72.一番の演奏

 ベン様の指揮棒が振るわれると、一気に音楽団の全員が息を合わせる。

 全員の呼吸を感じると、沢山の人たちから見られているプレッシャーは薄まった。


(みんな気合い十分だね……)


 みんなの頼もしい演奏に負けないように私も全力でピアノの音を響かせる。

 ピアノがメインのパートは伴奏に背中を押される感覚で、軽快に鍵盤の上を指が駆け抜けた。


(今までで一番調子がいいかも)


 そう思える位に完成度の高い演奏を実現させる。

 理想と思っていた音楽が自分の手で表現していく。

 いつも以上にスムーズに指が動いて、沢山の人へ良い演奏が届けられる。

 耳の感覚は研ぎ澄まされていて、余計な情報は一切頭の中にない。


(みんなもすごい良い音が出てる)


 お互いの音に感化されると、譜面を進むと演奏が良くなっていく。


(こんなに綺麗な演奏が出来るんだ……)


 今までで一番と断言できる演奏に私は強い感動を覚える。

 胸の奥から湧き出る興奮はピアノを弾く力へと変わった。

 もっと出来るという感覚が常に体の中を駆け回る。

 ずっと最高の音を塗り替えていく様子はとても気持ちが良い。


(もっと……)

 

 私の願いに応えるように研ぎ澄まされた音が鮮明にイメージされる。

 指はそれを忠実に再現するように鍵盤の上を華麗に踊った。


(ここが最高潮!)


 一番の山場を迎えると、奏でている音がどこまでも遠くに響く感覚がする。

 山を越えて海を越えてどこまでも届きそうな勢いで観客に向かって響いた。


(すごい幸せ……)


 頭の中をフル回転させたせいで、演奏が終わった瞬間に一気に疲れが襲ってくる。

 指先は激しく動かしたせいで全然感覚がしない。

 それでも、体中に幸福感が充満していた。


「とても良かった」


 ステージから退くと、みんながお互いの演奏を褒め合う。

 

「中でもアイラは一番のキレの良さだったよ」

「ありがとうございます!」


 みんなでハイタッチをして回っていると、完全にやり切ったと思える。

 あの演奏で未練は全く存在せず、一番の演奏だったと断言できた。


「お疲れ様」

「ベン様もお疲れ様です」

「本当にすごかった」


 そう言ってベン様は噛み締めるように私の演奏を褒め出す。

 止まらない褒め言葉の数々は私の頬を紅潮させる。

 そんな様子を見て、みんなが楽しそうに笑う。


「さて、何かと戦った訳ではないけど、祝勝会と行きましょう!」


 誰かがそう叫ぶと、みんな王城の広間へ向かう。

 もう少しだけ演奏の成功の余韻に浸りたい気分だった。

 ベン様と二人でバルコニーに吹く風を感じる。

 王都の熱気溢れる空気が伝わってきて、興奮は未だに冷めない。


「あら? 出来損ないのアイラじゃない」


 背中から聞こえてくる声に思いっきり体を震わせる。

 声を聞くだけで思い出す嫌な思い出の数々に涙が出そうになってしまう。

 それをグッと堪えて、サートン家の三人を見つめる。


「くだらないピアノでチヤホヤされてるらしいわね」


 自分の大切なものを踏み躙るようなお義母様の言葉が響く。

 今すぐにでも逃げ出したい気持ちだった。

 だけど、辛い過去に目を瞑ってたらダメだと自分に言い聞かせる。

 ベン様に手を握られると、私は勇気を出して三人に向き合う。

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