ひつじさんたちと暮らしながら編み物をしています

紫水 翠

第1話 いつもの朝。一日目。

 ちゅん、ちゅん、ちゅん、ちゅちゅちゅちゅ、、、


 閉じたまぶたの向こう側がうっすら明るいのがわかりました。

 朝です。


 少し起きるのがつらい気がして、もう少し、とまぶたを強く閉じようとするものの、耳に入ってくる鳥の声はもう起きなければならないことを告げています。


 やだな、


 そう思いながら、少年はうっすらと目を開けました。このままずっと寝ていられたらいいのに。

 体は少し重たく、目の周りが腫れぼったい感じがします。あたたまった毛布の端をつかんで、仁多くんは諦めて起き上がることにしました。


 窓からは柔らかな光が入ってきています。夕べの嵐は寝ている間に去っていったのでしょう。窓を開けると洗われたようなさわやかな空気が入ってきました。


「うーーーん、起きるぞー。」


 ひとつ伸びをして、ベッドから降り、ズボンと靴を履きました。

 たらいとやかんを持って外に出ます。


「仁多くん、おはよう。」

「おはよう。仁多くん。今日はのんびりだね。」


 色白の仲良し姉妹が声をかけてきました。


「おはようございます。日辻さんたちは今日も早いですね。」

「だってねぇ、」

「いいお天気だものねぇ、」


 うふふふ、と笑いながら仲良し姉妹は足元の草をつまみます。


「あ、日辻さん、すみませんけど畑の葉っぱは取らないで。今日のスープに入れたいのです。」

「ええ、そうしたいけどねぇ、」

「おいしそうだものねぇ、」


 うふふふふ、と笑いながら相談を始める姉妹を後に、仁多くんは水を汲みに出ました。

 仁多くんの家のすぐ裏手には小川がさらさらと流れています。天気のいい日はそこから水を汲んで沸かせるのでとても便利です。飲んだり食べたりするためだけでなく、仁多くんの仕事のためにきれいな大量の水は欠かせません。

 たらいに水を張って顔を洗い、着ていたシャツを脱いで洗いました。ぎゅうぎゅうに絞って、木と木の間にかけている紐にそのシャツを干せば、朝の仕事がひとつ終わります。たらいの水を捨て、今度はやかんに水を汲んで立ち上がりました。


「仁多くん、おはよう。」


今度は後ろから声がかかります。


「柏さん、おはようございます。」

「あのね、朝から大変申し訳ないのだけどね、私、どうも、落とし物をしてしまったみたいなの。」

「それは困りましたね。」

「恥ずかしいから、見つけても私には教えないで頂戴な。」

「わかりました。気を付けます。」


 柏さんは気恥ずかしそうに、せわしなさそうに足元を気にしながら去っていきました。

 あたりをきょろきょろしながら離れていく柏さんを見送った後、仁多くんはゆっくりと家に戻りました。玄関扉を開ける前にふと足元を見ると、草が生い茂っているのに少しへこんでいる部分があります。屋根がかかっているので雨には当たらず直射もさえぎられるとてもいい場所に、柏さんの落し物があるのに気が付きました。

 いただきます、と心の中で呟いて、仁多くんは卵をたらいに入れて持って帰りました。


 暖炉の火をおこし直し、やかんで湯を沸かします。待っている間に乾いたシャツを着ます。ナイフで切ろうとして、パンがだいぶ小さくなっていることに気づきました。今日か明日にはパンを焼かないといけません。


「今日も市場に行かなくちゃ。」


 ひとりごちながら、やかんに入れていた卵を長い箸で取り出し、お茶っ葉の入ったマグにお湯を注ぎました。半熟卵とパンとお茶の朝ごはんです。

 市場には毎日のように通っています。仁多くんは自分が作った小物を売って、そのお金で必要なものを買うのです。今日買わないといけないのは小麦粉と、できればチーズも欲しいところです。

 食べ終わると、簡単に家の中じゅうにほうきをかけました。

 仁多くんの家の間取りはシンプルです。家の左端にある扉から入ると正面に食事用のテーブル。その奥には小さな水がめや野菜などの食材を置いています。家の奥中央には暖炉があって、煮炊きはそこでします。暖炉の前に大きめのラグを敷き、お客様が来た時に温まってもらったり、夜に小物づくりをしたりする場所にしています。右の端にはベッドがありますが、ちょうど東側にあたるため、朝は窓辺からおひさまが起こしてくれるという寸法です。


 掃除が終わるとすっかり気持ちも晴れやかになりました。上着を着て、帽子をかぶり、品物をリュックに詰めて、市場まで出かけます。


 仁多くんの家から市場までは歩いて二時間ほどかかります。北の方にそびえる山脈を背にしながら、見渡す限りの草原をひたすら歩きます。道らしい道はありませんが、いつもなんとなく同じところを通っています。自然と草が生えづらくなってちょうどいい通り道ができているのです。

 雨上がりの日差しが心地よく、足取りも軽くなります。今日はいろんなものが売れそうな気がします。


「仁多くん、仁多くん、」


 いつの間にか近づいてきていた日辻さんちの姉妹が話しかけてきました。


「日辻さんたち、こんにちは。市場に行きますけどなにかいるものはありますか?」

「いるものなんてないのよ。それより聞いて。」

「聞いてよ仁多くん。」

「この人ったら私より先にタンポポを食べちゃったのよ。」

「だって私が見つけたんだから私が食べたのに、この人ったら怒るのよ。」

「ひどいわ。」

「ひどいわ。」


 日辻さんたち姉妹はどちらもぷりぷり怒っています。いつもはのんびり歩いているのに、市場へ急ぐ仁多くんに合わせて早足で歩いてられるのも怒っているからなのかもしれません。


「またタンポポ見つければいいじゃないですか。」

「だって白いお花のタンポポだったの。」

「黄色いのよりおいしいの。」

「だから急いで食べちゃったの。」

「教えてくれてもいいじゃないの。」

「ひどいわ。」

「ひどいわ。」


 だんだんどちらが文句を言っているのかわからなくなってきてしまいました。日辻さんちは姉妹に限らず兄弟も親子も孫もおばあさまたちもみなさんそっくりなのです。


「そういえば白い花と言えば、」

仁多くんは思い出しました。

「クローバーを見つけたら教えてくださいね。お土産にしたい方がいるので。」


 クローバーも今の季節は柔らかくておいしいらしく、競争率が高いのです。


「クローバーね、わかった。」

「たしかあっちの方にあったわね。」

「白いお花が咲いていたわね。」

言いながら日辻さん姉妹は駆け出しました。

 これは、生えてる場所を教えてくれたとしても「おいしかったわよ」という報告付きになるんだろうなと仁多くんは思いました。


 市場に向かう道なき道は、川の近くを通ったり、離れたり、また近づいたりして続きます。仁多くんの家の近くを流れている小川が他の川と合流しながら少しずつ太い流れになって、町の方へと流れているのです。

 町にはたくさんの人が住んでいます。

 市場が立つのは町の外れの方ですが、川を渡って中心の方に行くと市と関係なくいつも開いているお店があったり、宿屋や食べ物屋、飲み屋などがあっていつも人でにぎわっています。

 でも仁多くんはあまり町の中心部にはいきません。市場で用を済ませるとたいがいくたくたで、そこまで行く気にはならないのです。

 それに人でにぎわっている場所に行かなくとも、仁多くんには毎日することがあって充実しているのです。今日も一人歩きながら、クローバーの模様について考え始めていました。

 クローバーの葉は普通は三枚ですが、時々四枚の葉を見つけます。幸運のしるしとされているので教えてあげると喜ばれますが、日辻さんたちにはおそらく食べられてしまいます。食べられないようにしながら四つ葉のクローバーの幸運を身に付けられるようにしたら、きっと喜んでくれる方がいるに違いありません。


「四つ葉のクローバーを模様にしたらいいよね、」


 仁多くんは、編み物を得意としています。

 同じ太さの木の枝をつるつるになるまで磨いた棒を何本も使って、マフラーやミトン、靴下などを編んで市場で売っているのです。

 四つ葉のクローバーの模様をミトンに編みこんでしまえば、食べることはできないけれど幸運を呼ぶミトンになるかもしれません。


「でも四つ葉だけじゃなくて、三つ葉もいっぱいあるなかで四つ葉を見つけるからうれしいんだよな、」


どんな順番で編んでいけば自分が編みたい模様になるのか、ぶつぶつつぶやきながら考えながら歩いていると、あっという間に町はずれの市場に着いてしまいます。


「仁多ー、場所取っといたぞー。」


 そう言って腕をぶんぶん振りながら、遠くの方から大きな声で呼びかける人がいます。真滝さんです。背はそんなに高くないけれど、がっしりとしていて力の強い、頼もしい人です。仁多くんの家よりだいぶ東の方にある森に行っては山のように木を刈って、農具や狩りの道具を作って売っています。


「真滝さん、今日もすごい量ですね。」


 真滝さんの陣取っている場所にはすでに山のように鍬やほうきや弓矢などが置かれています。


「すごいなぁ、とても僕にはそんな数は用意できません。」

「それはお前、俺は一人でやってるんじゃないからな。仲間がいてこそだよ。お前も作れよ、仲間。」


 真滝さんは得意げに言います。


「仲間かぁ、僕にも日辻さんたちがいてくれるしなぁ。」

「え、日辻たちは仲間っていうのか?なんかちょっと違くないか?」

「え、そうですか?」


 話をしながら仁多くんも真滝さんの隣の場所に品物を広げます。


「茶色いマフラー、白っぽいマフラー、茶色いミトン、白っぽいミトン、茶色い靴下、いつも同じような品ばっかりだな。」

「真滝さんも同じような品ばっかりじゃないですか。」

「俺のは良いんだよ。農具っていうのはずっと同じもん使いたいだろ。マフラーはさ、たまには違う色にしてみたいっていうかさ、」

「そうですね。何かしたいとは思っているんですけど。」


 市場に来る道すがら考えていたクローバー模様を試してみたいとは思っているものの、まだ形にもなっていないものを口にすることは仁多くんにはできませんでした。でもいつか作ってみたいものです。あざやかな緑色で作られたクローバー模様の編み物。きっと素敵なものができるに違いありません。


 



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