四辻骨董店の商い

いぬきつねこ

大風登

 大風が来ると天気予報で言っていたので、小太郎は店の雨戸を閉めて回っていた。

 空はまだ薄曇りだが、言われてみれば身体中の毛が逆立つような、低気圧特有の気配を感じる。

 店の中では小太郎の師匠が何やら頑丈な網を準備していた。

 背中に無造作に垂らした長い黒髪の美丈夫で、紺碧の目の色をしている。

 それが珍しく真剣な顔で大きな投網のようなもののほつれを点検しているのだから、なんだが似合わないなと小太郎は思った。

 店中の古物が今日は騒がしかった。

 ずっとずっと昔に祭りで使われていた鬼の面は口に開いた穴から笑い声をあげているし、はるか西の国でやはりずっと昔に使われていたという薄青い盃には、芳しい葡萄の香りの酒が湧いていた。

 小太郎の師匠であり、この古物店の店主はそれを舐めながら網を繕い、なぜかにんまりとして空を見ていた。

 この店の名は四辻堂という。

 店は地図に載っていない、細い通りが交差する真ん中に建っている。店は四本の道をすべて遮り、そして四方の道全てがこの店の中を通ってまた伸びている。

 店までの道筋を説明することはできなかった。

 古いものを買うものと、古いものを売るもの。都合が合えばこの店が建つ四辻へと訪れる。

 さっきは人を真似るのが苦手な何かが、土塊つちくれにしか見えない姿に背広を纏った不恰好な姿でやってきて、分厚いガラス瓶と金を置いていった。

 ここ数日、そういう客が多い。

 皆ガラス瓶と金を置いていく。

 小太郎はここに奉公に来て日が浅いから、何があるのか知らなかった。

 知らなかったが、それが今日なのだろうということを、今は隠してある尻尾の膨らみと静電気の調子で敏感に感じ取っていた。

 言いつけ通り、南側の窓と、片側の勝手口だけは開けておく。

 遠くで雷が唸り始めていた。

 看板を店の中に入れ、今日は早めの店じまいだ。

「さあ、小太郎。これを持て」

 師匠が酒に酔った足取りでやってきて、小太郎の手に小さな網を持たせた。

 竿の先に輪っかがついていて、そこに袋状の網をかぶせたもの、つまり虫取り網である。

「破れたら他にもたくさん用意してあるからな。じゃんじゃん捕まえてくれ」

「何をです?」

 小太郎は反射的に持ってしまった、その蝉くらいしか捕まえられそうにないひ弱な網を見た。

たつの子だよ」

 師匠はさっきまで繕っていた投網をぱっと開げた。

 網は虹色に光り、複雑に編み込まれた糸の流れが特殊な力を帯びているのが見える。

「この中に囚われたらどんなに暴れても出てこれない。竜の子の鱗は何にでも使える。そのままでも装飾品になるし、乾燥させて砕けば薬にもなるし、組み合わせれば楽器にもなる。竜の子の肉も美味い。大人になってしまうと固くて食えないが、幼体の肉は甘くて、滋養がある。一仕事したら煮て食おうな」

 酒の力なのか、その竜の子とやらがそれほど美味いのか、(しかも、食材としても商売としても美味いのだろう)師匠はいつになく饒舌だった。

「ぼくは竜の子について何も知らないんですが、どうやって捕まえたらいいんですか」

「竜というのは、干支の竜のことじゃない。俺たちが竜と呼んでいるだけのものだ」

 師匠は店に無造作に置かれた葛籠つづらの上に腰掛けた。

 いつの間にか、あの薄青い盃が手のひらに乗っていて、師匠は水でも飲むようにすいすいとそれを口に運んだ。

「竜は定期的に産卵し、それが山の中である程度まででかくなる。そして、今日みたいな大風の日に一斉に空に舞い上がる。大風の目に向けて、大気をのぼるんだ。今回はその経路にこの店がある。だから俺たちはそれを捕らえて売る。いいか、今日だけは俺たちは漁師だ」

「獲っちゃっていいんですか?」

 小太郎は全身に感じる低気圧の予兆が大きくなることにも困惑しながら尋ねた。

「せっかく竜になろうとしてる稚魚みたいなものでしょう?それを獲っちゃって、生態系に影響はないんですか?」

「根こそぎ獲るわけでもなし。なによりあの数が全部竜になったらこちらの生態系に影響が出る。調整みたいなもんだよ」

「噛んだりしないんですか?」

「牙なら俺やお前の方がずっと鋭い。まだ幼体だからな。問題はない。素早く捕まえて、あとはこの中にどんどん放り込め」

 師匠は、またしてもいつの間にかそこに出現していた巨大な鉢をぽんぽんと手で叩いた。

 茶碗を巨大化させたような丸っこい鉢だった。水蓮鉢にも似ていて、覗きこむと底にやはり何かのがかけてあった。中には、少しとろりとした透き通った液体が入っている。

「幼体は泥の溜まった水の中で過ごしているから、ここに入れて泥を吐かせる。竜の子の大移動を風登カゼノボリというんだが、それが終わる頃には最初に鉢に入れたのが食べ頃になってるだろう」

 店の窓ガラスがガタガタいい出したので外に出てみると、風が出ていた。空はすっかり暗くなり、遠くの方で鳴っていた雷鳴がみるみる近づいてくる。

 雲の中を、細い稲光が走り抜けた。

 店に戻ってラジオをつけると、「近年稀に見る大型台風」とキャスターが告げていた。

 店の中はもう騒がしいを超えて、祭りになっていた。店に並んだ瀬戸物たちは自分の足で座敷の方に避難している。徳利とっくりに細い手足が生えたものが躓いて転び、縁が欠けた。しょんぼりとしてその場でシクシク泣くので掴み上げて座敷に上げてやる。徳利の涙は酒の味がした。

 硝子棚に並べてある正体不明の箱の中から、黒い羽虫の大群に似たもやが出て、箱にかけられた封印の組紐を引きちぎろうとしているのを見た師匠が、手早く雁字搦めに紐を巻き直す。師匠はそうして硝子棚に南京錠をかけてしまった。

「竜の子が来ると気が乱れる。封じられたものはそうした瞬間を待ち望んでいるんだ。売り物に出て行かれちゃ困るからな」

 葛籠つづらのいくつかをひょいひょい抱えて座敷の方に放る師匠は、先ほどまでの黒髪の美丈夫ではなく、琥珀色の目の蓬髪ほうはつへと姿を変えていた。こう度々姿を変えるということは、この人も浮かれているのだ。

 風登りがどういうものかわからない小太郎は浮かれようがなかったが、それでも獣の本能というべきものがむくむく膨らんで、駆け回りたいような、人の形を捨て去って飛び回りたいような衝動を押さえるのが難しくなってきた。

 しばらくは壊れやすいものを奥の座敷に運んだり、戸締りを点検したりしていたが、その時はやってきた。

 店の南の窓から、すごい勢いの風の塊が吹き込んできたのだ。

 風の塊としか言いようがなかった。

「捕まえろ!」

 師匠の声に咄嗟に振った虫網は虚しく空振りし、小太郎はそれを顔面にもろに受けて後ろにひっくり返った。それでも素早く風の中にいるものに両手を食い込ませたのは褒めてもらいたいところである。

 風が顔に纏わりつく、赤とか緑とか橙のオパールのきらめきに似た遊色ゆうしょくが目の前で踊る。

 手の中の何かが悲鳴をあげると、風は色を失った。

 ひどくぬるぬるする。両手で持っていられなくて、小太郎はそれを抱きかかえた。

 首を絞められた鶏みたいな声でわめくそれは、丸い口をぽっかりと開けた。

 口の真横に短い髭があり、丸い目がぎょろぎょろ小太郎を睨んだ。

「鯉……?」

 小太郎が知っている生き物で最も近いのはそれだった。大きくて規則正しく並んだ鱗も、口髭も、丸くてぱくぱく開く口も鯉に似ていた。魚を思わせる尾までそっくりだ。

 しかしこれには鰓はなく、そして、トカゲに似た短い手足がずんぐりついていた。

「おい!次が来るぞ!早く竜鉢に入れろ!」

 師匠に急かされて、小太郎は竜の子を鉢に投げ込む。竜の子は身をくねらせて鉢の中に落ちた。

 その一匹が先鋒だったようだ。

 どっと風が吹き込んできた。

 店の中が鮮やかな遊色で瞬く。淡く、濃く、明滅を繰り返す風に乗って、竜の子がやってくる。彼らは風の中を泳いでくる。体をくねらせ、風の中で回りながら、半ば翻弄されているように風に乗ってくる。泳ぐのは得意ではないらしく、流されているというのが正確なところだ。

 風に触れていると、小太郎はやはり何だか血が騒いだ。この風は大地の深いところからやってきたのだ。山の生命が帰り、また生まれる場所から吹き上がったのがわかる。

 小太郎もまた山で生まれたので、懐かしいこの風に、命が呼応して奮えてくる。

 小太郎は虫網を振り回して竜の子を捕らえる。

 無理に追いかける必要はない。

 風に合わせて待ち構えればいい。

 そしてそれを師匠が竜鉢と呼んだ鉢に入れていく。いつまでも満杯にならない。不思議だ。

 師匠はあの網を広げて投げていた。

 蜘蛛の巣のように広がった網の中に、いくつもの竜の子がかかる。それを慣れた手つきで竜鉢に落としていく師匠も、普段の物憂げさは消えていた。

 乱獲と言って間違いない暴挙だったが、それでもかなりの数の竜の子が小太郎の手にも師匠の手にも捕まらずに北の勝手口から出て行く。

 なるほど。獲り尽くすのは無理なはずだ。

 轟々という風に乗って、まだまだやってくる。

 小太郎は店の天井を通過しようとする一匹を跳ねて捕まえた。すでに自分が人の姿をとることを忘れて、赤茶色のふんわりした毛皮の獣に戻っていることに気がついた。

「殺すなよ!鱗を傷つけると値が下がる!」

 両腕に竜の子を抱えた師匠が叫ぶ。

 師匠の髪は風の中の色を吸い込んで、乳白色に、赤と緑と橙に次々と色を変えた。

 小太郎もここ久しく発揮していなかった獣の跳躍力と速度で店の中を駆け回った。

 かなりの時間そうしていたような気がしたが、時計を見ると30分にも満たなかったのである。

 通り過ぎる竜の子の尾に飛びつこうとして跳ねた小太郎の体を、師匠がふんわりと捕まえた。

「あれで最後だ。行かせてやろう」

 そして、竜の子を追って北の勝手口をくぐる。

 小太郎は師匠の腕の中で、「ああ、祭りが終わってしまうんだなあ」と悲しくなった。ぴいぴい鼻が鳴るのを見た師匠が吹き出した。

 外は大荒れだった。

 あの虹にも似た不思議な風ではなく、気圧の谷間が生み出す風が渦巻いている。

 師匠の周りだけ切り取られたように無風なので少し安心した。

 どこかの看板が空高く舞い上がっていく。

 電線が激しく揺れていた。

「ほら、あそこだ」

 師匠が指差す先に、ちらちらと瞬くものがあった。

 それは、逃げ延びた竜の子たちが空に登っていく姿だった。彼らの鱗が白く美しいことに、小太郎はその時初めて気がついた。

 鱗を煌めかせて、空の彼方へと登っていく。

「ああやって今度は空で千年生きて、さらに生き延びたものだけが竜になる。あれが見える者が、鯉は滝を登ると竜になると言ったのだろうな」

 風が巻き上がる。

 最後の竜の子が、風の中で回転しながら空高く登っていく。どれが生き延びるのだろうか。

 祭りなのだと思った。風登りは、竜にとっても、他の古いものたちにとっても、心を躍らせ、古の風に触れる祭りなのだ。


 店に戻り、大急ぎで窓を閉めると、店中にキラキラする鱗が散っていた。欠けたり傷ついたりしてはいるが、真珠色の鱗は美しかった。

 師匠はそれをほうきで掃き集め、ガラス瓶に詰めた。

「これは薬になるんだ。命が尽きかけているものの命をほんの少しだけ伸ばせる。目眠る前に少し舐めれば好きな夢が見られる。だから薬売りの連中は喉から手が出るほど欲しいのさ。高値で売りつけよう」

 長く生きていると金に無頓着になると小太郎は聞いていたが、師匠はいつまでも俗物である。この途方もなく長生きの化生の者の趣味は、その時代の貨幣のコレクションである。

 小太郎は竜鉢を覗き込んだ。今はもう人の姿に戻っている。

 不思議なことに、とろりとした液体が鉢の真ん中あたりまで入っているようにしか見えない。

 師匠がその中に無造作に手を突っ込んで、掻き回した。引き抜いた手には一匹の竜の子が握られている。

「小太郎が最初に捕まえたやつだ」

 びちびちと動く竜の子を片手に、師匠は台所の扉を開ける。

「勘定場の横にある瓶を持ってきてくれ」

 小太郎は返事をして店に引き返す。

 勘定場の棚の上に、薄青色の瓶があった。今日着た客が金と一緒に置いていったものだ。

 それを抱えて台所に向かう。

 流しの横にある調理場には、まな板が置かれ、竜の子はその上で動かなくなっていた。まな板の横に、銀色の針が置かれている。

 殺すところを見るのは忍びないなという気持ちと、どうやったら竜の子は死ぬのかという好奇心がせめぎ合っていたので、小太郎はじっとその亡骸を見つめた。

「顎の下を針で突くんだ。苦しませると不味くなるし、突き方が悪いともう売り物にならない」

 師匠は竜の子の鱗に逆らって包丁を当てて、丁寧に鱗を落としていく。欠けていないものを選んで、小太郎は小瓶にそれらを集めた。

 竜の子に包丁を入れても血は出なかった。

 生臭さもない。ただ、どことなく森の奥の土のような香りがする。

 魚であれば鰓がある辺りに包丁を当てて、師匠はゆっくりと注意深く肉を開いた。

 意外と生き物らしい内部をしている。

 大きな白いものは肝臓だろうか。

 それに隠れるように、艶々と光る黒い球体があった。師匠がつまみ出す。

「竜玉だ。これを傷つけるとあっという間に毒が回って、肉が全部消えてしまう」

「毒があるんですか?」

「飲んだら猛毒だ。でもな、これを乾かして煎じて、水を混ぜて塗り薬にする。すると姿が消えるんだ。力が弱くて隠れ蓑が着れない天狗が挙って買うから、これも高く売れる。瓶を貸してくれ。空気に触れると劣化する」

 師匠はそのビー玉くらいの竜玉を瓶の中に入れ蓋をした。

「さて、捌くか」

 肉は柔らかいらしく、師匠はさくさくと身を切り分けていく。その合間に小太郎に「葱」とか「醤油」とか「宵待蓮華よいまちれんげの根」とか「塩」とか「生姜」とか、「歌班妙うたはんみょうの羽」とか指示してくる。小太郎は言われたそれらを言われた分量だけ鍋に入れて煮立たせた。

 鍋は2つ用意され、片方には肉が、もう片方には内臓が入れられた。落とし蓋をして、ことことと煮る。

 煮汁が沸々と沸くにつれて、なんとも言い難い香りがした。森の朝の空気と、朝露を戴いて開く花の香りを混ぜたような、およそ生き物の匂いとはいえない爽やかで芳しい香りだ。植物を嗅いだ時のような清浄な香りが鼻腔を通り抜けてくる。

「本当は少し置いた方が美味いんだが、まあいいだろ」

 皿に盛られた竜の子の煮付けともいうべき料理は、肉にも魚にも見えた。煮汁を含んで茶色くなった肉に箸を刺すと、湯気と共にあの香りが漂い、すぐに煮汁の匂いへと変わっていく。

 竜の子の肉は、舌の上でとろけた。

 白身魚のような食感がしたのは一瞬で、意外にもその後は柔らかく似た冬瓜のように水になって消えてしまった。しかし、暖かい活力とでもいうものが確実に腹に溜まっていく。

「美味しいです」

「滅多に食べられるものじゃないからな。たくさん食え」

 師匠は肝の似たものを肴に、またあの薄青い盃から酒を飲んでいた。

 肝も少しもらったが、こちらは舌が痺れるように辛かったので小太郎は文字通り飛び上がって、師匠を大いに喜ばせた。

 同じ煮汁で煮ているのにどうしてこうなるのだと訊くと、竜の子は泥の中にしか生えない香草を好んで食べ、その香草が持つ特殊な物質を肝に溜めるのだそうだ。それが老廃物として固まって竜玉をつくるのだが、肝の中にあるうちは毒素が薄い代わりにひどく辛い。珍味として人気があるが、獲ったその日しか辛味が味わえないので貴重なのだとか。

「あと百年もして大きくなったらお前も食べられるようになる」

 師匠は満足そうに皿を空にして、煙管を吸っていた。

 小太郎は皿と鍋を洗い、ついでに竜鉢を覗き込んだが、やはり竜の子の姿は見えなかった。

 ただ、とろりとした水の奥から、ぷかぷかとあぶくが上がってきていた。

 風がまだ店を揺らしている。

 今もまだ、竜の子たちは飛んでいるのだろう。

 真珠色に輝く乳白色の鱗を閃かせ、やがて風脈を統べる大きな竜になる日を夢見ているのだろう。

 師匠に欠けた鱗を1枚くれないかと頼んだ。

 何に使うのかと聞かれたので、夢を見るのだと答える。答えた途端に、どっと疲れと眠気が押し寄せてきた。

 それでも丹念に鱗の水気を拭き取り、砕いた。

 本当は乾かして煎じる必要があるらしいが、少しくらいは効果があるだろう。

 砕いたものを水と一緒に飲む。

 師匠は欠けてしまった徳利のを金継ぎしてやって、お礼にと振る舞われた酒をまだ飲んでいる。徳利はキンキンと高い声で笑っていた。

 店はまだ、祭りの余韻が残っている。

 小太郎は寝床に潜り込んで、目を閉じた。

 そうして、美しい鱗を閃かせて、暁の空を飛ぶ竜になった夢を見た。











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