若葉オン・ユア・マークス

ミナトマチ

第1話  若葉オン・ユア・マークス

昔見た映画に、こんな場面があった。

主人公の少年が、ガレージの上のちょっとしたでっぱりに上り、片方の足だけ外に出して、振り子のようにプラプラさせながら、何やら難しい本を読んで、ノートに細かく書き連ねているいつかの休日。

その映画は海外のスーパーヒーローが登場する映画で、アクション映画らしく、主人公顔負けのスーパーヴィランとの死闘が、何よりも見せ場なのだが、おかしなことに一番記憶に残る場面とは、そんなどうでもいいような場面であった。

こと椎名陽子しいなようこにしては、さらにめずらしいことであった。

絶賛売り出し中の若手俳優が主演だとか、SNSで話題だとか、友達の付き合いだとか‥‥…とにかく、何かしら理由がないと映画など見られない女子高生だった。

しかし、好んで見ないにせよ、好きなジャンルはアクションである。

恥ずかしげもなく「頭を使わなくてもいいから!」と友達にうそぶいていたのは、シャレでもなんでもなくて、深層心理から絞り出した純度100%の本音だった。

ラブコメやミステリー、SFはまだアクションに共通するものがあるが‥‥…とにかく、ノンフィクションなどには触れてこなかった。

派手な演出やバトルシーンしか、記憶に残らないからこそ、そんなガレージの上の少年を覚えていることは珍しい体験だったのだ。

思えば、映画のそういう仕草が……つまり「高いところにいる」というのが、陽子の中で「少年」の定義として確立された瞬間なのかもしれない。

それがまさしく、すすったブラックコーヒーが意外に熱くて、パッとカップを口から遠ざけている目の前に座る少年を、陽子が「少年」と呼ぶ第一の由縁である。


「ねぇ少年。ちょっと聞いてもいいかな?」


「フーッフーッフ―――ッ……あ、はい。何ですかヨーコ先輩?」


「部活前とか、昼休みとかに部室棟の……屋根のところにいるみたいだけど、あんな高いところで何やってんの?」


「フーッフーッ……ズズッ‥‥あっつ……あ、いえ、特に何もしてませんよ?音楽聞いたり、雲を眺めたり‥‥・昼寝もしますし……読書もします!」


少年はニコッと笑って机の上に置いていた紙袋をトントンと指でつついた。

この喫茶店に併設された本屋で購入したものである。


「あ‥‥そっ…そうなんだ……えーと……」


……会話が続かない……べ、別に普段の部活みたいに話せばいいだけなのに‥‥


普段の彼らは同じ部活の先輩、後輩の間柄である。

少年は始めたばかりだったが、陽子の方はかなりの実力者で、苦手科目は5教科という、神をも恐れないようなことをのたまっておきながら進学できたのは、部活の成績のおかげだったりするのだ。

普段はそれこそ姉弟のように、小気味よい調子で、ちょっとした軽口なんかも叩けるような関係なのだが、実は学校外で会うのは、初めてであった。


「それにしても、ヨーコ先輩読書とかするんですね。意外でした」


とか、意外って何よそれ‥‥・本ぐらい読むっての!」


まったくの嘘である。こと小説なんぞ、教科書でお腹いっぱいだった。

だからなのかちょっと頬を赤らめて、プイっと顔を背けながら、右手にもったカップのストローを噛んだ。

クリームが乗った、いかにも写真映えしそうな飲み物である。

トップアスリートのようにとはいかないが、陽子も体づくりには日頃から気を遣っており、甘いものなど普段は摂らない。しかしかと言って、甘いものが嫌いというわけではない。

単純に、こういった店ではそんな新作だとか限定だとかしか注文したことが無いだけである。


「あはは、すいません…ずずッ・・・・・あっつ!……?おかしいな、全然冷めないや」


「‥‥・もうちょっと待ってみたら?」


「いやぁ、でも…ブラックコーヒーは熱いうちに飲むもんでしょう?」


「何よそのポリシー……あはは」


「僕、そんな変なこと言いましたか?」


ちょっとムキになったような、はにかんだような仕草。

こういうところが、案外最も「少年」と感じる部分なのかもしれないと陽子は改めて思った。

しかし本当に改めて見ると、少年は確かに、全体的に「少年」であった。

高校一年生というのは、まだ子どもっぽさが残っているものなのだが、少年は同級生と比べてもさらに子どもっぽかった。

背丈も……実は、それほど大きくはない陽子とほとんど変わらないほどであり、

顔つきも…まぁ悪くないのだが7いや、8、9トーンはあろうかという驚くべき茶髪もあってか中性的な感じがするのだ。

染髪は禁止されているため、これが地毛であることを証明するのが難しかったと言っていたのを陽子は思い出していた。

そんなわけでクラスの女子ウケは、どうも他の男子生徒と比べると文字通り毛色が違っていたりしていたのだ。

そんな2人の、今日の会合はほんの数時間前にさかのぼる。


「えっ?彼氏クンの都合がいてたみたいだからそっちに行く?いや、香奈も塾でこれないって連絡が……えっ?埋め合わせはまた今度……ってちょっと!?…ったく」


陽子にとって、どうやら今日は星のめぐりあわせが悪い日のようであった。

一人で遊びに行くようタイプではないので、普段つるんでいる2人と行動するのが常なのだが……


「彼氏と友達どっちが大切なんだよってね。はぁ……1人で行ってもなぁ‥‥でもこのまま帰るのも……うーーん」


友人のことはよくわかっており、批判というよりも、ひがみのようなものなので、もちろん陽子に電話越しの相手に対して言葉以上の悪意はない。

しかしこうなってしまえば、喫茶店にも、ましてや本屋などに用はないのである。

だが、元々決めていたことに水を差されるのは、陽子が最も嫌悪する行為だ。

たまには、いいかな。

なんだか、普段の自分とは別人になったような気がして…さも、勉強ができる、優等生になった気分で陽子は初めて意味もなく本屋に入ったのだった。

なにかのバラエティで、本屋に行くとお腹を壊すというのを見たことを思い出した陽子だったが、お腹ではなく、頭が痛くなった。別人にはやはりなれないらしい。

週刊誌のコーナーまで足早に進んで何気なく一冊手に取ってみた。どこかのアイドルなのか、女優なのかは知らないが、眩しい笑顔を向けていた。陽子は辟易してページを進ませる。

というのも、芸能人と比べること自体がそもそもあほらしいのだが、陽子にとっては気にせずにはいられないことがあった。

名前に負けない「太陽」を感じさせる健康的な褐色が、袖まくりしたワイシャツによく映えており、シャープさや流線形を彷彿とさせる、すらっとした手足がどこか野性味を感じさせる体つき。

絶世の……などと書くわけにはいかないのだが、本来陽子は「よさ」の方が目立つ少女であるはずなのだ。

しかし、陽子はそんな自身のよさをよさであると認めてはいなかった。彼女の中で「よさ」とは、第一大人っぽくて…そして透明感のある「純白」でありながら、丸みを帯びた、光を彷彿とさせる「柔らかさ」のことなのだ。

芸能人であろうと、同級生であろうと、そういった相手を目にすると、なんだか自分の悪い所が突き付けられているような感覚に陥る。

陽子にとって、名前に負けてしまう唯一のネガティブであった。

立ち読みの週刊誌でもやはり限界があった。漫画も特に読まないので、本格的に帰ろうとした時、通路の奥で見知った顔が、これまた高い台に上って手を伸ばしているのが見えた。


「あれは……少年?」


ゆっくり近づいてみるとやはり少年である。

不親切な棚だなと思いながら、少年の顔を見上げた。

こちらに気づく様子を微塵も見せずに手を伸ばす少年に、少しむっとして軽く咳払いした。


「……ゴホンッ…」


「‥‥…あれ、ヨーコ…先輩?奇遇ですね!部活休みだから、喫茶店ですか?」


「随分高いところの本が欲しいのね少年……って、本屋の中で、なんで喫茶店が先に出てくんのよ」


思えばこの時点で、少年に、陽子の中の「なにか」が察知されていたのかもしれない。

ようやく取れたようで少年はニコニコしながら台を降りてきた。


「いえ、普段友達と行かれてるのを前に聞いたもので……もう解散したんですか?」


「それがドタキャン食らっちゃってね。1人でどうしようかなぁって。それより‥‥…」


難しそうな本読んでるのね。

陽子はおそらく、人生で一度も訪れたことが無い、そしてこれからもないであろう、新書コーナーの棚を見ながらそう呟いた。

真っ白な背表紙に、黒い文字だけが描かれた漫画の単行本ほどの本が、西洋建築の煉瓦構造のように、整頓され敷き詰められていた。


「ああ、これですか?いいでしょう?……動物分布に関する本ですよ。収斂進化しゅうれんしんかっていって、グループとしては違う種なのに同じ環境に生息することによって同じような形質を獲得云々‥……」


こいつはいったい何語を話しているのだろう?

そう思いながら陽子は、しらけ切った目で少年のキラキラ光る瞳を眺めた。


普段、部活では誰かの隣でニコニコしてるだけのに、こんなによく喋るとは……


陽子の知らない一面だった。


「あ、あーーーもういい、分かった。その修練だの鍛錬だのの進化は分かったから!それより少年、どうせ暇でしょ?おごったげるからちょっと付き合いなさいよ」


収斂進化ですよ!という訂正を無視して、陽子は後ろの喫茶店を親指で指した。


「暇って……まぁ暇なんですけどね。おごりなら行かない理由が無いですね。……先輩ったらさみしがり屋ですねぇ~まったく……」


その先を言う前に陽子のボディーブロー(強め)が炸裂した。

こうして時間は今に戻って来る。


「そうだ、ヨーコ先輩。今度の大会頑張ってくださいね」


コーヒーも大分飲めるようになってきたころ、少年は思い出した感じで唐突に切り出した。


「もちろんよ。今度こそ丸ノ内には負けられないからね」


「この前は本当に接戦で……見ているこっちが熱くなりましたよ」


丸ノ内とは、隣のライバル校に在籍している高校二年生にしてエース、丸ノ内風花まるのうちふうかのことである。

表彰台はほとんど陽子と風花が席巻せっけんしており、勝った負けたを繰り返している正真正銘のライバルだった。


「応援してくれるのはいいけど、少年だって出るんでしょう?ならまずは自分の心配が先じゃない?」


「そう……ですね。まぁ、僕は勝とうが敗けようがどっちでもいいんですけどね」


そんな一言に、陽子の眉が動く。聞き捨てならないひと言だった。


「なによそれ、どういう意味?」


怒気を孕んだオーラに気付いたのか、少年はかぶりを振って慌てて付け加える。


「あ、いや別に不真面目にやりたいとか、どうでもいいって意味ではないんですよ。悔しさだって感じますし、向上心もあります!でも僕は、走っているだけで楽しいんです。みんなと練習している、走っている時間に命と言うか、生きている実感が湧くんですよ」


そういわれると陽子の脳裏に普段の少年がもんもんと現れてくる。

少年はどんな練習でも笑顔を絶やさなかった。

やせ我慢や、不敵な…そんな無礼なものではなく、とにかく楽しくって仕方がないという笑顔。

陽子にだって練習をやりたくない日もあれば、手放しに「やろう」と思えないキツイ練習もあった。

だが少年は「少年」で、嫌・怠・辛を感じさせなかった。見せなかった。

初めて走りを覚えた子どものように、大地を蹴るのがくすぐったそうな‥‥いつも新鮮そのものだった。

陽子は、初めはどこか頭のおかしい後輩だと思っていたが、いつの間にか、どこかそんな少年の笑顔に救われるようになっていた。自然と、練習中に少年を見るようになっていた。


「クスッ……なんかそれ、少年らしいね」


「そう?…ですか?僕らしい……」


すこし考え込むような姿勢で少年はちょっと明後日の方を見るのだった。

カフェの雑踏‥‥…もちろん外ほどではないが、店内もあの独特のチャカつきが充満している。心なしか、人も増えてきた。


「それと、ヨーコ先輩、その『少年』っていうのやめてもらえませんか?部活とかならいいんですけど、学校とか、こんなところでっていうのは、その……」


さすがにちょっと恥ずかしいです。

しばらくしてからそれを聞いたので、陽子は少しびっくりした顔でスマホから目を離した。


「へぇ……少年はこのニックネーム、ハズカシイって思ってたんだ」


陽子は茶化すように、ニヤついた、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「当たり前ですよ!もう高校生なのに少年だなんて。すっかり浸透しちゃったじゃないですか!!」


「あはははっ…なら、よかったじゃない。それより、この私に名付けてもらったんだから、むしろ感謝しなさいよね」


「はぁ‥‥自分で言ってなんですが、もう今に始まったことじゃないんで、不本意ですけど……」


少年が不服そうにしながらも食い下がる形で決着がついたのだった。

そうして間もなく、2人そろって喫茶店を出た。

帰り道は反対方向だが、外に出ても何故だかすぐには解散しなかった。

少年が帰る、駅の方へ2人並んでだらだらと歩きながら。

とりとめもない話に花が咲いて、お互いの知っているようで知らないことが見つかっていく。

陽子にとっても、少年にとっても楽しいひと時だった。


「もう駅ですね。すいません先輩、わざわざついてきてもらって」


「別に、少年をつき合わせたのは元々こっちだし。それに私は、少年の先輩だからね」


「ふふ…頼もしい先輩です。それじゃ先輩、また明日!お気を付けて」


「サンキュ。少年もな!」


カッコよく分かれて、陽子は夕日をバックにもと来た道を引き返した。

明日の部活が少しだけ楽しみに思えた。

近づく秋を感じさせるやや冷たい風が、陽子の短い黒髪を撫でていく。

そんな風とともに、向こうから、見かけたようなエプロンをかけた女性がはっとして足早に近づいてきた。

気づけば先ほどの喫茶店ぐらいにまで戻ってきていたのだ。


「よかった、まだ近くにいた!あの、これ忘れものです。お客様が帰られた後椅子の下から……」


喫茶店の店員は少し汗をかいていた。

喫茶店と駅の距離というのは格別離れているというわけではない。

しかし、肩で息をしているのを見る限り、かなり探していてくれたに違いない。


「あ、すいません!わざわざありがとうございます。って……これ、少年のだ」


手に握らていたのは質素なカバーに包まれた定期券だった。


こういうところが少年なのよねぇ……帰るのに困るじゃない。


陽子は苦笑しながら、駅でおそらくオロオロしている少年を想像して、本格的に笑いそうになりながら、お礼を言ってすぐに踵を返した。

自慢の健脚なら、こんな距離アップにもならない。

陽子は軽やかに駆け出した。

ほどなくもせず、さっきの駅に着いた。

そう時間は経っていないはずなので、駅の構内を見渡してみる。

帰宅時間なので、人ごみが多く、戻るよりも探す方に労力を使った陽子だったが、やっとのことで少年らしき少年を発見した。


「あ、おーーい!しょうねっ……ッ!?」


陽子はそこで絶句してしまった。

人違いだったわけではない。間違いなく少年だった。

というより、少年だったからこそ信じられなかった。


構内のベンチに…その少年の隣に、見知らぬ女学生が座っていたのだ。


隣掛けたのが、見知らぬ誰かで偶然……ではないはずである。少年がオロオロするどころか、その女学生とにこやかに談笑していたからだ。

見た感じ自分より歳上で、しかもあの丸ノ内が在籍する、隣の高校の制服に身を包んでいた。

8、9トーンはあろうかという室内であっても目立つ茶髪に、潤×純のような色白。そしてなにより、たった今目の前を横切った会社員や学生たちが思わず二度見するような、もう「どこが」と言うのも億劫な殲滅兵器グラマラス


完膚なきまでの美少女だった。


「うっ……あ、あれ‥……??」


陽子は少年の忘れ物を返さずに、なぜだか頭が真っ白になって、ただ自慢のだけを頼りに、人目も気にせず、やっぱり訳が分からないまま駆け出していた。

噛み締めた唇が異様に痛くて、髪とスカートとカバンが狂ったように騒いでいる。

楽しみだった明日が、急に不安になってしまったのだった。


「……あれ、今さっき……」


「どうかしたの、?」


「いや、さっき先輩の声がしたような気がして…」


「それって、さっきまで一緒だったっていう?」


「そう。先輩。コーヒーおごってもらったんだ!っていうか、その少年っていうのやめてよ、


少年、と言う時の子どもっぽい笑みが、陽子になんとなく似ている美少女は、相変わらずニヤニヤしながら、でも、なぜか目が笑っていない顔でそのまま続けた。


「最初は私の大事な弟に、なんて綽名あだなつけるんだって思ったけど‥‥なんかしっくりくるのよねぇ……でもでもでも。おねーちゃん知らなかったなぁ‥‥」


「な、なにが?それよりねーちゃん、なんか目が……」


「先輩が女の子だってこと。普段よくあなたから聞く先輩って、もしかしておんなじ人じゃないよね?」


「い、いや…お、おんなじ人……ヨーコ先輩だよ?あれ?ねーちゃんに言ってなかった……っけ??」


姉の目がどんどんジト目になっていく。

こんな姉の姿は見たことがないので、少年は困惑するばかりだった。


「ぜーーーーーーーーーーーーーーんぜん、聞いてなかったなぁ~私は男子生徒特有のノリだと思っててほっとしてたんだけどなぁ~…で、あなたいつからジャ●プからマ●ジンに転向したの??」


やれやれといった風にのけ反って、その時余計に目立つ姉の隆起には、さすがの少年でも目のやり場に困る。

少年は隣を見ないようにしながら何でもないように付け加えた。


「な、なんかねーちゃん勘違いしてない?別にそんなんじゃないよ。ただ‥‥…?ただ、そうだ!先輩の走りが好きなんだ!健康そうっていうか、活発?野性味?と…とにかく、ヨーコ先輩の走っているところが……」


ピシッ


ばっと姉の方を向く、そんな少年の眉間を。

彼女の細い指から繰り出された、タイミングばっちりの鋭いデコピンが見事に貫いたのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

若葉オン・ユア・マークス ミナトマチ @kwt

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ