ギルドに見捨てられた盾役が鬼族の変わり者に救われた話

幼縁会

一章──見捨てられた少年と鬼族の変わり者編

第1話

 洞窟内に少女の悲鳴が木霊する。

 断末魔に金属同士の擦れる音、爆発音が特上の合唱団を演出する戦場でそれはありふれ、そして一際異質な色音を帯びていた。

 一つ一つの音の判別もつかぬ状況下で、スレイの鼓膜が一つの音に特別意識を傾ける。通常不可能なそれが叶ったのは、苦悶の声を上げたのが友軍で戦況報告のための通信魔法でチャンネルが通じていたためか。もしくは少女が自身に憧憬の念を抱いていたことを知っていたためか。


「下がって、ジルファングッ!」

「ま、だ……いッ……た、い!」


 横に並び、敵の攻勢に立ち向かう同士へスレイ・V・ローレライは後退を促す。

 視線を注ぐまでもない。

 返す言葉が痛苦に塗れ、報告ではなく願望を口にする時点で限界であることは容易に判断可能。故にスレイは努めて冷酷に撤退を促す。


「足を引っ張るなって言ってんだよッ。下がれよ!」

「でも……!」


 会話をしている余裕などない。

 現に今も、眼前に迫る真紅の肌を漆黒の鎧で覆う亜人種──鬼族きぞくの一鬼が手に持つ金棒を振り下ろさんと渾身の力を込めている。

 奥歯を噛み締め、命令を理解しない同士へ苛立ちを一つ。

 横に立つジルファングへタックルし、攻撃へ割り込む。


「きゃッ……!」

「ハッ、仲間割れかぁ?!」

「チィッ」


 金棒の衝撃が身の丈程の大盾越しに骨まで響く。奥歯を噛み締め、覗き穴から鬼の嘲笑った表情を睨む。

 身体能力の差は歴然。気を抜けば付与魔法の手助けがあろうとも、たちまち大盾ごと引き潰され粗挽肉の仲間入りをするだろう膂力がスレイの顔を歪ませる。

 とはいえ、それはただの暴力合戦の結果。

 スレイは空いた右手で手早く腰のポケットから短剣を取り出すと、覗き穴の奥で余裕の表情を浮かべる鬼めがけて投擲した。


「なッ、つぅ……!」


 相手も思慮の外だったのか。突然の刃に対処が遅れ、刃が額へ食い込んだ。

 真紅の皮膚こそ軽々突破したものの、脳へ刃が刺さった程度で鬼をやったと判断するのは早計。

 続けて一歩踏み込み、渾身の力で盾を振るう。

 隙を突かれたことで意識が刃に向かっていた鬼は体勢を立て直すことも出来ず、大きく仰け反って莫大な隙を晒した。

 大盾ガラハドが音を立てて上下を反転させ、逆三角形の辺から露出した柄を右手で掴む。

 味方を守護せし大盾にして、敵の首級を上げる大剣の鞘。二つの特性を有するガラハドの片割れが、戦場で一度の剣閃を放つ。

 銘をアロンダイト。

 刃毀れを知らぬ不滅の聖剣。鬼の皮膚を鎧諸共に容易く切り伏せる白銀の煌めきがスレイの手で引き抜かれ、純白の刃が敵を切り裂く。

 逆袈裟に切り裂かれた鬼の上半身がズレ、遅れて血飛沫が舞う。


「……」


 頭部を除く全身に纏った甲冑が返り血に濡れ、スレイの短く切られた灰の髪も思う存分に水気を啜った。


「怪我人抱えるくらいなら俺一人で持たせる。だから引け、ジルファング」

「で、でも……」


 敵一人切り伏せる様を見せて、なおも食い下がる少女騎士へスレイは舌打ちし、縦横無尽に敵を切りつけているだろう少女へ声をかける。


「ミコトッ。新人が怪我をした、一旦下がらせてくれ!」

「なッ……駄目ですよ、スレイ様ッ。ただでさえ前線が……!」

「引く時間くらい持たせるって言ってんだろッ!」


 ジルファングの言葉も単なる誤りとは些か言い難いのが実情。

 国境沿いに建設されているという鬼族の拠点への強硬偵察。

 スレイ達のギルドに国軍共同のクエストが発行され、件の地へ向かうまでは良かった。しかし、拠点を空けている時間という報告だったにも関わらず、洞窟の内部には十鬼もの軍勢が待ち構えていたのだ。

 既に国から派遣された国軍一個中隊は壊滅状態。あくまで偵察と考え新人を加えた四人編成では、スレイ達も苦戦を強いられて当然というもの。


『怪我ッ? 何が起きたの、スレイ?』

「鬼の一撃に奴が耐えられなかったんだろうよ。命令も聞かねぇし、引きずってでも引かせてくれ」


 脳内に響く念波へ返答し、スレイは眼前の敵へ集中する。

 仲間を討たれ激高したのか。ただでさえ赤い肌に血を上らせ、全身を生臭い朱で塗装した鬼が迫る。

 無造作に伸ばされた右腕をガラハドで受け流し、返す刃は金棒に阻まれる。

 激しい衝突音と火花が舞い散り、互いの得物が弾かれた。そして同時に振り下ろしては再びの火花。

 鬼の金棒は肩の大袖と同様に鋭角的な棘をいくつも生やした、野蛮で視覚的恐怖感を前面に押し出した外観をしている。だが計算されてかを知る術はないが、その棘が刀身を滑らせるような技術介入の余地を妨げ、鬼の圧倒的身体能力の押しつけを可能としていた。

 事実、水が徐々に染み渡るが如く、スレイの身体は金棒に押され少しづつ後退する。足に力を込めようとも、肝心の地面が抉れてしまえば手の施しようがない。

 得物のぶつけ合いでは勝ち目が薄い。

 スレイは左右へ視線を向けるも、盾役が故に自らこそが最前線。

 だが、それは同時にジルファングの後退が叶っていることも意味する。

 安堵の溜め息こそ吐けぬが、踏ん張りを利かせる理由としては充分というもの。


「おらァッ!」


 ガラハドで金棒を殴りつけ、強引にこじ開けた隙へアロンダイトを差し込む。胴体を貫く一撃を喰らい、なおも足掻く鬼の左手がスレイの腕を握り潰さんと甲冑を掴むと、軋みを上げて形状が歪んだ。

 当然、右手を抑えられては刃を切り上げることも不可能。


「お前も道連れにしてやるよッ。えぇ、餓鬼がぁッ!」

「やってみろよッ。鬼ぃッ!!!」


 互いに啖呵を切れば、後はもう意地の張り合い。

 引くことを知らぬ存ぜぬ二体の畜生が互いの命を貪るのみ。

 スレイが盾で殴りつければ、鬼も空いた右手で乱暴に振るう。付与魔法の恩恵で即座に死ぬことはないものの、命が削られている感覚は確固として存在する。

 だが、これは両者同意の喧嘩ではなく、種族間の抗争。

 そして脆弱なりし人間の武器とは、爪牙の代替たる武具だけではなくその物量。


「誰か、コイツに追撃をッ!」


 鬼はまだスレイが相手している分を除いても八鬼。

 落とせる分は確実に落とすべき。

 掴まれている甲冑から血が噴き出し、形状が歪む。しかしてアロンダイトだけは手放さない。


「誰も空いてねぇのかッ!」


 割れた甲冑の破片が右腕に食い込む。それでも大剣を手放さない。


「だったら付与魔法バフを、早くッ!!!」


 腕がひしゃげ、原形を保つことさえも困難となる。なおも右手は硬く柄を掴む。


「おい、誰か手を──!」

「スレイッ!!!」


 金切声を合図に、スレイが背後を覗く。

 そして、表情が失われる。


「待って、まだスレイがそこにいるのッ!!! 魔法を止めてッ!」


 まるで我が事のように叫ぶのは、黒衣に身を包んだ少女。先程ジルファングの撤退を促したミコトの顔には、戦場には不釣り合いな大粒の涙がいくつも浮かんでいた。

 そして彼女が顔を出している侵入口には、洞窟とは異なる色の岩が盛り上がっていく。

 スレイとミコトを引き裂くように。

 スレイだけを置いて、戦場から彼らを引き離すように。


「スレイッ。スレイ、待ってよ、スレイッ!!!」


 何度も何度も、壊れたように同じ名を叫ぶミコト。

 しかし、少女のこの世の終わりが如き表情は、彼の全身から力を失わせるには充分であった。


「──」


 アロンダイトを掴む右手が歪に天を指差す。

 そして、彼の意識は刈り取られた。

 横合いからの一撃によって。

 同時に岩が侵入口を封鎖し、肉片が飛び散る瞬間を遮ったのは幸か不幸か。



 スレイ・V・ローレライ。一六歳。奴隷。購入者は命八岐。

 ギルド歯車旅団に所属。

 国境沿いに建設途中の鬼族拠点への強硬偵察クエスト中に行方不明。

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