51話 佐々木の覚悟と最終局面へ——


 ききききききききききき、キスしちゃった。


 マンションに帰るなり、あたしは鏡に映る自分の顔を見る。

 この唇が槇島の、ほ、ほほ、ほっぺに……。


 水族館デートの時に手を繋いで歩いたその時間が永遠に続いて欲しくて、駅のエレベーター前で手を離した時に、気持ちの制御が効かなくなってしまった。


 あの時は感極まって槇島にキスしちゃったけど……今思えば凄いことをしてしまった。


「ここまでドキドキするの、初めて」


 アイドルの頃はステージに立つ時も、ロケしてる時も、特に緊張したことが無かった。

 それなのに……今のあたしはドキドキを抑えきれない。


「ど、どうせするなら頬っぺたじゃなくて、唇にすれば良かった……」


 なんて、できもしないことを強がって言ってみる。

 でも、ほっぺじゃお子様みたいだもん。

 けど、ちょっとは前進したよね。


 多少落ち着いてきたあたしは、化粧を落としながら脳内で反省会を始める。


 槇島はあたしのキスを拒まなかった。

 それに、ずっと手も、繋いでいてくれたし、さらに距離が縮まったのは間違いない。


「えへへ、頑張ったじゃんあたし」


 あとは、槇島に"これまでのこと"を話さないと。


 初恋のこと・アイドルを辞めてからのこと・槇島を追いかけてここに来たこと。


 いつか打ち明けようと思っていたけど……必死すぎて引かれるのが怖くて、勇気が出なかった。

 でも……ここまで来たらもう逃げたくない。


「次会ったら、ちゃんと伝えよう」


 あんなことしちゃった以上、あたしも覚悟を決めないと。

 あたしは槇島と次の約束をするため、スマホを手に取る。

 すると、槇島から既に2件のlimeが来ていることに気づく。

 1件目はだいぶ前に来ていたようだけど……多分、さっきまで悶えてたから気づかなかったのかも。

 とりあえずスマホを開いてlimeの内容を確認する。


『5月16日に天皇杯の1回戦があるんだ。大事な試合だから、絶対見にきて欲しい』


 天皇杯ってことは、1軍に上がれたってことだよね。

 槇島は頑張ってる……あたしも、頑張らないと。


 そのlimeを見た瞬間、あたしの中で覚悟が決まった。


 ✳︎✳︎


 ゴールデンウィークが明け、俺と阿崎は1軍に合流する前にAチーム用のミーティングルームへ呼び出されていた。


 中にはAチームのコーチ3名と、その中央には……。


「阿崎清一、槇島祐太郎」

「「はいっ」」


 俺たち二人を呼んだ小太りで目つきの悪い中年男性。

 この人こそ、高東大学のAチームを指揮する村崎監督。


「明日からの合流に先立ち、Aチームのユニフォームを渡す」


 村崎監督がコーチに目配せすると、コーチから俺たちにホームとアウェイ用の2枚のユニフォームが渡された。


 ユニフォーム? 別に試合でもないのになんで?

 まさか、最終テストとかで今すぐ試合をするとか……?


「今からお前たちには——」


 ごくりと唾を飲む。

 一体、どんなテストを。


「ユニフォーム姿で写真を撮ってもらう」


「はい?」


 思いもよらない内容で、つい聞き返してしまう。


「最近は天皇杯もネットで配信されるから、写真が欲しい。ちょうどうちのホームページ用にも欲しかったから、撮るように」


 監督が話してるうちに、コーチ陣がカメラと背景の準備を始めた。

 急に呼び出すから何かと思ったら写真かよ。緊張して損した。


「それと背番号に関しては、度々変わるが、しばらくは槇島が16番、阿崎は21番を付けろ。文句は無いな?」


 阿崎のやつはいつか9と10をって言っていたが、俺的には16番くらいの方が下手に期待されてなくて気楽だ。

 俺が安堵していると、阿崎は明らかに不満げな表情を浮かべていた。


「なんで槇島の方が若い番号なんすか?」


 言うと思った。

 

「そんなのどうでもいいだろ。せっかくAに上がれたのに、文句言ってないで」

「違うぞ槇島祐太郎。どうでも良くない」


 監督はそう言いながら俺たちの前に立つと、阿崎の髪の毛の中に右手を突っ込み、もじゃった天パの髪をさらにくしゃくしゃにする。


「番号の若さは期待の大きさ、当然そう思ってもらって構わない」

「つまり監督は、俺より槇島に期待してるって言いたいんすか?」

「そうだ」


 監督が阿崎より俺に……?

 にわかに信じがたいが、村崎監督はモチベーターの監督って聞いたし、阿崎に発破をかける意味合いもあるのかもしれないが。


「阿崎清一。先に言っておくがここは貴様のチームじゃない、俺のチームだ。だから貴様を中心に添えるつもりはない」


 そう淡々と言って、監督は阿崎の髪から手を離す。


「それでもスタメンを勝ち取りたいなら、本気でサッカーに向き合え」

「……言われなくてもやってやります。俺はこいつと、槇島と約束したんで。槇島をエースにするためなら、なんでもやる」


 阿崎は一歩前に出ると、監督に対峙するような形で向かい合った。


「だから、写真を撮る前にちょっといいっすか」

「なんだ?」


 阿崎はおもむろに自分の頭へ手を伸ばすと、髪をガシッと掴む。

 何やってんだこいつ……?


「阿崎清一? 貴様なにして」


 阿崎が手を下ろした瞬間、そのモジャ髪が、マジックのようにもっさりと床に落ちて——って、えぇ⁈


「頭、丸めて参りました」


 阿崎の頭はそれはもう綺麗な坊主頭になっており、見た目はただの高校球児。


「阿崎、どうしてこんな頭に……天パーは⁈」

「失恋したら髪を切るなんて、当たり前だろ?」

「極端にも程があるっ!」


 俺たちが話しているのを村崎監督は真顔で見ていた。

 ま、まさかさっき監督が髪を触ったのは、阿崎がヅラってことに気づいていたのか?

 だとしたら色んな意味で凄い慧眼だが。


「阿崎清一」

「はいっ」


「そのヅラの作り方、今度教えろ」


 あ、多分違うわ。


 ✳︎✳︎

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