第71話『涙の訳、続く暗示』

 頭上を覆う樹木より木漏れ日が降り注ぎ、夜の闇を彷彿とさせる黒の森に微量ながらも光を与えた。

 そして闇の中を駆ける異質な色が一つ。

 一条の白線を残す敏捷なる異色は一跳びで木々の間を突き進み、地面から漏れ出た木の根や雑草に溢れた荒地を四つ足で踏み抜く。元々慣れた土地であることも関係するが、異色自身の責任感が白線の煌めきを一層のものへと昇華させた。

 慣れた足取りは確かな確信を以って進む。

 果たしてどれ程の時間をかけてきたのかも分からない。大地を駆けることに最適化された肉体は疲労をものともしないが、焦燥感は別。


「この先にいるんだな、スレイブ……!」


 始めから打ち合わせていた訳ではない。

 擦れ違いになる可能性もあり、愚策だと主張する声も存在した。

 本来なら彼らの帰還をバビロンで待っている予定であった。それでも何も滞りなく話は進み、ゲリラ染みたバーディストの隊を浮上で擦り抜ける手筈であった。

 だが、計画は完璧な統制の下に成り立っている組織に限定される。


「そろそろアイイシ達の報告にあった場所のはず……」


 風牙一族の長にして、国家陥落混成大隊陸戦部隊大隊長たる白狼の視界で黒の森が唐突に終わりを告げた。

 森の境に到達した訳でも、かといって瞬間移動の類を食らった訳でもない。


「これは……戦闘の跡、なのか?」


 木々の尽くが倒壊し、頭上からは日照りが今までの鬱憤を晴らすが如く降り注ぐ。荒地は陥没と地割れ、無理矢理引き抜かれた樹木の穴によってマトモに歩くこともままならない。

 恐ろしいのは、この惨状に木々へ向けた攻撃は欠片も見当たらないこと。

 あくまで戦闘の余波。ともすれば意識を傾けすらもせずに森の一角が崩壊し、尊厳を凌辱されたことになる。

 木々が薙ぎ倒されて視界が晴れ渡り、異質な存在がよく目立つ。

 故にこそ、片膝を突いた少年の姿を発見するのは容易であった。


「スレイブッ!」


 駆け寄る白狼──狼牙ろうがは角を彷彿とさせる二本の黒毛をたなびかせ、大盾に身体を預けている少年へと駆け寄る。

 スレイブが呼びかけに応じる気配はなく、微動だにしない。

 黒の森の一角を塗り替える程の激しい戦闘を繰り広げたと思われるのだ、意識を手放す域で消耗してもおかしくない。

 だからか、彼は特段意識することもなく迫った。


「スレイブ、疲れている所を悪いが起きてくれッ。急ぎの要件なんだ!」

「……あぁ、狼牙か」


 何度かの呼びかけに漸く反応を示し、スレイブは首を上下させる。

 不審な動きに狼牙は訝しげな目を注ぎ、足を止めた。が、件の少年が向ける視線の先を認めると、湧き上がる不審も即座に霧散する。


「あ、アレは歯車旅団のギルバート?! お前、一人でやったのか?!」


 両膝を屈し、狼牙の接近に眉の一つも動かさない歯車の意匠を持つ鎧の男。瞳から生気は失われ、力なく垂れた両腕も歯車旅団を率いる男の死を証明していた。


「あぁ……ま、実際にやったのはスレイの方だが、そこはどうでもいいか……」

「それにその血ッ。かなりの重傷じゃないか!」

「手の内を知ってるにしても、流石に無傷とはいかねぇんだろ……なんか火を出せるもんがあればいいんだが」

「あるか、そんなもん!」


 野戦療法が身体に染みつきでもしているのか、スレイブがやたら傷口を焼くことで止血を計ろうとするのはアイイシから説明を受けていた。そして、背中の鞄には簡単な治療道具を収納してある。

 肉体構造上、一人で取り出すことは叶わないため、狼牙は代わりに少年との距離を詰めた。

 だからこそ、彼の表情が視界に飛び込んでくる。


「おい、なんで泣いている?」

「あぁ、そりゃさっきまでスレイに……?」


 指摘されて目元に手をやったスレイブに、小さな衝撃が駆け巡る。


「あれ、本当だ。なんで泣いてんだ……?」


 泣いていた、ではない。

 、涙が止まっていないのだ。

 スレイブがギルバートの死に何らかの感情を揺さぶられる訳がない。達成感すらも、終始スレイが対峙していた関係で抱きようがないのだ。

 ましてや涙を流すなど、あり得ない。

 あり得るとすれば──


「いっそお前も死んでりゃ、俺も安心して動けるんだがな……スレイ」


 スレイブの呟きに首を傾げる狼牙であったが、自ら足を運んだ理由を思い出したことで声を荒げる。


「そ、そうだッ。のんびりしている場合じゃない。

 スレイブ、止血が済んだらすぐに乗ってくれッ。ドラゴニュートや奴隷の一部が我慢し切れずにバーディストとやらに突っ込みやがった!」

「突っ込んだだぁ?」


 素っ頓狂な声を上げたスレイブを他所に、狼牙は少しでも乗りやすいようにとしゃがむ。

 顔を向けた方角はバビロン──果てなき青空に一塊の暗雲が立ち込める先であった。

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