竜の主は導かない
蒼乃ロゼ
第1話 色を贈る者
──竜を従えたものは王となる。
大陸には、そんな言い伝えがある。
言いだしたのは、恐らくヒトの側だろう。
ヒトより遥かに大きく、強く。
遥かに長い時を生きる竜を従えることなど、不可能に近いのだ。
しかし、真意はともかく。
たしかに竜たちは過去、ヒトに力を貸した。
他の竜も、それぞれの矜持においてヒトに力を貸した。
数度にわたって力を貸した竜もいる。
ヒトが助力を乞うと、竜はその決意のほどを見極める。
願いの多くは力を欲するためのものだった。
だから竜は、邪な心を持つ者に力を貸すわけにはいかなかった。
しかと決意を汲み取った竜は、その者の願いの灯が尽きるまでヒトに従った。
その願いが強いからこそ竜は力を貸すのだから。
自然と、相手は他のヒトを導く役割の者であった。
彼らはその土地を治める者となった。
竜は、ヒトを認めた証として『色』を贈った。
鱗に覆われた、その色。
竜の名にも表されるそれを、ヒトに贈った。
認め、従い、種族を超えた友であると。言葉にはせず。
ヒトに流れる魔力に干渉することのできる、人智を超えた竜の魔力。
竜の魔力が宿る、鱗なり、血なり、肉なり。
それらを摂れば、ある者の瞳を赤色に。ある者の爪色を青色に。ある者の髪色を白色に。
色を贈ることが、竜なりのヒトへの愛の証なのだろう。
だが、たった一頭。
1000年をゆうに超えるヒトの歩みの中で、
『災い』とも呼ばれる、色を渡したことのない最後の竜。
黒竜が現れるところには、災いが訪れるという。
それは強大な力を有しながらも、ヒトに力を貸さない竜に対する侮蔑か。
はたまた、その未知の力に恐れをなしたヒトの畏敬の念か。
実際のところ、どんな災いが訪れるのかは分からない。
黒竜がなぜヒトに力を貸そうとしなかったのかも分からない。
ともかく200年。
200年前を最後に、白竜がヒトに力を貸してからというもの竜を従えるヒトは現れていない。
それはもはや、伝説上の話となった。
『──オマエハ、ナニモノダ』
『……なるほど。転生、というやつか』
森を抜ける道には、襲撃を受けた馬車。
その残骸の周りには年若い女と、使用人と思われる男たち。
そして、馬車を襲った魔物たちすら横たわる。彼らは微動だにしない。
女のかたわらに寄り添うように横たわる、幼い女児だけが胸を上下させている。
──そしてもう一人。
襲撃を受けながら、生き永らえた者。
この場で言葉を紡ぐのは、ふたり。
いや、一人と一頭。
漆黒の巨体からなる竜と、金髪の幼子。5歳ほどだろうか。
妙に大人びた幼子は、自身よりも数倍大きな竜相手に臆することなく対話する。
その姿は自信に満ち溢れた、大人ですら及ばない態度。
対して竜は、ヒトとの会話に慣れていない。
竜は不思議に思う様子で幼子を見極めようとしていた。
『テンセイ、ダト?』
『そう、転生。命の危機に際し、前世の記憶を取り戻したようだ。
君はあれか? 伝説上の、竜という存在だろうか』
すらすらと年齢に見合わない難しい言葉を繰り出す幼子は、やけに状況を受け入れている。
傍らで横たわるのは実の母だというのに、だ。
『ふむ。なれば、そんな君と拮抗する私もこの世界では異質……か』
幼子は、本当であれば命を散らすはずだった。
馬車が魔物に襲われ、母と従者たちは幼子らを守るために倒れ。
妹である女児は気を失い、幼子は怯え。
……と思えば突然、竜が現れ魔物を一掃し。
そして、竜は幼子らをも猛き爪で引き裂こうとした。
ところが幼子は前世の。大魔導師とも呼ばれた記憶を取り戻し、竜の攻撃を退けたのだった。
この世界において、エルランド家という大商人の家に生まれた幼子。
もとは心優しく、気弱な少年。
しかし大商人の家に生まれた彼には、その優しさは生きづらさの原因でもあった。
母譲りの華やかな容姿も、聡明さも、やさしさも。
彼が優秀であればあるほど疎ましく思うものもいるというわけだ。
家の後継、とりわけ財産の行方を気にする者たち。
継母や兄たちが、命すら狙おうとするほどに。
そして、母や幼子──フィンス。フィンスの妹であるディーゼ。
彼らの乗った馬車は、先行して安全を確認する役目の冒険者を継母らに買収されたために魔物に狙われることとなり。
たまたま近くにいた、さわがしい魔物を煩わしく思った黒竜がやってきたというわけだ。
それで、黒竜は息のあるヒトの子ふたりを見付けたのだが。
気を失ったディーゼを庇うフィンスが、黒竜への恐怖からか、兄としての使命感からか。前世の記憶を取り戻したのだった。
『ナニヲウレウ。チカラヲホッスルノハ、ヒトノシュクメイダ』
『私もそう、思っていたのだがな』
フィンスは、遠い昔を見通す青の瞳に黒竜を映した。
『なぁ、竜よ。世界に飽くとは、なんと贅沢な悩みだろうな』
『……』
『その様子だと、君もおなじ悩みをもつ部類か?』
『……サテナ』
黒竜にとって、その質問は戯言だった。
考えたこともなかったのだから。
だが黒竜は、あえて考えない様にしていたのかもしれないと。
ほんの少し、ヒトの問い掛けに興味を示した。
『以前の世では300年を生きたよ。あちらは、魔力の強さが寿命に直結する世界でね。
文明は、こちらとそう変わらないかな。私はそこで、……大魔導師と呼ばれていてな』
言葉に偽りはないと、黒竜自身が知っていた。
気まぐれに、儚い身を引き裂こうかと竜爪を繰り出した瞬間。
幼い姿に似つかわしくない豪風が吹き荒れ、フィンスを守ったからだ。
前世の記憶を取り戻したフィンスは、扱いが難しいとされる魔力をものにしていたのだった。
それは、もっとも魔力の扱いに長ける種族である竜をも凌ぐもの。
この世界においては、考えられない結果だった。
『さまざまな魔法を研究した。多くの書物も読んだ。最初の100年は旅もした。
身体能力は……、ふつうの冒険者並だったが。魔法では世界有数の使い手だっただろう。
多くのことを知り、世界の全てを知った気になった私は……ふと思った。
私の見ているこの景色。私を羨み、蔑み、恐れ、敬愛し、遠ざけ、近付こうとする者たち。この景色というのは、力ある者の見る世界だと』
『チカラ……?』
黒竜にとって、ヒトの口からそんな言葉がでてくるのは意外だった。
なにせ竜という種族は、力なき者──ヒトに力を貸してきた存在だったのだから。
はじめから竜と同等の力を有するヒトなど、見たことも聞いたこともなかったのだ。
『私はね、知りたかったのだろう。もし、この身でなければ世界はどう見えていたのか。
それが、知識の探求に人生を捧げた私の最後の願いだったわけだ』
『……ダレニ、ネガッタノダ』
この世界であれば、ヒトは竜に願うのかもしれない。
竜はどんな願いも叶えられるわけではないが、力を願うヒトにとってはその象徴だから。
だが、別の世界の人間であったフィンスは、誰に願ったのか。
『私はね、300年を生きたから……そこそこ有名でね。とある国では目障りだったようだ。
私の力を恐れるあまりか、謂れのない罪を着せられ処刑された。
まぁ、どちらでもよかったと思っていたんだ。全てを知った気になっていたから、やりたいこともさほどなかったし。けれど、最期の瞬間に気付いてしまってね……」
懐かしむような、なにかの瞬間を思い出すような。
フィンスはそんな視線を空に向けた。
「はじめて……神に願ったよ。
ヒトは、純粋な力以外でどうやって世を渡るのか。それを知りたかった、とね』
願いが正しく受理されたのか。それとも、偶然による導きなのか。
フィンスは、こうして『ふつう』のヒトとして生まれ変わった。
裕福な家庭に生まれたとはいえ、腕っぷしという意味ではふつうの人間だ。
いや、──だった。
『それで、私は君にむざむざと殺されるわけにはいかないんだ。
兄として妹を守り、……母や従者を弔ってやらねばならない』
『……』
フィンスにとって、念願かなった今世をそう易々と手放すわけにはいかなかった。
『……』
黒竜は、答えあぐねていた。
それはどう命を摘み取るかという恐ろしい算段ではなく。
黒竜にとって、目の前の幼子がいきなり興味のあるヒトへと変わってしまったからだ。
──力なき者である、ヒト。
彼らに従い、彼らと共に世界を導いた竜の同胞。
しかし、幼子はヒトの身に余る力を有し。
さらにはそれを使わずに世を渡ることが、生の目的だという。
竜にとっての常識というものがあれば、今まさにそれを覆されたところだった。
『ふむ……。やり合ったのでは、互いに無傷ではいられまいな。
それも困る。なぜ生きているのかと聞かれれば、私の素性がバレる』
それには黒竜も同意見だった。
が、自分が勝つ前提で話を進めているのは、やはり変わったヒトだと黒竜は思う。
『──こういうのはどうだろう? 君の生は、ヒトより遥かに長いのだろう?』
『ナンダ』
『私はこの身で、実証してみたい。前世ではできなかった……、力なき者が紡ぐ人生。
彼らは、たしかに世を渡る術を持っていて、それは個人の強さにも勝るもの。
それが愛なのか、利益なのか。今は分からないが……。
世界に飽いた君がよければ、一緒に見てみないか?』
『…………トモニ、ダト?』
黒竜は、フィンスの考えがよく分からなかった。
『災い』とも呼ばれ、ヒトに手を貸さない孤高の竜。
竜の伝説において、黒竜は悪者扱いなのだ。
ヒトは自分にとって都合のいい者は大切にするが、そうでなければ興味を示さない。
そんな己に、共に来いというのだ。
裏があるのかもしれない。
竜でなくとも、疑うだろう。
『安心してくれ。君のことを、他の者に突き出すような真似はしない。
むしろ、君が竜だとバレては困る。私は、平凡で在りたいのだから。
言い伝えによれば、竜は動物にもヒトにも変化することができると聞いたことがある』
『……デキル』
『だったら、ほら。今回私は、継母たちに疎まれこんなことになってしまっただろう?
護衛を雇うと言えば、父も納得してくれよう。そうだな……。今回、偶然通りかかった凄腕の剣士である君に助けられた──というのはどうだ?』
ずいぶん強引だな、と黒竜は思う。
だがそれがわるいことかどうかは黒竜にも判断がつかなかった。
『そうそう、申し遅れたが私はフィンス。フィンス・エルランド。
すこしは名の知れた、エルランド商会の三男だ。
君は、黒竜……でいいのだろうか。名前は、あるのかい?』
『……スキニヨブガイイ』
黒竜には名がなかった。
それは、一度もヒトに力を貸してこなかった証拠でもある。
なにせ竜同士を名で呼ぶことはない。色に例えた言葉で互いを呼んだ。
黒竜は、生まれながらに『黒竜』だったのだ。
『ふむ……そうだなぁ』
黒竜はもはや、諦めていた。
フィンスに着いて行くのは決定事項のようなものだった。
しかし不思議と、煩わしくない。
静かな場所を好む黒竜にとって、それはあり得ないことだった。
『コール』
『?』
『
『──!!』
そして黒竜には、あり得ないことがさらに続いた。
竜の同胞たちは、力なき者たちへ色を与えたのに対し。
一度もヒトに力を貸してこなかった己が、力ある者に色を与えられた。
黒竜だけではない。
きっと、すべての竜にとって、それはあり得ないことだろう。
それは例えば、はじめて開ける扉の先を見ることのようだった。
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