31話 新しいカチューシャとミルクセーキ


 異国感のある雑貨屋に立ち寄り、佐々木の新しいカチューシャを買ってから店を出た。


「カチューシャ買ってくれてありがとっ」

「この前ファンの子にあげてたからな。それはあげないでくれよ」

「もちろんっ。大切にするもん」


 そう言ってご機嫌そうにワインレッドのカチューシャをつける佐々木。


「名前書いとけよ。落とした時に困るから」

「は? 子ども扱いすんな! いい歳して落とし物とかしないし」

「……フラグか?」

「しない!」


 佐々木は繋いでいた俺の小指を自慢の握力で握り潰そうとしてくる。


「いだだだっ、わ、悪かった! 俺が悪かったから、小指だけは勘弁してくれ」


 俺が懇願したことで、佐々木はやっと解放してくれた。

 こいつの握力どうなってんだよ。

 優しい握り方に戻した佐々木は、また俺の小指を掴みながら歩き出した。


「次、あたしのこと子ども扱いしたらこんなんじゃ済まないから」

「た、例えば?」

「……この前泊まった時に、こっそり撮った槇島の寝顔を藍原さんとかに見せちゃおっかなぁ?」


 佐々木はスマホに収められた俺の寝顔をチラチラ見せてくる。


「なんでそんなもん撮ってんだよ!」

「槇島の弱みを握ってやろうと思ったから」

「今すぐ消せ!」

「やだもーん」

「こいつ……」


 可愛い顔してやってることはただの盗撮魔じゃねーか。

 ……このままマウント取られてたまるか。


「けっ、消さないなら、俺もお前の寝顔写真ばら撒いちまおっかなぁ」

「そんなの無かったし」

「なんで、判るんだよ」

「だって、槇島が寝てる時にスマホ……」


 佐々木はそこまで言いかけて、急にそっぽを向くと黙り込む。


「ん? 今なにか言いかけたよな」

「な、なんでもない! そんなことより次はどこ行こっか? あたし、もう一軒パンケーキ行きたいんだけど」

「おまっ、今日だけで4店舗も回ったのに、まだパンケーキ食べれるのかよ」

「ブリュレパンケーキ……たべたい」


 昼からずっと甘いものしか食べていないので、俺は生クリーム酔いしそうなのだが、佐々木は平気な顔をしている。


 女子の胃袋ってすげー。


 ✳︎✳︎


 槇島くんと彼女さんが次に向かったのは……またしても喫茶店? このカップル、いくら何でもさっきから喫茶店を梯子はしごしすぎでしょ。

 胃袋どうなっているのかしら……。


 わたしは重い腰を上げて、本日5店目の喫茶店に入店する。


 しかし、わたしが入店したところで、どの店も個室カフェだったので、あの2人が食べてる様子を見れていない。


「こちらのお部屋へどーぞー」


 和服姿の店員に案内されたのは、槇島くんたちが入った部屋の斜め前の個室。


「こちら、メニューになります」


 あの2人、道中もあれだけイチャイチャしてるし、入る店も個室カフェばっかり……。

 まさか個室の中では言葉にするのも憚れるような行為をしているのでは……?

 チェリーボーイのフリをして、槇島くんはかなりのプレイボーイだった……?


「あのー、お客様ご注文は」

「ミルクセーキで」

「かしこまりました」


 とにかく、店の前で待つのも退屈なのだから、今日はあのカップルのデートコースにとことん付き合ってあげる。


 数分経つと、さっきの店員がカートを押しながら槇島くんたちの個室へパンケーキを運んできた。


 ……パンケーキ。

 あれを見るたびにあの子のことを思い出してしまう。


 あれは初めてのドーム公演を来月に控えた頃のこと。わたしはリーダーとして、89人全員と1対1で話す機会を作った。

 その際、綺羅星絢音に連れてこられたのは都内の住宅街にあった小さな喫茶店。


 店のスフレパンケーキに目を輝かせる彼女。

 あの時の彼女はステージ上では見せないような、子供っぽい甘えた声で——。


「わーい、ブリュレパンケーキー」


 そうそう。こんな声で喜んで……っ⁈


 わたしは廊下に目を向ける。

 店内の雑音の中に一瞬だけ聞こえた、あの甘ったれた声。

 今のは、わたしの記憶が生み出した……幻聴……?


「ミルクセーキでーす……って、お客様?」


 わたしの頬には、店員が持ってきたミルクセーキと同じくらい汗が流れていた。


「お客様、大丈夫ですか⁈ 体調が優れないなら」

「……メニュー、見せてもらえるかしら」


 心配顔の店員からメニューを受け取ると、メニューの中にある期間限定の欄に目が行った。


「……ブリュレパンケーキ」

「お客様?」


 やはり、さっき聞こえた声は……綺羅星絢音……?


「斜め後ろの客……ブリュレパンケーキを頼んだ?」

「そ、それはプライバシーに関わるのでお答えしかねますけど」

「なら、あの個室にもう一皿ブリュレパンケーキを持って行きなさい。会計はこちらに回して」

「は、はあ。かしこまりました」


 店員は素っ頓狂な顔をして、個室から出て行った。


 こんな事が許されるわけがない。

 しかし、彼らが個室に拘る理由があるとしたらその可能性が大きい。


 パンケーキを運んできたカートが、斜め後ろの個室の前で止まる。

 わたしは、お手洗いに行くふりをして廊下に出ると、その部屋の前を通り過ぎながら耳をそばだてる。


「あの、2つも頼んで無いんですけど」

「あれれ? あんなに甘いの要らないって言ってたのに槇島も食べる気になってるじゃーん」

「俺頼んでねーっての」


 この、声……。


 なんとなく似ているとは思っていたけれど、確証は持てなかった……でも。


 わたしは踵を返し自分の部屋に戻る。

 すると、店員が新しいレシートを持って部屋に入ってきた。


「お客様、先ほどのご注文のレシートです。……あの、もしあちらのお客様のお知り合いならお部屋を移動して」


「結構よ……。昔の友人、だっただけ」


 ✳︎✳︎

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