第30話

 ヴェルナーさんのお姉様方から、髪留めをくれた相手と恋人同士だと勘違いされそうになった私は慌てて否定した。


「あら、そうなの? 私はてっきり……」


「でもその人はすごくアンちゃんを気にかけてくれているのね。わざわざお守りを贈ってくれるなんて」


「最近王都の治安が悪くなっているんでしょう? それで心配しているのかもしれないわ」


「ああ、お父様もヴェルナーもそのせいで忙しいみたいね」


 お姉様方の話を聞いて、そう言えばジルさんも忙しそうだったな、と思い出す。


「婚約式まで仕事大変でしょうね〜」


「婚約式は見られないけれど、婚儀の時はお披露目会があるから楽しみだわ」


「そうそう、”銀氷の騎士団長”にお会いできる絶好の機会だって、喜んでいる令嬢が多いらしいわよ」


「ああ、彼は社交界に全く姿を見せないから。公務の時しか会えないしね」


 お姉様方の会話を聞いて「んん?」と思う。


(え? 銀氷の騎士団長……? え? ジルさんのことだよね……?)


「あの、その騎士団長さんって、英雄だと噂の……?」


「そうよ。ジギスヴァルト・リーデルシュタイン閣下よ。冷たい美貌の持ち主で令嬢たちにとても人気があるのだけれど……」


「王女殿下の恋人だって噂、結局違ったみたいね」


「ローエンシュタイン卿と王女殿下のご成婚が決まったし、今頃年頃の貴族令嬢から婚約の申込みが殺到しているでしょうね」


「……殺到……!」


 やっぱりジルさんはご令嬢方に大人気だった。あの美しい容姿だったらそりゃそうだよね、と納得する。


「でも彼が笑ったところを見た人間はいないらしいじゃない?」


「どんな美女が言い寄っても全く靡かないんでしょ?」


「令嬢からのエスコートの申込みも悉く断っているって聞いたわ」


「私は団員と令嬢の扱いが同じだって聞いてるわよ。女性でも容赦がない冷たい人ですって」


 お姉様方が聞いたという話は、いつもお店に来てくれるジルさんとは程遠い人物像だった。


 私が知るジルさんは、甘いものが好きで、気遣いが出来て、友達のために頑張れる人で……とにかく笑顔がとても素敵な優しい人なのに……。

 きっと勘違いしたお嬢様方から出た噂に、尾ひれがついてしまったのかもしれない。


「だけどリーデルシュタイン卿のおかげで騎士団のレベルが上ったんでしょう? その分、訓練も相当厳しいらしいけれど」


「ヴェルナーもしばらく筋肉痛で動けなかったわね」


「まあ、リーデルシュタイン卿がどんな性格だったとしても、彼がこの国の英雄なのは変わりないけどね」


 温室で一緒にお茶を飲んでいる時のジルさんはいつも穏やかだから、お姉様方が噂しているような厳しい姿が私には想像できない。


(そういえば腕の筋肉が綺麗でびっくりしたっけ。騎士団長だし、すごく鍛えられてるんだろうな……)


 私は以前見た、エプロン姿のジルさんを思い出す。

 スラっとした立ち姿は思わず見惚れてしまう程格好良かった。

 恐らくジルさんは細マッチョと呼ばれる部類の人なのだろう……裸を見たことはないから想像するしか無いけれど。


「それにしても、せっかくアンちゃんが来てくれたのに召集が掛かるなんて、ヴェルナーって運が悪いわね」


 ジルさんの筋肉の事を考えていた私は、自分の名前が出た事に意識を引き戻される。


「え? ヴェルナーさん、お仕事なんですか?」


 私は未だに、ヴェルナーさんの姿が見えない事に気が付いた。

 今日は水の日で、ヴェルナーさんがお休みを合わせると言っていたから、お屋敷にはいると思っていたのだ。


「そうなのよ。やっと休みを勝ち取ったって喜んでいたのに、朝早く呼び出されちゃって」


「ホント、あの子間が悪いわよね」


「いざ、っていう時に邪魔が入ったり失敗したりするのよね。昔はこの子呪われているのかしらって心配したわ」


 とてもプレッツヒェンを楽しみにしていてくれたのに、まさかの召集だったとは。でも今回はたっぷり作ってきたし、今日一日で無くなることは無いと思う。


「これからしばらくは騎士団も忙しいんじゃないかしら」


「今の王都は良くも悪くも騒がしいから、衛兵団だけじゃ手が回らないでしょうね」


「アンちゃんは一人暮らしでしょう? 戸締まりに気を付けるのよ?」


「可愛い女の子がひとりで暮らしているなんて……心配だわ」


「心配してくれて有難うございます。私も気をつけますね」


(今まで気にしたことなかったけど、お姉様方を安心させるためにも、これからは防犯に気をつけなきゃね……)


 一人暮らしを始めてからも防犯のことを気にしたことが無かった私は、これを機に意識改革することにした。

 私の魔法のことでジルさんたちも心配してくれているし、注意するに越したことはないだろう。





 ディーステル伯爵家から自宅に戻った私は動きやすい服に着替えると、花の様子を見に温室へと向かった。


 婚約式に使うために準備したマイグレックヒェンは、新たに植えたものと切り戻して植え替えたものを合わせるとかなりの量になった。

 いずれの鉢からも緑色の葉が伸びていて、ちょうど婚約式の頃満開になっているだろう。

 それからローゼやフィングストローゼの様子を見て、綺麗に咲くように摘蕾する。

 ちなみに摘蕾とは余計な蕾を間引く作業のことだ。摘蕾することで花に栄養が行き渡り、花の質を上げたり株や根の負担を減らすことができるのだ。

 蕾や花の数が増えすぎると全体的に小ぶりになったり質が落ちるので、摘蕾して花の量や大きさを調整するのである。


 そうして、婚約式用の花の世話を終えた私が部屋に向かっていると、お店の外に誰かがいるような、人の気配を感じた。


(……んん? こんな時間に誰だろう……?)


 すでに日が落ちて、周りのお店もとっくに閉まっている時間だ。もちろん私の店は休業日ということもあって、ずっと『閉店』のプレートを掛けている。

 なのに外にいる人は複数のようで、立ち止まって何かを相談しているような話し声がかすかに聞こえて来るではないか。


(……あっ! もしかして泥棒……?! 最近怪しい人間がうろついているって言ってたっけ)


 私のお店がある区画周辺で、最近何かを探るような怪しい行動をする人物が目撃されているので注意するように、とギルドから通達があったのだ。


 もしかすると外にいる人達が……?と私が怪しんでいると、”コンコン”とお店のドアをノックする音が響いた。


(ひぇっ?! え、なになに?!)


 お姉様方から聞いた話も相俟って、私の中で警戒心がどんどん高まっていく。それに比例して私の心臓がバクバクと鼓動する。それに何だか嫌な汗も出てきたような気がする。


 私がどうしよう、と思っていると、「アンさーん、いるー?」という、聞き慣れた声が外から聞こえてきた。


「えっ?! ヘルムフリートさんっ?!」


 意外な人の声に、私が慌ててドアを開くと、ヘルムフリートさんとジルさんが立っていた。


「夜分すまない。急ぎの用件だったので、失礼を承知で訪問させて貰った」


「久しぶりだねアンさん。こんな時間にごめんね」


「いえ! 大丈夫です! あ、良かったら中へどうぞ!」


 季節は春になろうとしているとはいえ、夜はまだ寒い時期だ。外に立ちっぱなしなんてそんな失礼なことが出来るわけもなく、私はお二人を温室の中へと招き入れた。


「この温室も久しぶりだなぁ。ここってすっごく落ち着くよね」


「……む。それは同意だが、入り浸ろうと考えるなよ」


「えー、なにそれ。独り占めは良くないと思うな」


 私が温かいお茶を用意して持っていくと、ジルさんがヘルムフリートさんに何か注意をしていた。相変わらずお二人は仲が良い。


「あの、こちらをどうぞ。いつも同じものばかりで申し訳ないのですが」


 私は断りを入れながら、今朝大量に作ったプレッツヒェンの残りをお二人の前に置いた。


「うわぁ! 美味しそうだね! これ手作りだよね? アンさんが作ったの?」


「はい、簡単ですし、いつも作ってはいるのですが……」


 ヘルムフリートさんは初めてかもしれないけれど、ジルさんにはすでに何回も……というか、来てくれる度にプレッツヒェンをお出ししているので、さすがに飽きているのではないか、と思う。


「む。アンが作ったものはいつも美味いし、絶対に飽きたりしない」


 私の心を読み取ったかのようにジルさんが言ってくれるので、何だかとても恥ずかしい。


「……っ! あ、有難うございます……っ!」


 思わず照れてしまった私だけれど、今は恥ずかしがっている場合じゃないと気を取り直す。


「えっと、それで今日はどの様なご用件で?」


 婚約式の花のことで、何か要望があるのかな?


「そうそう、本題を忘れるところだったよ。遅くなったけど、この店に設置するための防犯用の魔道具を持ってきたんだ」


 ヘルムフリートさんはそう言うと、机の上に木の箱を置いた。

 



* * * * * *



お読みいただきありがとうございました!( ´ ▽ ` )ノ


プレッツヒェンばっかりなのでそろそろ別のお菓子を考えないとですね。


次回もどうぞよろしくお願いします!(*´艸`*)

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