春夢
梦
春夢
春彦が死のうと思ったのはなぜだったのかと最近また考えるようになった。亡くなったと聞かされた直後は脳が擦り切れるほど思い悩んで苦しかったことも思い出していた。
私の恋人は服毒自殺で死んだ。家中にもがき苦しんだ痕跡が残っていたらしく普段大人しい彼にしてはかなり派手な死に方だった、というか頭がいい方ではなかったからあまり考えずに飲んで効き始めてきて慌てふためいたのではないだろうか。
春彦の死は私の居場所も奪っていったが、それについて今更責めるつもりはない。
だってもう散々文句は垂れたから。
彼は頭は悪かったけれど顔は非常に良かったから見た目では到底私と釣り合わなかった。だから彼が生きていたときもそのことで突っかかれたことが何度もある。文句があるなら本人に言ってほしかったがこういうとき人間は残酷なのだ。春彦のせいで面倒な人間関係が築かれるのは辛かったし、別れればこんな生活から解放されるのだと当たり散らしたこともあったが彼はそのたびに嫌だと言った。
だから、だから今はいじめの程度が少し跳ね上がったにすぎない。
「宇美野 春彦という学生がこちらを訪ねてきませんでしたか」
私は賑やかなショッピングモールを抜けた先にある、暗い、駐輪場の受付に立っていた。この町はこういう一見普通に見える場所で違法な薬物が販売されている。蛍光灯の明かりがアクリル板越しに茶髪の男性の黄土色の顔を照らしていた。
「お客さんの情報は基本的に流せないんだけど」
ユメノ アヤコさんで合ってますかと問われたので私は生徒手帳を取り出す。
「夢野 綾子です」
「宇美野さんからあなたが来ても薬は渡さないでくれと言われてるんだ。薬、買いに来たので合ってる?」
ああ、馬鹿だと思っていたのに。
情に厚いやつだったということを忘れていた。私が後を追おうとするだろうと想定しているなんて思ってもみなかった。
「そうです。宇佐美はそんなことを言っていたんですね」
「すごい綺麗な子だったね。ニュース見たよ、残念だ」
残念か、他人事だ。私は両手を強く握った。長く手入れをしていない爪が手のひらに食い込んで痛む。
「他人事ですね」
「そうだね」
でもそこの、隣の百円ショップの店員も、君くらいの歳の女の子にハクキベルミン30シート渡してたよ。それも、ついさっきの出来事だ。
この町はこういう一見普通に見える場所で違法に薬物が販売されている。ただの駐輪場、なんでもないような小売店、そういうものを隠れ蓑にして人を死に至らしめる薬を販売してる。甘い言葉は吐かない、だってそんな宣伝なんてしなくても、死のうと思えば死はすぐそこにあるのだから。
「もう行きます」
ありがとうございましたと言おうとしてやめた。多分それが私の意地なのだろう。私は後追い自殺をしようとしたのではなく、ただ深夜の配信予告時間までの暇つぶしに来ただけ。茶々入れをしに来ただけ。
午前0時からハクキベルミンを使った集団自決の配信がある。私はそいつらに用があるのだ。
顔色の悪い店員の視線を背中に浴びながらショッピングモールを抜けると崖があってその下には岩場と海がある。私はその岩肌の上に仰向けに寝転がって携帯端末を覗き込んでいた。
「これ見てよ、バク。みんな知ってるぅ?」
おかしな抑揚のついた女の声が端末から溢れてくる。人を小馬鹿にしたような半笑いの喋り方が最高に耳障りだと思った。
液晶画面に紫色の粉が入ったビニール袋が映し出されると、表面にプリントされた剥げかけの獏のイラストと目が合う。
バク、ハクキベルミンのネットスラング。
単体だといくら飲んでも死なないが飲みすぎると健忘に似た症状が表れ、大量に服用し続ければ
「今日はこれを沢山飲んで皆で墓建てよーって話なんですけどぉ」
だよねぇ、と後ろの数名に聞くと既に服用しているらしい彼らはうんうんと緩慢に相槌を打つ。口元に濃度を確かめる試験紙を持っていく者もいる。
「後ろの人たち、もうキマってるわぁ。私も飲んだけど、まだこれ使ってないんだよねぇ」
茶色の紙袋をひっくり返すと硬い音を立ててZ'sが大量に転がり出た。この黒くて丸い小型端末は額に押し当てると特定の周波数を発して睡眠を促す。今机の上に転がっているのはそれに細工を施してスタンガンの変わりにしたりオンライン機能を搭載させ外部から電波を受信できるようにしたものだろう。
これは人を殺すくらいの衝撃も与えられような危険な玩具だ。こいつらは馬鹿だからそんなこと知らないんだろう思う。
「みんな壊しちゃおうよ」
そうだ、壊してしまおう。
あんたらを。
私はポケットの中の小型キーボードを操作する。手順は覚えているからその通りに押すだけ。
警察もマスコミも知らないが、春彦を殺したのはこの斎藤と言う女を中心にした複数生徒たちだった。あの受付で宇佐美 春彦の名前を使って薬を買ったのは別の男子生徒だろう。春彦は馬鹿だったがそこら中で薬が売っていることくらいは知っていてそれを嫌がっていた。
そんな人間がどの薬をどれだけ飲んだら死ぬなんて知っているはずがないじゃないか。
法律は未成年者を裁かない。だったら、私が彼らに一撃を喰らわせてやるほかない。
Z'sに侵入してちょっと強めの衝撃を与えればあとは過剰摂取したハクキベルミンの成分が勝手にあいつらの背中を押してくれる。
もうすぐコードが打ち終わる、
あとちょっと。
岩肌と波間の狭間、の向こうに春彦がいるような気がした。春彦の顔はとても哀しそうで、私は薄く苦笑いを浮かべる。
ギャーという悲鳴が上がる前にイヤフォンを耳から引き抜いた。
波の音が聞こえる。
春夢 梦 @murasaki_umagoyashi
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