70.過去との決別

 一度ルージュ姉様の怒鳴り声を聞くと、嫌な思い出ばかり頭に浮かぶ。

 辛い記憶が頭の中を支配して、目には涙を滲ませる。

 毎日のように怒鳴られ打たれてきた日々が私の精神を蝕む。


「ごめんなさいごめんなさい」


 何も悪い事をした訳じゃない。 

 それでも口から出る言葉は謝罪の言葉だった。


「幸せになってごめんなさい」

 

 あの怒鳴り声を聞くと、自分には幸せになる権利はないと思えてしまう。

 どうしようもない不安感が心の内で渦巻く。


「もう泣く必要はない」


 ベン様の優しい声が優しく体の芯に染み込む。

 優しく手を握られると、心臓の鼓動が緩やかになった。

 

「君の周りには味方がたくさんいる」


 ベン様は俯いていた私の顔をゆっくりと上に向ける。

 うっすらと安心感のあるシルエットが目に浮かぶ。


「アイラの事を絶対に幸せにする」


 ハンカチで涙を拭われると、真剣な表情で私を見つめる青い瞳がくっきりと見えた。


「だから、安心して良い」


 ベン様が私を大切にしていると実感すると、いつの間にか不安は無くなっている。

 さっきまで嗚咽で全然呼吸出来ていなかったが、今は肺が軽い。

 手の震えは治まって、優しくベン様の手を握り返す。


「ありがとうございます」

「当然の事をしたまでさ」


 少しだけ頬を赤く染めて笑うベン様を見て、安心感で胸がいっぱいになる。

 ふと思い返すと、今の私は素敵な旦那様の他にたくさんの味方に囲まれていた。

 

「ベン様」

「どうしたのか?」


 今は幸せなんだと自分に言い聞かせると、勇気が湧き上がる。


「私、もし実家の人と会っても逃げません」


 確かに実家にいた頃は辛かった。

 だけど、今なら自分が幸せだと胸を張って言える。

 

「そうか……」


 ベン様は心配そうな目で私を見つめた。

 

「確かにあの人たちと会うのはすごく怖いです」


 不安を晴らすように私はとびっきりの笑顔を浮かべる。


「でも、ベン様と一緒なら平気です!」


 もう私は大丈夫だと伝えるようにベン様の方を向く。


「これから先、ベン様が一緒なら絶対に大丈夫だと言えます」


 ベン様はちゃんと私のことを見てくれて、大切にしてくれる。

 優しくて頼りになる旦那様と一緒にいると、不安な気持ちは晴れた。


「だから、私は前に進みます!」


 辛い過去には縛られないと決意を決めると、息がしやすくなる。

 ずっと俯いていた頃のとは違って、今の私は未来を見ていた。

 ベン様は緊張していた表情を崩すと、軽く微笑む。


「んえ!?」


 いきなり抱きつかれると、変な声が出てしまう。

 強い力で私を抱きしめる腕はプルプルと震えていた。


「絶対にアイラの事を幸せにする」


 そういって更に強く抱きしめる。

 ベン様とハグする時間はとても心地が良い。


「そろそろ離さないのですか?」

「まだ足りない……」


 しばらくの間抱きしめられ続けると、恥ずかしくなってしまう。

 段々と照れ臭くて体温が上がっていくと、更に強い力で抱きしめられた。

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