第6話 小太刀

 鳥居は既に朽ちて腐っていた。

 本殿は傾き破風はふも崩れていた。

 狛犬は盗まれて台座も割られていた。

 そして御手水も吹きさらしのままだ。

 本殿とは名ばかりの、あばら屋と大差ない小屋が掛けてあり、木目も燻んで反り返っている。

 あれで風雪は防げないだろう。

 その傾いた片流れの屋根にも白雪が掛かっており、足元の新雪には小さな足跡がぽつぽつとあった。体重も軽いらしく、足跡は浅く土の色まで届いていない。

 その足跡を辿った視線の先に稚児がいた。

 単衣の小袖に細紐ひとつ。

 裸足だが、雪を踏みしめても平気の様子だ。

 ざんばら紙は漆黒で、風花という女の容姿に似ていた。

「あれは其処もとの娘かや」というと、無言で顎を縦に振るので「名は」と押しかぶせて訊いた。

「六花・・・」

 その言葉が突風に千切り飛ばされていった。


 破れ戸を開き、拝殿に立つ。

 屋根を拭くものは瓦ではなく茅であり、粗末さは拭えない。

 金物の装飾も全てが盗まれたか、売り払ったのか。

 しかしながら分不相応なくらいの祭壇が奥の内陣にある。祭壇には鏡が御神体として掲げられており、扉が開かれたことで再び光を得てぎらりと輝いている。その脇には巫女鈴と白鞘の懐刀があった。

 そこで作法通りの参拝をする。

 風花は仕留めたであろう野兎を六花に渡していた。血抜きはもう済んでいるようであり、解体して肉にするのだろうが、それにしてもあの年端で才知のあるものよ、と思った。

 その拝殿がこの親娘の住まいのようで、寝藁がそこに並んでいて、生活臭がある。そして巫女としての緋袴が綺麗に漆塗りの衣桁ころもかけに掛かっていた。

 この社の身上は荏胡麻えごま油の交易で成立していたと読んだ。

 神社の算用帳と思われる帳面の脇に、その座の朱印が置いてあった。然るに当世は荏胡麻では厳しかろう。太閤殿下の御代となり、荏胡麻の扱いの総本山であった大山崎さえ、大坂に移転となった。全ての文物は必ず大坂を介して日の本に流れていく。

 それは京の西陣織りでさえ、仕上げは大坂で細工するように、五奉行の差配で巧妙に誂えてあった。

 山陰道と山陽道に跨るこの細い流路で、荏胡麻座の朱印に今やいかほどに価値があるか。しかもその大坂全体が徳川葵に十重二十重に囲まれている。それでは生活たつきが建つ訳がない。


 本殿脇に屋根が架けられた竈門があり、そこで親娘は肉と山菜の鍋を興じてくれた。土鍋を囲み、それぞれの土器かわらけに盛って汁まで啜った。

 ひと心地ついた所で、話を進めることにした。

「如何であろう。儂はこれから山陰道を抜けて、西国は鎮西に向かう所存じゃ。博多におる知己より店を譲りうける次第よ」

 言葉少ない風花に腐心した。

 その言葉にも風花の表情は曇ったままで動きはしない。六花という娘は来客が珍しいのか、こちらの眼を覗き込もうとし、何度も正座の膝を叩かれていた。

「どうじゃ、燕雀えんじゃく商人とさげすまれ、とまれ行商を営む儂だが、鎮西においては一旗あげようぞ。どうじゃ、一緒に来ぬか。そう六花にも温かい小袖をあがなうてやろうず」

 何か空気がひとしきり冷たくなった。

 太い氷柱を背中に落とし込まれたようだ。生気のない風花の眼がこちらを睨み、侮蔑の色に染め上げられた。

「ふふ。ふふふ。お芝居はお止めくだされ」

「何だと・・・」

「其処もとは乱破か忍びの類ではないな。足運びに忍びの臭いがしない。武士の出ではあろうが・・・まあ使い者であろうな」

 地虫が這いずり回るような低い声である。その声だけ聴くと老婆が吼えているような気魄がある。その声に怯えてか、六花は薄暗い外に去ってしまった。

「大方、上方様の身を寄せる大名をお探しか・・・まあ畢竟、島津殿であろうわなぁ。関ヶ原の奮戦は天下に響いておるでの。しかもその後は寸度も徳川葵に領土を渡さぬその調略の采、胆力や善し」

 こうも饒舌になるとは驚きだ。

「太閤の血脈たる上方様という御旗と、寄って導くべき神輿が揃って居ればもう、島津殿は戦の大義を得るであろう」

 かっと口を開いたが、それは大蛇の口吻のように見えた。

 その眼は黄金色の鈍い光を放っていた。


 僕は夜の街にいた。

 小太刀を脇に挟んでいた。

 その姿を奇妙に思われ、職務質問などを警官に受ければ即逮捕される長さの刃渡りを呑んで、闇に溶けるように彷徨っていた。

 望むのは敵であった。

 滅すべき敵であった。

 狂おしい獣の、獰猛な衝動に胸を焦がし、臓腑に熱い劣情を激らせている。

 武道を志したのは何のためであったか。

 抜き身の妬心を葬り去り、己を昇華するためではなかったか。

 自問自答も無為なことだ。都合の良い敵はいない。

 ふと黄皓の、入れ墨のある後頭部を思い出した。

「ほう」と声を掛けられた。

「多少の骨はあるものがいたか」

 振り返ってみれば、蓬髪の和服の男がいた。

 髷は結っていない。ざんばら髪を結んでいるだけだ。

 血痕であろうか、灰色に汗染みのある生地に、どす黒い斑点がそこらにある。長刀を腰に挿していた。

 足音も立てずに、間合いを詰めてきた。

 ぞくりと首筋に電流が走ったが、それは愉悦のそれでもあった。

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