000800110231

  13680020037501960216

  03750021006579800090

  01170025037500210216


「これは」最後に文字を見た透がポツリと言う。

「暗号だね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る