3話 激励


 水城さんを見た瞬間、わたしの額にじんわりと汗が浮かぶ。

 坂木さんの事務所に所属しているから、いつか会うことになるとは思っていたけど……。

 水城さんはほぼ所属フリーみたいに自由に活動しており、事務所から放し飼いされてるって噂だった。

 それなのにどうしてここに。


「おはよう絢音。今日はあなたに担当してもらうアイドル……いや、タレントの紹介をしたいんだけど」


 坂木さんは苦笑いしながら、水城さんに目配せした。

 い、嫌な予感……。


「ま、まあ? 経緯は色々あるけど、アンタらって付き合い長いわけだし」

「まさか、わたしの担当ってMIZUKIさん……?」

「うん。絢音にはMIZUKIの担当をしてもらいたいと思います」


 それ聞いた瞬間、わたしが眉をムッと顰めたからか、水城さんもまた不機嫌な顔になる。


「どうしたの絢音? もしかしてわたしを担当するのに不満でもあるの?」

「不満しかないです。なんでわたしなんですか! わたしは新人アイドルを任せて貰えるものだと思って」

「あのね絢音。よく聞いて」

「は、はい」

「新人アイドルの方が山ほどやる事があるし仕事を取ってくるのも苦労するものよ。それに引き換えMIZUKIなら、こっちから断るくらい仕事が来るし、あなたが無理をしなくても自由に仕事をやってくれるから」


 でもこの人……かなり自由人だし、厄介ごとを押し付けられているだけのような。


「別にわたしは、絢音が無理っていうなら今後もマネージャーは無しで大丈夫ですけど」

「無理なんかじゃありません! 坂木さん、わたしMIZUKIさんの担当、や、やります!」

「おお、良かった。それじゃ早速今日から二人でよろしく」


 ムキになったわたしは、挑発に乗る形で受け入れてしまったが、かつて喧嘩別れをしてもう会わないとまで言っていたあの水城さんのマネージャーになっちゃうなんて……。


 わたしと水城さんは二人で社長室から出て、廊下を歩く。


「……絢音、その、なんかごめん」

「なんで水城さんが謝るんですか?」

「わたしがあなたをリクエストしたから」

「は、はあ⁈」

「坂木社長から、あなたが頑張ってるって聞いて、わたしを担当して欲しくなったから」


 いつもは真顔の水城さんが、この時だけは柔らかい笑みを見せた。

 な、なによ、それ……。


「ところで絢音」

「なんです? スケジュールならさっき坂木きんから教えてもらいましたよ? この後レコーディングで——」


「槇島くんとは上手くいってるの?」


 ……え?


「み、水城さん、なんで祐太郎のこと知ってるんですか?」


「…………あ、ヤバ」


 ✳︎✳︎


 今日からU22の強化合宿が始まる。

 今週末に行われる親善試合2試合のために、数日間トレーニングを積む予定だ。


 でもその前に、俺はとある場所に訪れていた。


 高東大学病院——リハビリ室。


「はーい阿崎さん、ゆっくりですよー」

「は〜い」


 美人理学療法士に付き添われてニヤニヤしながらリハビリをする阿崎がそこにいた。

 高東のジャージを着ながら、両手でバーをゆっくり歩行感覚を掴もうとしている。


 リハビリ中だと悪いと思って、俺は病室の窓から終わるのを待ち、阿崎が椅子に座ったのを見計らって部屋に入った。


「お、おはようございます」


 口元のホクロとナイスバディな美人理学療法士に挨拶をすると、笑顔で「おはようございます」と返してくれた。


「鈴木先生、ちょっと親友と話したいんで休憩いいですか?」

「はい、大丈夫です」


 美人理学療法士は笑顔で一旦その場を後にした。


「よっ、槇島。愛しの俺様に会いにきたのか?」

「愛しくも恋しくもないが、一応、見舞いに来た」


 俺は果物の詰め合わせを阿崎に渡す。


「見舞いの品は藍原さんが良かったなぁ」

「意味がわからん」

「あの理学療法士の鈴木先生、可愛いだろ?」

「まあ……美人だな」

「実は退院後にデートの約束してんだよ! くぅ、鈴木先生とパコるためにもはやく退院してぇ!」


 阿崎は相変わらず(クズ)だった。

 ほんっとこいつと来たら、いつもヤることしか考えてな——っ。


「——でもよ、今の俺は女なんかよりも、U22にお前が選ばれて焦ってる」


 急に真面目な顔になった阿崎は、目を細めながら本音を漏らした。


「天皇杯。俺は疲れて判断をミスった。背後からスライディングが来ることくらい分かってたし、足裏でワンフェイクすれば難なく躱せたはずだった。でもその判断が出来なかった時点でまだまだなんだって」


 阿崎は珍しく俯きながら反省を口にする。


「そんな塩らしくなるなよ。阿崎がもらったファウルのおかげで、俺たちは逆転できたんだし」

「…………」


 阿崎は急に口を閉じると背後にある窓の方を見た。

 遠くを見つめるその目は、ピッチを俯瞰する天才サッカー少年の目をしている。


「前に俺、女なんかよりもサッカーの方が何倍も最高の快楽があるって言ったよな?」

「そういやそんなこと言ってたな」

「今、サッカーが2ヶ月以上もできなくなってそれを痛感してる。女はセフレの紹介でいくらでも抱けるけど、サッカーの快感は試合に出ないと味わえない」


 阿崎は近くにあった松葉杖でヨロヨロと立ち上がると、俺のジャージの胸元に拳を当てた。


「だからよ槇島。国際大会っていうのは超高級ソープでも味わえないような快楽が待ってるんだ。だからそのジャージに恥じない活躍してこい」

「阿崎……」


 阿崎らしい激励の言葉だった。

 そうだ。俺はただU22に選ばれたんじゃない。

 支えてくれた人たちの想いを背負って戦うんだ。


「にしてもその日本代表ジャージ、まだお前には似合わないな」

「お前はいつも一言余計なんだよ」


 そしてU22代表キャンプが始まる。

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