第13話

 ヘルムフリートさんがジルさんの馬車で帰ってしまったので、迎えの馬車が来るまで温室で一緒にお茶をすることになった。


 私はクラテールを入れたポットにお湯を注ぎ、渋くならないように3分ほど蒸らす。

 そうして濾したお茶をカップに注ぐと、透明感のある黄金色のお茶からりんごに似た優しい甘い香りがふわっと広がっていく。


「……うむ。美味い。香りは甘いのに味はスッキリしているな」


 優雅な仕草でお茶を飲んだジルさんが満足そうに微笑んだ。


 そして毎度おなじみ、舞い散る花びらの幻影。だけど今回は神々しい光の乱舞が追加されていた。ますますパワーアップする幻影に私はどこまで堪えられるのだろうか。


「お口に合って良かったです。このお茶はカミルというクラテールをメインにミンゼを少し足しているんですよ」


 ──平静を保った私を誰か褒めて欲しい。少しでも気を緩めると失神してしまいそうなので、私はぐっと気を引き締める。


 ちなみにカミルはクリュザンテーメによく似た小さくて白い花で、飾るもよし・お茶にするもよしで、昔から親しまれているクラテールだ。

 ミンゼはすっきり爽やかな味わいだけど、とにかく繁殖力が強いので、地植えなんかするとエライ目にあう。鉢に単体で植えないと、他のクラテールの領域まで侵食してしまうのだ。


「カミルは静穏作用があるので、不安や緊張を解いて、気持ちを落ち着かせてくれるんです。他にも安眠効果があるお茶なので、寝不足っぽいヘルムフリートさんに飲んで貰おうと思っていたんですけど……」


 だけどヘルムフリートさんはすごく良い笑顔で元気に帰って行ったので、余計なお世話だったかも、と思い直す。

 もう用意していたから何となくそのまま淹れたけれど、ジルさんのために別のお茶を用意するべきだったと後悔する。


「……アンは、ヘルムフリートが気になるのか……?」


「……………………はい?」


 ジルさんにはどのクラテールが良いか考えていたら、その本人から予想外の質問をされ、思考が一瞬停止してしまう。


「ヘルムフリートと随分打ち解けていたし、奴のためにお茶まで用意していたのだろう? 確かに良い奴だが、すでにフロレンティーナという相手が──」


「いやいやいや! 違います! 誤解です!!」


 私は盛大な勘違いをしているらしいジルさんの言葉を慌てて遮った。


 ジルさんの言う通りヘルムフリートさんは話し上手で親しみやすい人だったけれど、私に恋愛感情は全く無い。それは例えフロレンティーナ王女殿下という存在がいなかったとしてもだ。


「しかし……」


「私はただフロレンティーナ王女殿下が早く回復されるように、ヘルムフリートさんに頑張って欲しかっただけなんです!」


 睡眠不足だと脳の働きが低下して仕事の効率も悪くなってしまう。そんな状態で良い薬が作れる訳がない。


「……っ、そうか。……すまない、俺が勘違いしていたようだ」


「わかって貰えて良かったです。あ、プレッツヒェンはいかがですか? 私の手作りなので見た目は悪いんですけど」


 私はジルさんが気にしないようにと、無理やり話題転換する。

 ここしばらくジルさんを見ていて、この人はきっと可愛いものや甘いものが好きなのではと思ったのだ。


「……む。手作りか、いただこう」


 予想通り、ジルさんがプレッツヒェンに食い付いた。

 お茶がカミルだったので、味や匂いがキツくないようにとプレーンのプレッツヒェンを用意したけれど、ジルさんはとても美味しそうに食べてくれている。


「うむ。美味い。アンは何でも上手に作れるのだな」


 ジルさんがキラキラした目で私を見る。何となくその目に尊敬の念が篭もっているのは気のせいだろうか。


「いやいや、プレッツヒェンは初心者でも失敗が少ないお菓子ですから。簡単に作れますよ」


 ふと気がつけば、いつの間にかプレッツヒェンは完食されていて、やはりジルさんは甘い物好きだったと確信する。


「……すごく美味かった。もしアンが良ければまた作ってくれないか?」


「もちろん、こんなので良ければいくらでも作りますよ」


 ジルさんほどの人ならば、王室御用達の「ズースィックカイテン」で食べ放題できそうなのに、素人の手作りが良いとはこれ如何に。

 だけど私の作ったお菓子を食べたいと言われるのはとても嬉しいから、もっと喜んで貰いたいと思う。


「じゃあ、プレッツヒェン以外のお菓子も練習しますね」


「そうか。それは楽しみだ」 


 今日何度目なのかわからないジルさんの蕾が綻ぶような花咲く笑顔に、私の胸がきゅううっと締め付けられる。

 目だけでなく心臓にまで影響を及ぼす笑顔、恐るべし!


 心臓の危機もあったけれど、私とジルさんは馬車が来るまで温室でのんびりと過ごした。

 会話はそう多くなくても、二人の間に流れる空気は柔らかで、ジルさんと一緒にお茶を飲みながら、とても穏やかな時間を過ごす。


 そうしてのんびりしていると、ジルさんを迎えに来た馬車が到着した。

 ジルさんは名残惜しそうに席を立つと、私の方をじっと見る。


「またこの温室に来てもいいだろうか?」


「……もちろんです! 休業日であればいつでもどうぞ! あ、お休みは水の日ですけど……」


 もしかすると騎士団の休日とお店の休日は合わないのでは、と思った私の懸念は一瞬で払拭された。


「休みはどうとでもなる。これからは水の日を俺の休日にしよう」


「え……あ、はい」


 ……そう言えばジルさんは騎士団の長だった。休みなんていくらでも変更出来る立場なのだ。

 とはいえ、ジルさんが温室に来るためにわざわざ休みを合わせてくれるとは思いもよらず、私の心は驚きよりも嬉しさが勝ってしまう。


「じゃあ、また来る」


 ジルさんはそう言うと颯爽と帰って行った。


 私は馬車が見えなくなるまで見送りながら、次の休みの日にはどのお菓子を作ろうかと考える。


 今までお客さんと店主という、いつ無くなるかわからない関係だったけれど、これからは茶飲み友達として新しい関係を築けるのなら、とても嬉しいと思う。





 * * * * * *





 温室でジルさんと一緒にお茶を飲んでから数日後、お店の片付けをしている私のもとへ、再びジルさんとヘルムフリートさんがやって来た。


 私は急いでお店を閉めると、二人を温室へと案内する。


「アンさんのおかげで薬が完成したよ! フロレンティーナの容態も日に日に良くなっているんだ! 本当に有難う!!」


 温室に着くやいなや、ヘルムフリートさんが私に感謝の言葉を述べた。


 ヘルムフリートさんは長年の憂いが晴れたようなスッキリとした顔に、満面の笑みを浮かべている。

 前回見られた疲労の色は全く無く、目の下の隈も綺麗サッパリ無くなっていた。


「俺からも礼を言う。アンのおかげでヘルムフリートも倒れずに済んだからな」


 あのままのペースで薬の開発を進めていたら、ヘルムフリートさんも過労で倒れていただろう、とジルさんからもお礼を言われてしまった。


「本当ですか?! 回復されて良かったです……!」


 私は心の底から喜んだ。王女殿下の快復は王国民全員が望んでいたことなのだ。


「じゃあ、近い内にお二人の婚約式が行われるんですね!」


 王女殿下のお姿を拝見したことはないけれど、「王国の華」と称されているお姫様と優しげな美男子のヘルムフリートさんが並ぶ姿は、それはもう美しい光景に違いない。


「うん、フロレンティーナが全快したらすぐにでもね。身内だけのささやかなものになるだろうけど」


 お医者様から許可が取れ次第、婚約式を行うことになるのだけれど、病み上がりとなる王女殿下を考慮して、大体的に行わず小規模なものにするのだそうだ。


「しばらくは忙しくなるだろうけどね。こうして婚約式を行えるのもアンさんがマイグレックヒェンを譲ってくれたおかげなんだ。アンさんは僕たちの恩人だよ」


「いや、そんな……! たまたま毒のない品種だったのかもしれませんし……」


 私が植えた球根は商業ギルドで購入したものとは違い、お父さんたちが旅行先から送ってくれたものだ。


「それがね、魔術師団の方でアンさんの育てたマイグレックヒェンを調べてみたんだけれど、球根はギルドが扱っているものと産地は同じでね。生体情報からみても間違いないと判断されたんだ」


 ヘルムフリートさんが言う通り、産地が同じなのであればその性質も同じものとなるはずで。

 それなのに私の育てた種に毒がないということは、育った環境の違いになるわけで。


 ──もしかして温室に施されている、お祖父ちゃんの術式が関係しているのかもしれない、と私は思い至る。

 



* * * * * *



お読みいただきありがとうございました!(*´艸`*)


❀花の名前解説❀

クラテール→ハーブ

カミル→カモミール

ミンゼ→ミント

クリュザンテーメ→菊

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