第2話 竜のあるじ


「くぉらああぁー!! まぁてぇー!!」


 赤竜を従えた王の系譜。彼らが治める国、ウィルブラント王国。

 年間を通じて晴れの日が多く、水不足に陥らない程度に雨も降る安定した土地。

 その王都ルブランにて、ふくよかな男が叫びながら駆ける。

 男の店から盗み出した食べ物を、十歳にも満たない子供が大事そうに抱え疾走する。


「──ッ!」


 逃れるために、前へ、前へ。

 石畳の上を、息を切らしながら走る子供は気付かなかった。

 目の前で待ち構える人物に。


「坊ちゃん!」


 フィンスが小道に入る前に子供を確保すれば、商人の男は息も絶え絶えに追いついた。


「ったく! ワルガキめ! ──あ、坊ちゃん、ありがとうございます!」

「気にするな」


 王都ルブランにて、多大な影響力のあるエルランド家。

 そんな家の三男にあたるフィンスは、この街の商人に『坊ちゃん』と呼ばれることが多々あった。


「は、はなせよ!」

「こら! 大人しくしろ!」


 聞けば子供は、王都の子ではなかった。

 地元では満足に食べ物にありつけないと判断し、行商の馬車に紛れ込んで王都まで来たのだ。


 ウィルブラント王国は王家の威光と、赤竜の逸話により一見すると平穏だ。

 だが、近年は魔物の活性化もあり主に作物に影響が出ている。

 国内の食糧だけでは賄えないと早くに判断し、先駆けて他国と交易を始めたのがエルランド家の者たちだった。

 売上という意味での主な商品は貴族向けの織物や装飾品であるが、国に貢献したという意味では食糧品だろう。

 彼らの影響力が大きい王都で食糧難は起きていないが、他の集落では表面化してきている。


 そんな現状を知っているフィンスには、子供の事情が痛いほど分かった。

 だからといって、他人の物を盗っていいことにはならない。


「君は、責任が持てるのか?」

「せき、にん?」

「その商品を売ることによって利益を得るはずだった、彼の損失に責任が持てるのかい?」

「……そ、それは」

「なら、やめておけ。君の事情もあるだろうが他人に迷惑をかけて、はい、さようなら。……とはいかないのが、世の中というものだ。

 この損失が、彼自身だけではない。彼の妻、子供。あるいは、彼の商品を心待ちにしている人々。さまざまな者へと広がっていく可能性だってある。

 売り上げがなければ、彼と家族は生活できず、商品を欲する者に行き届かなくなる。

 ……大げさかもしれないが。人の物を奪うとは、そういうことだ」


 子供には少々酷なことを言ったな、とフィンスは思う。

 だがこういうのは大人がハッキリと教えなければならないのだ。


(私はまだ15なんだがな……)


 しかし前世の時を合わせれば、この王都で最も年長者だろう。

 とある一人を除けば。


「うっ、ううっ……」


 子供は、理解した。というよりも、元から分かっていた。

 分かっていてやってしまったのだから、差し迫った問題なのだろう。


「────と、いうわけで。私に免じて許しておくれ」


 にっこりと。一本一本が上質な糸のように流れる金の髪に、よく映える笑顔を店主に向ければ。彼は困ったような、どこか嬉しそうな。そんな顔を見せた。


「っだー! 坊ちゃんにそう言われちゃぁ……ねぇ~」

「すまないな。恩に着る」

「いえいえ、こちらこそ。いつも助かりますよ。

 ……あーあぁ、坊ちゃんが商会を継いでくださればなぁ」

「ふふ。私は、人の上に立つような者じゃぁないよ」


 それは冗談でも、比喩でもなかった。

 店主は残念がりつつも、笑顔で手を振って店へもどっていった。


「君、私の家に来なさい。少しなら食べ物を分けてあげよう」

「ぇ……? いいの……?」

「ただし、今回だけだ。私も、扱える商品には限りがあるからね。

 根本的な解決には、正直まだ時間がかかるだろうが……。人の物は盗ってはならない。

 それだけは、もうしないと約束しておくれ」

「う、うんっ。約束……するよ」

「いい返事だ。あとで帰りの荷馬車に乗れるよう手配してあげよう。

 それまで、私に君の住む場所の情報と魔物の被害状況を教えてくれるかい?

 なにか手伝えることがあるかもしれない」

「! わかった!」


 前世であれば、フィンスはこのようなやり取りを他人とするなど全く想像できなかった。

 一人の方が研究は捗る。煩わしくないし、静かな方を好んだ。

 弟子もいなかった。訪ねてくる者は、たまに。

 大抵は欲を持った者か、純粋に魔法に関する知識を求める者か。

 住居も転々とした。

 信の置けたヒトというのは最初の100年のうち、数年を共に旅した仲間だけだった。


「──っ!」


 通りに響き渡る、男の叫ぶ声がする。


「……?」

「あぁ、気にしないでくれ。迎えだ」


 何事かと怯える子供に、フィンスはやさしく説明をする。

 真っ黒い男が街中を、フィンス目掛け走ってくる。


「遅いぞ、コール」

「──いや、どー考えてもあんたが速いんだろ!」

「この街は庭のようなものだからな」


 漆黒の名を持つ、長い黒髪をひとつに束ねた男。

 服装ですら黒を好むようだ。

 フィンスをやんわり睨む赤の瞳は、主以外にはもっと鋭い。

 黒竜──コールは、すっかり馴染んだヒトの言葉をフィンス以上に砕けて使った。

 それはフィンスが課した、護衛となる条件の一つであった。

 

「で?」

「ん?」

「こいつは、なんだ?」

「あ、あのっ……」

「コール、怯えている。やさしく接しなさい」

「チッ」


 子供がびくりと肩を震わせれば、バツの悪そうな顔でコールは言った。

 腕組みをする姿すら威圧感を与える。


「あー。ガキは、得意じゃねぇんだ」

「君に得意なヒトなんていたか?」

「……うるせぇ主だ」

「あのっ」

「「?」」


 おずおずと子供が、コールをうかがいながら進言する。


「ぼっ、ぼくは、イルト。ふたり……は?」

「これは失礼、私としたことが。私はフィンス。フィンス・エルランド。

 こっちは護衛の──」

「コール」


 ぶっきらぼうに話すコールは、よほど子供の扱いに困っているようだ。


「(君ねぇ……)」

「(仕方ねぇだろ! 冒険者にこんなちいせぇ奴、いねぇよ)」


 ひそひそとイルトに聞こえないよう話せば、やはりコールは子供の扱いに困っているようだった。


 コールを正式に護衛として雇う前の一年間。

 前世の記憶と共に、この世界で純粋な『フィンス』として生きた記憶ももちろんある。

 黒竜と対峙した瞬間は、前世の記憶が甦ったことで驚くほど冷静でいられたが。

 やはり、改めて母や従者たちの死と向き合った時は落ち込んだ。


 大魔導師だったフィンスにとって、『悲しい』という感情は新鮮だった。

 前世では異常な魔力量により力が暴走することもあって、早々に親に捨てられた。

 家族の愛情というものとは無縁の生活を送っていた。

 代わりに、一人でも生きていける知恵や術、力を得た。


 それでも、こちらの世界で『フィンス』としてだけ生きた5年間。

 300年と比べれば多くはない年月でも、母の愛情というものはたしかに感じていた。


 本来であれば、未知が既知のことと成り得た時に喜びを感じる性であった。

 が、フィンスにとっても『悲しい』という感情はどうにも不思議なもので。

 いかに前世の記憶を持った、歳不相応な者でもどうにもならない感情であった。


 だから、1年間屋敷からはあまり出なかった。

 代わりに勉学に励み、この世界のことをより学んだ。

 その間フィンスはコールに課題を出していた。

 今とは違う姿でヒトに紛れ、冒険者として生計を立て。

 人の営みと共に、話し言葉も学ぶ期間とした。

 もちろん本気を出すと軽々と冒険者の最高ランクに到達するだろうから、ほどほどに。


 しかし冒険者だからなのか、関わった人物たちの影響なのか。

 コールの話し方は、ずいぶんと粗野な雰囲気になった。

 フィンスの父には助けてもらったコールの存在だけを話し、1年後に偶然を装って再会した。

 そこで護衛として正式に雇うこととなる。


 課題を課した時から、10年。

 未だコールはフィンスと共にいる。


「コールは愛想はわるいけど、怖くはないよ」

「おい。それフォローになってねぇ」

「えっと、よ……、よろしく」

「はい、よろしく」

「はー、ガキは主どのに任せた」


 およそ雇用主への言動とは思えないコールの態度だが、フィンスにとってはちょうどよかった。

 黙っていれば、女性が放っておかないであろう整った顔立ちをしたコール。

 竜は長い時を生きるが、ヒトと紛れて生活するうえで時と共に成長していく姿をとっていた。

 今は二十代半ば過ぎの、腕の立ちそうな青年をイメージした、ということらしい。長身だ。


 その艶やかな長い黒髪の美しさと、対になるような引き込まれる赤の瞳。

 竜の姿の時は金の瞳であったと記憶しているが、変化する際に変えたらしい。

 冷ややかな目つきは、すべてを疑っているかのように和らぐことはない。

 フィンスが黒竜にはじめて抱いた印象と、変化したヒトの姿はほぼ同じだった。


 ふつうであれば、名家の者が護衛として雇うには相応しくないといえる。

 主人よりも目立ちそうな容姿に加え、従順とは言えない物言い。

 だが、フィンスはエルランド家を継ぐ気がない。

 兄たちからの圧力がどうとか、そんなことは関係がなかった。

 フィンスはただ、フィンスとして生きていければそれでよかったのだ。


「あの、……ぼくなんかが、家に行ってもへいき?

 おじさんが、フィンスのこと坊っちゃんって言ってたけど……」

「もちろん。君はさきほど、私の友人となったのだから」

「へ?」

「こいつのことは、頭のおかしい商人。くらいに思っておいたほうがいい」

「ひどいなぁ」

「ほんとのことだろ」


 フィンスは、自分にだけより砕けた物言いをするコールにどこか安心していた。

 黒竜である彼を、半ば無理やり連れてきてしまったようなものだったからだ。

 フィンスとしては、ヒトに紛れて生活する1年間で自分の元を去る可能性もあると考えていた。今の状況というのも、未知の一つ。理屈以外のなにかで生まれた結果だった。


「コール。イルトを我が家へ招待する、着いてきなさい」

「……もともと拒否権ないだろそれ」

「私のこともだが、イルトのこともよく守ってあげなさい」

「チッ。わーったよ」

「……?」


 フィンスよりも若いイルトには、なんのことを言っているのかよく分からなかった。

 王都ルブランは、イルトの見る限りでは治安はそれほど悪くなさそうなのだ。

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