息苦しい世界
北巻
音楽記者
地下鉄にあるコインロッカーに必要のない荷物を入れて鍵を閉めた。
「村上、お前は荷物入れ終わったか。すぐに会場に向かうぞ」
「待ってください先輩。あと少しです」
ロッカーから顔を出し、村上は俺の方を見て笑いながら頭に手を当てた。長身で端正な顔立ちをしており、感じがいい。学生時代は相当モテただろうな。初めてもつ部下に多少の不安があったが、こいつなら心配なさそうだ。
「手伝おうか」
「大丈夫です。こいつで最後です」
足元に置いてある黒のカメラポーチを指して、村上は言った。
「にしても、このコインロッカーすごい便利ですね。安いし、広いし」
確かに、古臭くて、所々錆びていることに目を瞑れば、かなり使い勝手のよいコインロッカーだ。ここらで仕事があるときは、いつも世話になっている。
「もっと綺麗になれば、文句なしなんだがな。あと、たまにガタガタするのも鬱陶しい。地下鉄が通っているからだろうな」
「まあ、しょうがないですよ。これはもう完全に見放されてますよ。多分、溜まった硬貨だって回収されてないんです。そんな小汚いロッカーより、レッドバルーンだ~って。駅が喋ってるんです」
村上が指を指した方向には、レッドバルーンのコンサートを宣伝するポスターが壁一面に貼られてあった。四人の男が顔を寄せ合っており、それぞれがギターやらドラムスティックなどを持って立っている。俺たちは彼らの取材に来たのだ。
もはや知らない人間などいないと言われるほどの人気バンドで、ラジオをかければ、必ず彼らの曲が流れている。この前、買い物に出かけたときなんて、レッドバルーンと何一つ関係がないのにも関わらず、レッバル牛乳だの、レッバル米だのと商品の頭にレッバルを付け、通常の2倍近い値段で売られてあったのを見た。さらに不可解なのは、そのレッバル商品のほとんどが完売していることだった。
「なあ、村上。さすがに狂ってるよな」
「なにがです?」
「この世の中だよ。いままでも十分に狂っていたが、レットバルーンで拍車がかかりやがった」
「レッバルは別に世界を狂わせてませんよ。すっごい人気なだけで。みんなそれに夢中なだけです」
「それがいけないんだ。世間の目がレッドバルーンに注目しているために、他のことがすべて無視されているんだよ。この前あった火災も本当は新聞の一面記事に載っているくらい悲惨なことだったのに、一面も二面も全部レッドバルーンで、火災のことは三面の端っこに数行書かれているだけだったじゃないか」
「あー確かに、そんな火災ありましたね」
村上は、楽天的に答えた。その態度が俺を益々不安にさせた。この世はどうなってしまうんだ。
「世界の処理能力がレッドバルーンに全部注がれて、他のことを放置してしまっているんだ。このままじゃ、殺人だって見過ごされかねないぞ」
「警察が犯罪者を見ずに、レッバルを見るってことですか?」
「そうだ」
「意味わかんないくらい値段の高いレッバル商品が売られてても、誰も文句を言わずに買ったり?」
「そうだ」
村上が怪訝そうな顔をして、黙った。と思うと、今度は、ニヤリと笑い口を開いた。
「コインロッカーがいつまでたっても汚いままだったり」
「ああ、……そうだよ」
仕事は、上手くいった。後は事務所に帰るのみであった。今頃は、レッドバルーンが演奏しているのだろう。地下鉄は奇妙に空いていた。みんな彼らのコンサートに集まっており、一時間前までは混雑していた地下鉄が、今はがらんとしている。まるで、台風の真ん中にいるようだった。
「上手くいって良かったよ。これからもよろしくな」
「こちらこそ、これからもよろしくお願いします。なにかお祝いしたいですね。そうだ。弁当食べませんか。売店かなんかで買って、車内で食べましょうよ」
「いいな。じゃあついでにタバコも買ってきてくれ。俺は、お前の荷物もまとめて、ホームまで持ってくよ。カギ、もらっていいか」
「あっ、ありがとうございます。助かります」
数字の書かれた素朴なコインロッカーのカギを村上は俺に渡した。
「タバコ何がいいです?」
「なんでもいいよ。お前と一緒だ」
了解です。言い終わる前に彼は売店へと向かっていった。コインロッカーに向かう途中で、顔色の悪い女にぶつかった。女はすいませんと掠れるような声で謝り、素早く立ち去っていった。随分身なりの良い女だなと、彼女の後姿を見ていると、カギが落ちていることに気が付いた。コインロッカーのカギだった。彼女が落としたのだろう。駅員に届けようと思い、回りを見渡したが誰もいなかった。あの女のロッカーの中を見てみたい。ふと、そんな興味がわいた。倫理と欲が何度か戦い。欲が勝ったのだ。
周りに誰もいないことを確かめた後、女のロッカーにカギを挿した。123。一番目のロッカー棚の23番目という意味だ。俺の荷物を預けた場所が223だから、ちょうど向かい側となる。心臓の鼓動が早まり、手に汗が滲んだ。
ロッカーの扉を開くとそこには、一つの段ボール箱が置いてあった。ガムテープで幾重にも縛られおり、それがこの段ボール箱に不気味な雰囲気を漂わせていた。もうやめにしよう。そう思い、カギを閉めようとした瞬間、段ボール箱がガタっと震えた。少しだけだが、確実に震えたのだ。どうなっているのだ。俺は、段ボール箱に顔を近づけ凝視し、もうしばらく様子を見た。彼は、段ボール箱の中から赤子の声を聞いた。
サッと血の気が引いて顔が青ざめた。一歩も動けずに、周りを見渡した。一番目のロッカー棚のカギはほとんどが抜かれていた。一歩も動けずに、周りを見渡した。周りには、誰一人としていなかった。
息苦しい世界 北巻 @kitamaki
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