竜女王テラレグルス 第1部

未来おじさん

第1話 少年、竜の転校生に抱き着かれる

 夕暮れ時、銀色の月へ近づいた。

 バック転で飛んでいる僕は、そんな体験をしながら着地する。

 そしてその反動で関節から金属が歪む音を聞いた僕は……自分がロボットとなっていることを改めて実感した。

 辺りを見回してみる。視点が高い。さっきまで山中の雑木林に覆われていた僕の視点は、今やまるで高層階のビルから外を見下ろしてるかのように高くなっていた。

 山の向こう、人々が営みを生む街中で明かりが付き始めている……広い視野でそんな情景を捉えていた時、頭の中から少女の声が聞こえてくる。

「これより私はあなたの思いのままです」

 それは、今日出会った転校生の声。

 編み込みを入れた銀色の髪に、吊り目がちな目をした美少女……そんな彼女のハスキーボイスが、僕の脳内に響く。

「私を操作して下さい。私は、あなたの意のままに動く。口にしなくていい。ただ考えるだけでいい。そうすれば、私は自動的に行動を開始します」

 僕は、その言葉の意味をよく理解できない。けれど、これまで自分が体験してきた現実が、それが必要なことだと理解していた。

 彼女……ハツネさんが何者なのかは、まだわからない。

 けれど、今は彼女の『正義』を信じることにした。

「さぁ勇……あいつを倒すために、私へ命令を下さい」 

 そんなハツネさんの言葉に頷いた僕は……目の前の、この高くなった視点から見上げるほどの巨体をした怪物へ向かい、構えを取るのだった。


 ……10時間前


 御影学園の朝は、普通の高等学校と同じく紺色の制服で通学路が埋まるところから始まる。

 夏休みが終わり秋めいてきた今日この頃、既に慣れてきた学校生活の中で生徒たちは大人びいた姿を見せている。

 そしてそんな皆を見上げる、背の低い僕……浅谷 勇(あさや いさむ)16歳は背中を丸めた状態で歩いていた。

「あ、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 同級生の肩とぶつかる度に謝る僕のことを、皆怪訝な目で見つめる。そんな視線を受け更に縮こまっていく僕の背中へ、大きな衝撃が走った。

「ッ、う、うわ……ッ!」

「ははっー! 今日も弛んでるなぁ、浅谷ッ!」

 背中への平手と共に声を掛けてきたのはアメフト部の主将、野崎先輩だった。

「あ、あぁ、先輩……どうも」

「ダメだぞ浅谷ーッ! 声が小さい! それも全部筋肉をつけてないせいだ!」

 そう言って先輩は路地の上でボディビルポーズを取る。

 筋肉が撓り、鉄ワイヤーのように軋む。その光景に周囲の生徒たちから歓声が上がる。

「あぁっ、野崎先輩よ……っ!」

「今日もすごい筋肉……! 相変わらず惚れ惚れしちゃうわぁ……」

 マッチョが避けられるなんて昔の話。昨今の筋トレブームのおかげか、筋肉に憧れる女生徒は少なくない。

 そんな現実を表すように、野崎先輩がポーズを変えるたびに歓声が何度も湧き上がっていた。

「どうだ浅谷、これが筋肉だ! 筋肉はいいぞぉ、なにせ人生が変わる! こうやって筋肉を付ければ、きっと君だってモテモテになるはずだぁッ!」

「……そう、ですね」

 僕は先輩に笑顔で応える。けれど、そこは僕にたどり着けない境地だと、自分自身が一番よくわかっていた。

 昔、医者に肉体機能障害と言われた。筋肉が通常より発達しない、きわめて稀な障害らしい。

 この障害の特徴は「日常生活を営むのに全く問題ない」ことだ。別に走れないわけじゃない。ただ他の子が100m進む間に、10mしか進めないだけ。ただそれだけだ。

 この病気のせいかわからないが、僕は虐められ続けた。運動が出来ない僕は恰好の的だったらしく、ドッジボールでは真っ先に狙われていた。かけっこでは勿論学年最下位。ソフトボール投げは最初のラインを超えるのが精いっぱいだった。

 勿論努力した。医者から与えられた診断が間違いだったと思い込んでいっぱい特訓した。でも数時間経つと救急車で運ばれていき、そして特訓する前と変わらない自分に絶望した。

 そんな僕がマッチョになれるわけもなく……ただ自慢の筋肉を湧きたたせる先輩を見ることしかできなかった。

 そしてそんな先輩を置いて、僕は縮こまりながら通学路を走っていく。先輩、それと周囲の人間は筋肉に気を取られて、僕がいなくなったことについぞ気が付かなかったようだ。

「……はぁ」

 そうして教室に入った僕は、一人大きくため息を吐いたのだった。

「おぉ浅谷、おはよう」

「木村君……おはよう」

「なんだ、今日も元気ねぇなぁ。低血糖か?」

「……まぁ、そんな感じ」

 クラスメイトの木村君へ適当に相槌を打っていると、先生が教室に入ってくる。

 そしていつも通りホームルームが始まる――はずだった。

「おはよー皆席つけー。これから転校生を紹介する」

 その言葉と同時に、一気にざわめく教室。それを僕はどこか遠目に見る。

「それじゃ、入ってこい……氷室」

「――はい」

 その言葉と同時に、教室の扉が開かれる。

 瞬間……僕は、彼女に目を奪われた。

「――氷室 初音です、よろしくお願いします」

 ペコリ。

 そのお辞儀と共に、教室に爆音が鳴り響いた。

「うおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉッ!!!」

「カワイーーーーーーッ!!!」

「何あの子、超タイプなんだけど!?」

 お祭り騒ぎとなる教室内で、僕はただ彼女をじっと見つめていた。

 綺麗だ。銀色の髪に、白い肌。アーモンド型に開いた瞳は、どこか儚い。さらにモデルのように美しい体系美を兼ね備え、スカートから伸びる足はすらりとしている。

 まるで人形のようだ……そう思った僕は彼女から目を離せなくなる。

「――」

「ッ!」

 そして、目があった。

 僕は思わず目を反らす。気づかれた? 変に思われた? そう考えるだけで、僕は心臓をバクバクさせていた。

 あれ? どうして僕はこんなにドキドキしてるんだ? なんでこんな緊張してるんだ?

 わけのわからない感情に心が支配される。そしてそのまま授業が始まるまで……いや、授業が始まっても、僕は彼女のことが気になって仕方なかった。


 ……


「次、氷室!」

「――はい」

 その言葉と共に、氷室さんが校庭を走る。

 白い砂を舞わせてグラウンドを駆け抜けた彼女は――白く伸びた足で、地面を強く踏みしめた。

 フワッ……

「きゃーーーっ!」

「氷室さんすっげー! 校内記録だぁ!」

 彼女が走り高跳びのバーを飛び越えた瞬間、歓声が上がった。まるで宙へ放物線を描くように飛んだ彼女は、そのままマットの上へ足から着地。一段他の人より高い場所へ立つ彼女は、まるで舞台女優のようだった。

「ひゃー、すごいなあの転校生。もうクラスの人気者になっちまったぜ」

 木村君がまた話しかけてくるが、僕は言葉を返さなかった。

 僕の視線は彼女にくぎ付けになっていた。グラウンドの中心で輝く彼女から目を離せない。

 僕はいつの間にか、彼女に夢中になっていた。


 ……


「ね、氷室さん、ケーキ屋さん行こ! すっごく美味しいお店知ってるんだ!」

「うん、賛成! ねぇ、一緒に行こうよぉ~っ!」

 放課後になっても氷室さんは人気だった。

 席の周りには人だかりが絶えず、氷室さんを近くのケーキ屋さんへ連れて行こうとする。

 氷室さんはそのお願いに静かにうなずく。その光景を、僕は窓際の遠くの席からずっと見ていた。

「氷室さん人気だよなぁ」

 すると、また木村君が話しかけてきた。

「こうしてずっと浅谷が氷室さんに夢中になるくらいには、魅力的だからなぁ」

 そうニヤニヤしながら見られるのが嫌だったので、僕は席を立って教室を出ようとする。

 そして教室の扉へ近づいた、その瞬間だった。

「うわっ……!」

 バタンッ!

 僕は扉の前で尻もちをついた。クラスの女子とぶつかって倒れてしまったのだ。

「きゃっ! み、皆のノートが……!」

 そのせいで散らばったクラスメイトたちのノート。それを慌てて集めようとするも、あまりにも焦り過ぎてまた前のめりになって倒れてしまう。クラス中から笑い声が聞こえた後……冷たい視線を感じる。

「……浅谷君は何もしなくていいよ。大丈夫だから帰って」

「え、でも……」

「大丈夫だから。早く行って」

 そうノートを運んでいた女の子に強く言われ、僕は何も言い返せなくなる。

 こんな様になってしまったことを恥ずかしく想いながら、上を見上げると……

「――」

 氷室さんが、そこにいた。

「あ……ッ!」

 僕の横を通り過ぎる氷室さん。綺麗だ。その美しさに思わず見惚れてしまう。

「――あの」

「え……な、何ですか!?」

「――そこにいると、教室から出られません」

「あ……」

 そこでようやく冷静になり、自分がまだ教室の扉の前にいたことに気づいた。

「あ、あの、ごめんなさい! 僕、前を見てなくて……」

「――」

「あ……」

 僕がすぐ扉の前から除けると、彼女は何も言わず僕の前を過ぎ去った。

 そして友達と合流し、さっき言ってたであろうケーキ屋さんへと向かっていった。

「……」

 そうだ。僕と氷室さんでは住む世界が違うんだ。

 氷室さんは、あの輝く舞台に立てる人だ。

 一方で、僕は違う。どんなに努力しても、肉体機能障害のせいであの舞台には絶対立てないことが保証されている。

 そんな僕と、氷室さんが関われるわけがない……そんな当たり前の現実を、僕は今になってわからされた。


 ……


「あ、ハツネさん! おかえりなさい!」

「只今戻りました梶野さん。司令は?」

「おう、今総理とやり合ってる。しばらくは戻らんな」

「そうですか、副司令」

「……んー?」

「どうしたの、小川さん?」

「うんにゃ、どうにもねぇ……怪しい反応があるんだよねぇ」

「え……まさか、ラスタ・レルラ!?」

「いや、まだそうと決まったわけじゃないけど……ていうかこのシステムでの検出が初めてだし……」

「どうしますか、副司令」

「なんで俺に聞くんだ」

「司令がいない今、あなたが最高司令官です。状況に対する対応をご指示下さい」

「……小川、解析進めろ。梶野はその補助。ハツネは今から現場に向かってくれ」

「ッ、海堂副司令! それはあまりにも……!」

「仕方ねぇだろ、司令がいないんじゃ。大丈夫、きっと司令も同じこと言うさ」

「了解です、副司令。では、状況を開始します」

「あぁ。だが勿論第一命令優先だ。無茶はするな。自分がどれだけ貴重な存在か、わかってるな?」

「――はい」


……


「……はぁ」

 僕は一人で山に来ていた。

 ここは僕の秘密基地。誰にも知られていない秘密の場所だ。

「氷室さんに嫌われたかな……」

 僕はそう一人ごちる。さっきの出来事のせいで氷室さんに嫌われたのではないかと思い、気が重くなる。

 だからか、昔から落ち込むとこの秘密基地に来ていた。高校の裏山の奥地、放置されたプレハブ小屋。そこの扉を開けると、中にはロボットがぎっしりと並んでいた。

「へへ……」

 そこで僕はお気に入りの一体を手に取る。そしてそれを一人静かに弄り始めた。もちろん、音楽は僕の脳内になっている。このロボットに相応しい、熱血なBGMだ。

「さぁ行くぞ……必殺、ロケットナックール……ッ!」

 そして僕はパンチの発射ボタンを押して拳を飛ばした。僕の頭の中でこの拳は数キロ先まで飛んでいく。そんな妄想をするだけでさっきまでの憂鬱な気分が吹き飛んでいった。

 小学生の時、僕は偶然このプレハブ小屋を見つけた。放置された部屋は汚く最初は逃げたが、その後両親が僕の玩具を捨てようかと話しているのを聞き、ここにコレクションのロボットたちを避難させたのが始まりだった。

 当時の僕はここをどうにか掃除して、僕のコレクション部屋に変えた。日が落ちるまでしか過ごせないのが難点だが、その分日中は思い切り遊べる。僕が活躍できる夢の空間にいるのが楽しくて、以来高校生の今までずっとここへ通い続けていた。

 この秘密基地で一人過ごすのが、僕にとって唯一のストレス発散法だった。幸い部活もしてないし友達もいない。だからどっぷり自分の世界に籠れる。そんな時間に縛られない素晴らしい世界が、僕はどうしようもなく好きだった。

「……氷室さんは、こんなの嫌いだよなぁ」

 だが、ふとそんなことを考えてしまった。

 何故だろう。なんで氷室さんのことを考えてしまうんだろう。

 さっきまでロボット遊びに夢中になっていた。なのに、今はまた氷室さんのことで頭がいっぱいになっている。それが不思議で、いつの間にか僕はロボットを弄る遊びを止めていた。

 そして、ついに寂しくなり、僕は小さくため息をついた。

「……氷室さんは、今何をしてるんだろうな」

「――現在秘密任務のため詳細は語れません」

「……ん?」

 瞬間、隣から声が聞こえ、ふと振り返ってみると……

「――まずい。今のは話してはいけないのでした。どうぞ、聞かなかったことにして下さい」

 そこには、氷室さんがいた。

「ひゃあっ!?」

 僕は思わず椅子から転げ落ちた。

 ど、どうして氷室さんが僕の秘密基地に……!?

「――浅谷さんは、ロボットが好きなんですか?」

「え……な、なんで僕の名前……」

「同じクラスメイトですから。それで、ロボットはお好きなんですか?」

「あ、あぁ、うん……」

 氷室さんは僕のコレクションを冷静に見つめていた。そこには軽蔑も冷笑もない。ただただ僕のコレクションを眺めてるだけだった。

「どうしてロボットが好きなんですか?」

「え……えっと……」

 突然始まった会話に僕は拙くも答える。

「え、えっと……ロボットってさ、かっこいいじゃん……すごく動けて、強くて……僕、そんなところに憧れててさ……」

「――元は、人を殺すための道具だとしてもですか?」

 その言葉に、僕は言葉を詰まらせる。氷室さんが僕を見つめる視線は、とても冷静だった。ただただ疑問だ、そう言った風に。

「……そうかもしれないけど」

 だから、僕は口を開いた。

「それでも、僕は好きだよ……だってそれは、誰かを守れた証でもあると思うから」

 彼女が、答えを欲しそうにしていたから。

「――」

 その言葉を聞いてしばらく僕を見つめた後、彼女は僕から視線を外した。

 あ、あれ? 気に入らなかったのかな……

 そう不安になった時……

「――伏せて下さい」

 え、と言葉に出す暇もなく……僕の秘密基地の天井は、突如轟音を立てて崩れていった。

 ドガシャアアアアアッ!

「なっ……!?」

「――脱出します」

 そう言って氷室さんは僕の胴体を掴むと、前へ前転するように地面へ走った。

 地面を舐めるよう低空で走った彼女は、そのまま入口から外へと飛び出す。それと同時にプレハブ小屋の天井が重力に押しつぶされていった。

「ひっ……」

 一瞬で瓦礫と化したプレハブの跡地。ついさっきまでそこにいた場所がなくなったことに呆然としながらも、突然物陰から飛び出した影に僕はまたも体を震わせた。

「へへっ、見つけたぜぇ、鋼姫さんよぉ」

 そこにいたのは、金属バットを持った男。細身で軽そうな見た目をしたその男は、 ハツネさんの方をただただ見つめていた。

「――あなたが反応のあったラスタ・レルラでしたか」

「あぁ、上手くおびき出せたぜ。まだ王子を見つけてないって聞いてたから、今しかチャンスがないと思ってよぉ」

 なんだ? 何を言ってるんだ? 全く聞きなれない単語の応酬に呆然としていると、彼女が構えを取った。

「――擬態型ラスタ・レルラを発見。これより殲滅を開始します」

 その言葉と同時に……氷室さんは、風になった。

 シュバアァァァンッ!

「う……っ!?」

 まるで風のような、脚による一閃。その後続く連撃に、空気が金切り声を上げる。

 なんだ? なんだこれは? 氷室さんが運動神経がいいのは知っていた。でも、この動きはもはや常人のそれではない。

 まるで達人のようで、それでいてこの一縷の綻びもない動きは……

「はっはぁっ! 甘い甘ぁいッ!」

 だが、それを相手も完全に捌き切っている。

 それも常人にはまずありえない手捌き。こんな動きが出来るなんて、この人も普通ではない……そう思った時、恐怖が体の奥から湧き上がった。

 なんだ? なんなんだこの状況は? もしかして僕は……とんでもないことに巻き込まれてるんじゃないのか?

 そう結論付けた僕は、反射的にその場を動こうとした。だが、その瞬間男はまるで蛇のように氷室さんの連撃の一瞬の隙をすり抜けてきた。

「え……」

「ひゃっはぁっ! も~らいっ!」

 瞬間、男の拳が僕の元へ飛んでいき……

「――ぐっ!」

 氷室さんが、咄嗟にそれを受け止めた。

「――ぐぅっ!」

 だが、姿勢が十分でなかったためか氷室さんはダメージを受け止めきれず、吹き飛ばされてしまった。

 瓦礫の山の中に、氷室さんが埋もれる。

「氷室さんッ!」

「おぅガキ、ナイスアシストだぜぇ。君がどんくさいおかげで助かったぁ」

 その言葉に、僕は言葉を詰まらせる。

「ち、違……っ、僕は、そんなつもりじゃ……」

「いぃや、お前のおかげだぁ。お前が雑魚だってことは最初からわかってたからよぉ、正義の味方な彼女はお前を絶対助けるって思ったんだぁ」

 そう言いながら、男は僕の顔を覗いていく。

「いやぁ、正義の味方は大変だなぁ。こんな男まで助けなきゃいけないとは」

 その言葉に、僕は胸を詰まらせる。

 肉体機能障害。そう診断された僕は、この男の言う通り足手まといだ。そんな僕のせいで彼女は傷を負ってしまった。その事実が、僕の胸を締めつける。

「さぁ、さっさと回収だぁ。鋼姫かぁ、こりゃあ高く売れるぞぉ、へへへっ」

「ッ!」

 そう言いながら彼女の元へ近づいていく男。先ほど見つめられていたその瞳には、明確な悪意に満ちていた。

 このままだと、氷室さんに害が及ぶ。そう咄嗟に理解した僕は……。

 ガシッ

「……あ?」

「……ひ、氷室さんに手を出すな……ッ!」

 男の足へ、しがみついていた。

「……ウザ」

 ガンッ!

「うぐ……ッ!」

 そんな僕に、男は容赦なくバットを振り下ろした。軽くではあったが、それだけで僕の脳は揺らぎ、男を押さえる手が緩む。

「女の前だからってかっこつけんな。こんな玩具で遊んでた癖に、ダセェんだよ」

 そう言って散らばった玩具の破片を足で踏みつぶす。それと同時にプラスチックの破片が、辺り一面に飛び散っていく。

「……ッ」

 僕は絶句した。あれは、ずっと僕が遊んでいたロボットだった。アニメからハマって、親におねだりして買ってもらったDXの玩具……それが今、粉々になって飛び散っていった。

「こんなもんに縋ってキモいんだよ。テメェなんて殺したら犯罪だから潰さないだけだ。いい歳なんだから、アニメと現実の区別ぐらい付けようぜ」

 そう言って僕を足下にしてから過ぎ去ろうとする。けど僕は片手で、何とか男の足をもう一度掴んだ。

「……チッ、おい、いい加減にしねぇとマジで潰すぞ……」

「正義の味方ぶることの、何が悪い……」

「あぁ?」

 僕は、地面に落ちてた玩具の破片を砂と一緒に握り締める。

 あぁ、なんて儚いんだろう。こんな玩具一つ守れない僕に、何が出来る。

「たとえ肉体機能障害だって、筋肉がなくたって、役に立たなくたって……それでも、それでも僕は……」

 それでも、彼女が困ってるなら……

「目の前で困ってる人を、見逃せないんだ……ッ!!!」

「――ッ!!!」 

そして僕は顔を上げ、目の前にいる男を睨みつけた。

「……へっ、そうかよ」

 そう言った男は、手に持ったバットを天に掲げる。

「なら死ね」

 そして何の感情もなく……その鉄塊を振り下ろした。

「ッ……!」

 僕は思わず目を瞑る。

 その時だった。

 ガキィイイインッ!!!

「……え?」

 鉄と鉄がぶつかりあう音がした。まるで、鋼が咆哮を上げるような甲高い音。

 その音が鳴った目の前へと再び視線を上げると……

「……大丈夫ですか?」

 氷室さんが、金属バットを両腕で受け止めていた。

「ッ、氷室さん!?」

 僕は思わず叫びを上げる。だが、氷室さんの表情はいつもと変わらない。

 そして、氷室さんは十字に重ねた腕を振り上げバットを押し返すと、僕の方を振り向いた。

「……あなたになら、任せられるかもしれない」

「……え?」

 僕がその疑問の声を上げたと同時に、彼女の身体は光りだした。

「な……ッ! ま、まさか、ここでするのか!?」

 そんな男の声が響く。だが、氷室さんは気にしてないようだ。

「無茶なお願いなのはわかってます……ですが、お願いします。私と闘って下さい」

 短いその言葉。けど、その言葉に彼女なりの気持ちがこもってるような気がして……僕は、覚悟を決めた。

「わかった。一緒に戦おう」

 そう言うと、彼女はほんの少しだけ微笑んだ表情をしてから僕を抱き締め……


 ……ロボットに、変わった。


 辺りに旋風が吹き渡る。それと同時に砂埃が舞い上がり、彼女の周囲を天高く舞う。

 そして小さな砂嵐が収まると、まるでベールが下がるように砂が地面へ落ち……

「――」

 この星に、ロボットが舞い降りた。

「な、何だこれ……」

 僕は事態が飲みこめなかった。女性のスタイルを模したボディに、か細い腕と足。木が生い茂る地面を叩く尻尾に、優しさを携えながらも光を閃かせる瞳。そして、背中にはためかせる、巨大な翼……。

 それはまるで、しなやかな銀(しろがね)の竜を擬人化したような……そんなロボットの中に、僕はいた。

「こ、このロボットは……氷室さんは……?」

 薄暗い球体の室内を見渡す僕。しかしその行動は、頭上から落ちてきたものによって中断を余儀なくされた。

「わ……っ、何だこれ!?」

 頭に被さったのは、半透明のバイザーがついたヘルメット。

 それが僕の頭をすっぽり収めた瞬間、頭蓋に何かが突き刺さる感覚がした。

「ぃ……ッ!」

 何かが脳に入ってくる。そんな出来事に驚愕してると刹那、目の前の景色が一気に広がった。

「……ッ! み、見える……っ」

 視界が広い。裸眼0.05の両目が、180°はっきりくっきり見える。突如視界が拓けたような感覚に、僕は驚きを覚える。

「――焦らないで。ただあなたと私の脳を全接続しただけだから」

「ッ!」

 そう語りかけるのは、氷室さんの声。俺が周囲を振り返っても彼女の姿は見えない。どういうことだ?

「私の姿は見えません……今は、脳へ直接語りかけてるだけなので」

「え……ど、どういうこと?」

 そう僕が問い質す間に、目の前の男は少しよろけながらも立ち上がる。

「申し訳ありません。説明してる暇はないようです……来る」

「え――」

 その瞬間だった。

「よくもやってくれたな……だが、一つ収穫だ。ついにあの鋼姫が王子を見つけやがった。二人とも捕まえりゃ大儲けだ……ッ!」

 メキッ……メキ、メキッ!

 男の肉体が、変化を始めた。

 筋肉質だった体躯がさらに隆起し、湧き立っていく。骨は軋みを上げ、異常なまでに急成長していく。

 そうして変化していった男は、月に向かって遠吠えを上げ……約十数mの、狼の姿をした巨大な化け物となった。

「な……っ!? え、何が起こって……」

「ガァアアアアアッ!!!」

 そんな驚く僕の隙を狙うように狼型の化け物は地面を蹴り、こちらの懐に向かって突進してくる。身を低くした、鎌鼬のような鋭さを持ったタックルだ。

「まずい……ッ!」

 そう思い僕はふと、『後ろへ宙返り回転をして避けようとする』。迫りくる突進の足音を聞きながら甲高いベアリング音を唸らせて機械の脚でバネを作り、足の裏で地面を蹴り上げ化け物の突進を間一髪避ける。

「……え?」

 空中に漂う僕は、いつもより月を近くに感じた。

 そして片膝を突き地面へ難なく着地した時、僕の頭に疑問が浮かんだ。なんでこんなことが出来るんだ? 僕の身体は、肉体機能障害のはずなのに。

「――これが私の能力です」

 その時、また脳に氷室さんが話しかけてきた。

「――私は器。肉体運動のサジェスチョンとその行動をオートで実行する。その判断は、あなたがするんです」

「え、えっと……?」

 僕は疑問で返そうとする。だが、それを彼女の声が遮る。

「私を操作して下さい、勇。私は、あなたの意のままに動く。口にしなくていい。ただ考えるだけでいい。そうすれば、私は自動的に行動を開始します」

 それは、最低限の説明。あまりにも雑な、それでいて緊迫したこの状況では確かに必要なことだけをまとめた情報だ。

「さぁ勇……あいつを倒すために、私に命令を下さい」

 それだけを告げ、僕に委ねる氷室さん。無感情のように聞こえるその言葉……だが、その声色の中に、彼女の覚悟が詰まってるような気がした。

 僕は一度喉を鳴らし……もう一度、狼の化け物へ向かい合う。

「ガァアア……次は当てるぞぉ……ッ!」

 そう言って化け物は長い爪を出す。月明かりを浴び銀色に光る爪は、まるで日本刀のように鋭い。本物の日本刀と違う点は、それが数mに及ぶ巨大な刀という点だろう。

 そんな爪へ向かって僕は構えを取る。それを見届けた化け物は……まっすぐに地面を蹴り、突進してきた。

「ガァアアアアアアアアアアッ!!!」

 鋭い。そして今度はさっきみたいな避け方は通用しない、そんな気がする。僕は動かなかった。

「もらったああああああぁッ!!!」

 それを好機と見た化け物は腕を振り上げ、僕と氷室さんに向かって襲いかかる。銀の軌道が耳を劈く、一撃必勝の攻めだ。

「……はっ!」

 だから、懐に潜り込んで避けた。

 わずかに見えた隙、その唯一開けた場所へ蛇のように飛び込み……弧を描く爪の一撃が、空だけを切り裂く。

 それと同時に、僕は狼の化け物の背後へと移り変わる。

「なっ……!?」

 その瞬間、僕は拳を指で編んだ。

「はぁああ……ッ!」

 今、相手の隙だらけな背中を狙えばいいことがわかる。こんな動き一度もしたことないのに。考えたこともなかったのに。

 脳へ送りこまれる情報が、この機械の身体をどう動かせばいいか……この拳をどこに当てればいいのか教えてくれる。

 そして思考が迸るまま……僕は叫ぶ。

「真・機・逸・纏……レグルス・イィンパクトオォォッ!!!」

 グッッッシャアアアアアアンッ!!!

 そして、両手を合わせた拳が化け物の胸を貫いた。

「グ……ッ、が、アぁ……?」

 身体の中心部にある少し硬質なものを両拳で貫いた瞬間、狼型の化け物の瞳が虚空を彷徨う。それと同時に身体が光り始め……化け物は、爆散した。

 ……ズッドォオオオオオンッ!!!

 それは、まるで新星が誕生したような輝き。そんな光を前に、僕は呆然とする。

「……何、だったの?」

「……あれはラスタ・レルラ……ありていに言えば宇宙人です」

 その時、氷室さんがまた僕に語りかけてきた。

「ごめんなさい――私は選んでしまった。何も知らないあなたを、この戦いへ巻き込むことを」

 その言葉が終えると共に爆発が消え、辺りに静寂が戻る。

 それと同時に、僕が乗るロボット――語りかける回答は、『レグルス・フィーネ』と告げる――は天を見上げる。

「あなたには、これから地球を守ってもらいます……レグルス・フィーネである私と共に戦う、『王子』として」

 その瞳には……夜空に燦然と輝く、数多の星々が映っていた。

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