その令嬢は騎士になって初恋の人を迎えに行く

一分咲🌸生贄悪女、元落ち⑤6月発売

前編

「――ここにウィル殿下はいらっしゃるか!」


 慇懃な言葉遣いとは対照的な荒々しい動作で開けられた扉に、アメリアはびくっとした。


 ボルドリー子爵邸内の、アメリアの部屋に急に押し入った王国からの使い。背後には王国騎士団が並び、遥か後ろにアメリアの父親が狼狽えているのが見える。


「ウィル……はぼくですけど、一体どうしたんですか」


 アメリアと一緒にカード遊びをしていた少年が立ちあがる。アメリアを背にして、守るような恰好で。


 アメリアはただ怖かった。絶対に安全だと信じていた自分の部屋に、大人たちが大勢入り込んできたのだから。


 ウィルに一歩近づく王国からの使い。歳はアメリアの父親よりも少し若いぐらいだろうか。大柄なせいか、まだ8歳のアメリアの目には高圧的に映り手が震えた。


 ……瞬間、彼はウィルの前に跪いた。



「お迎えに上がりました、ウィル殿下。王宮に帰りましょう」


 これまでにアメリアが見た中でも最も高貴な存在であろう王国からの使いが、親友に頭を下げている。


 その所作があまりにもきれいで、アメリアはつい数秒前までの恐怖を忘れた。まるで絵本の中でお姫様に求婚する王子様のようだと思う。


「アミィ……!」

「ウィル……! まって! つれて行かないで!」


 その日、アメリアの愛称を呼びながらウィルは王宮に連れて行かれた。突然の別れにアメリアは泣きすがったけれど、無駄だった。


 意外なことに、彼を迎えに来た王国からの使いは冷酷無慈悲なわけでもなく、アメリアに同情の視線を送っていたのをよく覚えている。


 現実を受け入れられなかったアメリアは、母親に抱かれ、涙の限り泣きつくした。




 ――それから、10年の月日が流れた。


 アメリア・ジョアン・ボルドリーが起きてすぐに手にするのは、カーテンでも水差しでも櫛でもなく、剣だ。


 まだ18歳の、しかも子爵令嬢である彼女がこんなに物騒なものを誰よりも手に馴染ませようとしているのには理由がある。


 それは、初恋の人の側に行くためだ。


 幼い頃、ボルドリー子爵家の隣に住んでいたウィルという名の男の子。将来は彼と結婚するのだとアメリアは思い込んでいた。


 物心がつく前から一緒に過ごした二人は大の仲良しだった。


 おやつがアメリアの好きなものだったときには、侍女にばれないようにこっそりとくれたし、雷が怖くて泣いていたときは、びしょぬれになってボルドリー子爵家にやってきて、抱きしめてくれた。


 アメリアを映すウィルの碧い瞳はビー玉のように透き通っていたのを覚えている。


 最後に会った日も、怖がっているアメリアのことを一生懸命守ろうとしてくれた。そして、泣いているアメリアに言ったのだ。『ぜったいに迎えに行くから』と。


(まだ8歳だったのに)


 あの時のことを思い出して笑みが漏れる。


 けれど、その願いは叶わなかった。


 ――彼が国王の血を引いていたから。


 ウィルの母親は国王陛下の元側妃だったらしい。王子を出産したものの、後宮のあれこれに巻き込まれて座を追われたのだ。


 しかし、5人もいた王子殿下に異変が起きたのは約10年前のこと。元々病弱だった第一王子を皮切りに、不慮の事故や流行り病が原因で次々と亡くなり、国は悲しみに包まれた。最後の1人も、急に回ってきた王太子の座に震えあがって逃げ出してしまったらしい。


 ということで、ボルドリー子爵家に面倒を任されていたウィルのところにお鉢が回ってきてしまったのだった。


 いま、ウィル・ジュリアス・ピュリッツァーと言えば、誰もがこの国の王太子の名前だと分かる。国政に関われば国を明るくし、戦場に行けば武勲を上げる、この国の光のような存在だ。


 かつては平民として暮らしていたということで後ろ暗い噂が立ったこともあったけれど、今ではそんなことは微塵も感じさせない。


 そして、その神々しいルックスはこの国の令嬢たちの憧れでもあった。


(ファルド公爵家のヴィクトリア様と懇意だという噂は聞いているけれど、この国の王太子殿下の婚約は20歳と決まっているわ。だから、まだ間に合う)


 自室で、アメリアは手にした短剣を鋭く前に突き出す。


 アメリアが、同世代の令嬢たちが好むお菓子や紅茶やドレスや髪飾りのすべてに目をくれず、一心に剣や魔法の稽古に励む理由。


 それは、武勲を上げて爵位を賜り、この国の王太子であるウィルの結婚相手として相応しい地位を得るためだった。


 ――ウィルが迎えに来れないなら、こっちから行く。それが、彼女を突き動かすすべてだった。



「お父様、おはようございます」

「……今日から遠征訓練なのか」


 王国騎士団の騎士服に身を包み階下へ降りたアメリアに、父親は気遣わしげな視線を送ってくる。


「はい。ハリルの地へ参ります。訓練ですから、心配しないでください」

「……気を付けるのだぞ」

「はい」


 将来、王太子の婚約者候補として選ばれるためには子爵家の身分では足りないと知ったアメリアは、貴族令嬢たちが進む王立学校ではなく騎士学校へ進むことを早々と決めた。


 もちろん、元王国騎士団の騎士である父を筆頭に、母も兄も姉も、皆強く反対した。でも、アメリアの意志の強さを前に結局は折れてくれた。


 いま、アメリアは『ウィル殿下が20歳を迎えて婚約者を決めるまで』という期限を条件に王国騎士団での任についている。


(20歳まであと少し。何としてでも手柄を立てないと)


 アメリアは改めて決意を固めると、家を出た。



「今日の訓練には高貴な方が参加するらしいぞ」


 騎士仲間のハドリーの言葉に、アメリアは目を瞬いた。


 王国騎士団にはアメリアのほかにも女性騎士はいるものの、ごくわずか。アメリアの同僚はほとんどが騎士学校から一緒の貴族子息である。


「そうなの? ウィル殿下付きのドウェイン様とか?」

「それは知らない。警備を厳重にして置けという上からのお達しだ」


 騎士団の遠征訓練で警備を厳重にしろとはおかしな話だ。少なくとも、これまでにそんなお達しは出たためしがない。


「整列!」


 首を傾げているうちに部隊長たちの声が響いた。きっとその高貴な人物が到着したのだろう。


 そう思いながらいつも通り整列したアメリアは、目を疑った。


 その先には、きらきらと輝くブロンドを風になびかせ、透き通った碧い瞳で騎士団を見渡す青年がいる。


 ――ウィル・ジュリアス・ピュリッツァー。


 この国では知らない者がいないその人物がいることに、ただ時が止まる。


 10年前に泣き別れてから、一度も会うことが叶わなかったウィル。


 遥か前方にいるため、細かい表情までは見えない。けれど、何となく人を惹きつける独特のオーラですぐに分かった。


 お忍びでの訓練参加なのか、簡素な服装をしている。しかし確かに、ウィル殿下その人だった。


 隊員たちも、その高貴な人物の正体に気が付き始めたようで、ざわめきは騎士団全体に広まっていく。


「静かに!」


 特段大きくはないものの、威厳があって低くよく響く声。たった一声で、ざわめきは静寂に変わった。アメリアの記憶にはない、青年になったウィルの声だった。


「このハリルの地は、国防の要でもある。心して訓練に臨むように」


 いつも、騎士団長や部隊長が訓練前に口にするのと何ら変わりのない言葉。でも、彼が口にすると、どうしてこんなに身が引き締まるのだろう。


 それはほかの隊員たちにとっても同じだったようで、アメリアは空気が一瞬でぴりっとしたのを感じていた。


 今日の訓練は、有事の際の防衛シミュレーション。アメリアと一緒に持ち場につきながら、ハドリーがちらりと見て言う。


「……ウィル殿下、だな」

「そうね」


 淡々と答えたアメリアに、ハドリーは戸惑っている様子だ。


「あまり動揺しているようには見えないが」

「動揺しているわよ。……仕事中には出さないようにしているお嬢様言葉がうっかり口からでてしまうぐらいには」


 ハドリーは、アメリアがウィルに少しでも近づきたくて騎士を志したことを知っている数少ない存在だ。騎士学校時代からの友人で、アメリアが女性でも気を遣わずに接してくれる。


 アメリアの、任務時には一つにくくられるブロンドの長い髪も、真ん丸の透き通ったアメジストの瞳も、真っ白い肌も。


 そのどれもが騎士には不釣り合いなものだ。実際に、この入団してわずか半年の間に自分の息子や弟との縁談を持ってきた上司や先輩は数知れない。


 けれどハドリーはそういうところに視点を置いていないらしい。親友とも呼べる、信頼できる相手だ。


「そうか。張り切りすぎて失敗をするなよ」

「冗談。誰に言っているの」


 アメリアは、ハドリーに挑戦的な笑みを返したのだった。




「アメリア、障壁を」


 部隊長の命令に従い、アメリアは無詠唱魔法で実戦さながらに障壁をつくる。


 女性騎士に求められるのは、魔法による後方支援であることが多い。騎士学校の成績から言っても人並み以上に動けることを自認するアメリアだったが、組織としての決断には従わざるを得なかった。


 加えてアメリアが父親譲りの類まれなる防御魔法の使い手であることも、部隊長の作戦を後押ししてしまっている。アメリアの父が王国騎士団にいたころは、同様の働きをしていたらしい。


 少し前までは男爵家だったボルドリー家が子爵位を賜ったのも、隣国とのいざこざがあったときに防御魔法で目覚ましい活躍をした結果だという。


(でも、いまは平和だから戦場に出ることはほとんどない。いいことだけど……これでは、武勲をたてるのは難しいわ)


 アメリアが所属する第一部隊は精鋭たちが集う場所だ。女性騎士として初めてこの隊に入れたはいいが、実のところアメリアは少し焦っていた。




「アメリア、これを殿下のところに持って行ってくれるか」

「……」


 一日の訓練が終わり騎士仲間たちと夕食を終えたところで、アメリアはトレーを手渡された。トレーのうえには、固いパンに野菜のシチュー、焼いた肉、リンゴ半分がのっている。


(王太子殿下も、同じメニューを食べるのね……)


 当たり前のことに少し驚いたものの、状況を正しく把握したアメリアは部隊長に聞き返す。


「どうして私が。ウィル殿下は私のようなものが食事を運んでいい相手ではないのでは」


「こんな男所帯のむさくるしい訓練場でむさくるしい訓練を終えた後、むさくるしい男たちの間でむさくるしい男が運んだ料理を食べたいと思うか? ……俺は……嫌だ……」


 部隊長は遠い目をしている。それは完全なる個人的な趣味では、とアメリアは思ったが、後ろで酒を飲んでいる同僚たちも物悲しそうな目をして頷いている。


(……)


 きっと追い返される、と思いながらも、アメリアはウィル用のテントまで食事を運ぶことにした。


(ウィルに会うのは10年ぶりだわ。もしかしたら……私のことを覚えていてくれるかもしれない)


 こんな形で再会できるなんて。今朝には思ってもいなかった幸運に、アメリアの手は震える。


 僅かな期待を抱えながらアメリアはテントの前に立った。中には人影がある。きっと彼だ。手にしたトレーは緊張で揺れているのがわかる。


「お食事をお持ちいたしました」

「…………入れ」


 少しの間の後、返事があった。


 アメリアは恐る恐る入り口をめくる。テントの中には簡易式の寝台と、作戦会議用の大きなテーブル、そして椅子が数個並んでいる。


 その一番奥で、こちらに向き合うような形で彼は座っていた。


 懐かしい金色の髪。彼の特徴でもある紺碧の瞳は見えないが、確かにウィルだ。騎士としても訓練を積んでいることが分かるがっしりとした躯体やスッと伸びた背丈に当時の面影はない。


 けれど、纏っている独特のオーラが記憶の中と同じだった。


 アメリアの感動の一方で彼はこちらをちらりとも見ない。そして、テーブルの上の資料に目を落としたまま冷たい声で言った。


「そこに置いておけ」

「……はい」


 アメリアの声を聞いたウィルは、そのままの姿勢を崩さずに言う。


「なぜ、女性が運んで来るのだ」

「……第一部隊長の気遣いで……」


 ここまで言って、アメリアはハッとした。これでは、違う意味とも取られかねない。


 現に、20歳まであと数年になったウィルのところには数々の縁談が舞い込み、実力行使に出る品のない家もあるという噂は聞いていた。


 すぐに訂正しなければ、と思ったところでその懸念は的中する。


「――不敬だな」


 端的に発せられたウィルの凍り付きそうなほど冷たい声色に、アメリアは固まった。誤解を与えたこちらが悪いとはいえ、何と冷たい言い方をするのだろう。こんなウィルのことをアメリアは知らなかった。


「……申し訳ございません」


 失望を抱えたアメリアは深く頭を下げる。ウィルは何も答えない。


 こちらには目もくれないのに、その佇まいだけで出て行け、と言われている気がした。


(でも、何か一言いいたい)


 アメリアのことを娼婦のようなものと勘違いしたウィルが怒るのは仕方がない。しかし、せっかくここまで来たのだから、何か痕跡を残したかった。

 

 アメリアは覚悟を決めると、頑なにこちらを見ようとしないウィルを見て、大きく息を吸った。そして、大声で一気に叫ぶ。


「今日のシチューに入っているにんじんにはおいしくなる魔法がかけてありますから! 残さずにきちんと召し上がってくださいね!!」


「……!?」


 そうして、アメリアは皆まで言い終わらないうちに、テントから逃げ出したのだった。


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