紅玉の指輪 1

 片側に垣根、もう片側は塀がそびえている。民家と民家の裏側をひっそりと走る細い通りの生垣の破れ目。そこが入り口だ。

 道に呼ばれて横道に入り、毛細血管のように絡みあったそこを歩いていけば、あなたが呼ばれた者であれば店にたどり着けるだろう。

「四辻堂」という木製の看板を載せた瓦屋根の店である。

 名前の通り細い四辻のど真ん中に建っている。四本の地図にない道が店によって遮られ、そして四本の道のすべては店の中を通る。

 店の扉は開け放たれていて、土間が見渡せる。

 何に使うのかわからない虫がのたうつ様な字が書かれた木片。神社から窃盗されてきたとしか思えない苔むした石でできた狐。乱雑にバケツに突っ込まれた刀などが客を出迎える。これらの我楽多ガラクタに見える品は全て売り物である。

 その売り物に埋もれるように置かれた丸い木の椅子に座っているのが小太郎である。

 小太郎の仕事は、ここでいつ来るともわからないお客さんを迎えることである。ひっきりなしに客が来る時も、閑古鳥も鳴き疲れたとばかりに誰も来ない時もある。

 楽な仕事だと思うかもしれないが、これでもなかなか大変なのだ。

 お客が大人しいモノならいいが、中には酷く乱暴な奴もいる。品物の代金を踏み倒そうとするくらいなら可愛いもので、中には小太郎を食べようとするものもいるし、「少年は小さくてかわいいねえ」なんで言って違う意味で食べられそうになることもある。勘弁してほしい。

 そういう者たちのあしらい方を覚えるのも修行の一環だと師匠は言うけれど、その割に具体的なあしらい方は教えてくれない。本当にひどい話である。おかげさまで小太郎は、大蝙蝠おおこうもりの撃退の仕方とか、少年が大好きな古い神様の追い返し方とか化鼬の涎がめちゃくちゃ臭いこととかを学ぶことができたけれど、商いの方はまったくまだ知識不足なのである。

 それでも小太郎がこの店で奉公を続けているのは、店番が面白いからなのだ。人や、人でないものが買っていく不思議な品物とそれに纏わる顛末を知ることはとても興味深い。

 四辻堂が扱うのは、いわくつきの古い品物ばかり。それは時に人に幸福をもたらし、またわざわいももたらす。


 戸口の風鈴が鳴った。一年中吊るされっぱなしの南部鉄の風鈴は、風が吹いても鳴らないが、来客が近くなると澄んだ音を響かせる。

 風鈴の音がしてしばらくすると、店の前に小柄な影が立った。紺色の制服。胸元には赤いリボン。制服姿の女の子だ。

 彼女はキョロキョロと落ち着かなさげにあたりを見回し、たっぷり迷ってから店に向かって声をかけた。

「道に迷ってしまって、なんかスマホも圏外になっちゃって、駅までどう行ったらいいか教えてほしいんですが……」

 早口に弁明しながらおずおずと店に入ってきた彼女は、小太郎の姿を見て固まった。こども?と唇が動く。

「僕は店番なんです。店長を呼んできますね」

 小太郎はにこりと微笑んで椅子から降りた。


「師匠ーっ!お客さんです!」

 小太郎は階段の脇に置かれていた大きなトランクをどけて、店の壁に向かって声を張り上げた。水に波紋が広がるように壁が歪み、牡丹の絵が描かれた襖が出現する。音もなく襖は開いた。そこから師匠が顔を出す。

 小太郎は師匠の名を知らない。師匠と呼べと言われているから、師匠と呼んでいる。

 寝乱れたままの白い長髪を掻きながら、師匠は大きく欠伸をした。

 人にしては鋭い犬歯が見える。目の下に黒々とクマができていた。また何か徹夜をしていたのだろう。不健康であればあるほど魅力的に見える不思議な外見の男である。

「誰?」

「女の子です。たぶん高校生」

「ああそう」

 寝巻きにしているスウェット姿で師匠は土間に降りていく。

「いらっしゃいませ」

 白い猫のキャラクターがついた突っかけサンダルを履いた師匠が少女に近づいた。

「あ、あの……」

 怯えている。やばいところに声をかけてしまったという戸惑いが、青ざめた顔から見て取れた。それはそうだ。小太郎は世俗の流行に疎いが、白髪頭の長髪という髪型とこの服装が社会的に受け入れられにくいものであることくらいはわかる。

 意外だったのは、少女の顔が奇心と、陶酔へと徐々に変わっていったことだ。

 師匠の姿は、日によって変わる。客が一番気を許しそうな姿に師匠は形を変えるのだ。つまり、師匠の今日の不健康そうな白髪の優男という格好を好んだのは客である彼女なわけだ。イマドキの女の子の趣味って変わってるなあと小太郎は思った。

 客を予見して自在に姿を変えるという、師匠がやっていることは時間を忘れるほど長く生きた狸や狐でも難しいことなのだけれど、実に簡単にやってのけるものだ。ただ、問題はある。服を変えることはできない。だから、寝起きの師匠の服装はいつもスウェットだった。帯も袴もなくて窮屈じゃないから最高とは師匠の弁で、彼はこの服をいくつも深夜営業の雑貨店で買っている。

 灰色の安物スウェットに突っかけ健康サンダルというトンチキな服装を帳消しにするくらいに師匠の姿は少女にとって魅力的らしい。師匠を見つめる瞳が潤んでいる。聞こえてくる心音も早い。商売用のにこやかな笑みを顔に貼り付けた師匠は、店の棚から一つの小箱を取り出した。手つきに迷いはない。

 小太郎もまた土間に下りる。師匠の手にあるのは見たことのない品物だった。

 箱の中に、何かいるのがわかる。息をひそめている。

 箱には天鵞絨ビロードが貼られていて、四隅に真鍮しんちゅうの飾りがついていた。飾りは葡萄ぶどうの房を模していて、蔓を蓋の中心に向けて伸ばしている意匠だ。

「お探しのものはこちらかと思います」

 師匠が箱の表面を撫でると、音を立てて蓋が開いた。白の絹でできたクッションの上には、指輪があった。

 カッティングは施されていない。まるで朝露の玉のようなぷっくりとした形をしている。真紅というには薄いが、赤というには深すぎる、そんな微妙な色をした石だ。

「私、買い物に来たんじゃないんです。道に迷ってしまって……」

 少女はそう言っていたが、視線が指輪から離れない。

古物こぶつは人を引き寄せるのですよ」

 師匠は自然な動きで少女の手を取り、右手の中指にその指輪を嵌めた。少女は一瞬身をすくめたが、あとはなすがままだった。鈍い銀色のリングは、まるで彼女のためにあつらえたように指を滑り、指の根元に止まった。

 ぎこちなく少女は指を広げ、眩しい陽を遮るように自分の指を見つめていた。赤い石が、艶やかに光る。落日の色だ。小太郎はふと昨日読んだ本のことを思い出していた。宮沢賢治の、うさぎの子供が不幸になる話。なんだったか。あれにも赤い石が出てきた。そんなことに気を取られていると、指輪を見つめる少女の瞳から涙が溢れていた。

 師匠を見ると、彼は、目でさっきまで小太郎がが座っていた椅子を指した。

 小太郎はそれを持ってきて、「どうぞ」と彼女にすすめる。

「ありがとうございます」

 彼女は鼻を啜りながら腰を下ろした。

 ティッシュの箱も手渡す。彼女は俯いてまた「ありがとうございます」と繰り返した。長い髪が顔を隠している。彼女は指輪を外そうとはしなかった。時折石の表面を撫でている。

 もう、古物に魅入られている。

 彼女はこれに呼ばれたのだ。

 さあ、始まるぞ。小太郎はひそかに身を引き締めた。

 四辻堂の商。それは古物を売り、ときに買い取ること。




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