4.解答、未踏、意志昏倒

 扉が、叩かれる。その向こうに待ち受けるのは過酷か、それとも楽園か。答えは、開けるまでの秘密とする。


 簡素な寝台の上で、リトスは目を覚ます。傍らには心配そうな顔で彼を見守るスクラがいた。寝台の横には、紫水晶がはめ込まれた陶器の杖が立てかけられていた。


「うう……。また、この部屋か……」

「大丈夫か……?」

「どうして……。僕は、何を……。それに、頭が、痛い……」

「魔術の練習中に倒れたんだ。頭は…、まあ気にするな」


リトスは起き上がり、立てかけてある杖を手に取ろうとする。スクラはその手を掴んだ。そして掴まれたその手から、杖が落ちた。


「待て、何のつもりだ?」

「まだ、やっていない魔術があったでしょ…。すぐに覚えないと……」

「それはまた今度だ。今はそれよりも大事なことがある」


彼は床に落ちた杖を拾い、元の位置に戻す。


「大事なこと……?」

「ああ。君が倒れた理由にも関わることだ」


一呼吸置き、スクラは話し始める。


「まず始めに聞くが、君は何故、奴の攻撃を受けて無傷でいられたと思う?」

「……奴?」

「例の獣のことだ」


そう言われたリトスの脳裏には、街を襲撃していたあの獣人の姿が浮かんでいた。


「……わからない。でもすごく痛かったし、むしろ怪我一つなかったのが不思議なくらいだよ」


無意識に己の首に手を当てて、リトスはあの時のことを思い出しながら答える。あの時首に感じた鈍い痛みがフラッシュバックしたかのように、彼は僅かに表情を歪める。


「……まあ、わからないのも無理はない。何せそれは、そう容易く出来ることではないからな。…これから話すことは、本当に大事なことだ。君自身の価値を、そしてこれからの君を左右するほどに、重要なことだ」


前置きはほどほどに、話が始まる。


「人間の中で、ごく一部の者だけが持つ力がある。それは何も知らない者から見れば、魔術とそう変わらないだろう。しかし、これは我々魔術を修める者、それどころか誰にも分らない世界の謎でもあるんだ」


残念だ。と言いたげな顔で、話はまだ続く。


「かつて、歴史に名を刻む多くの賢人たちが解明に努めたが、その全てが解答を見いだせなかった。故に、もはや誰も、これを解明しようとは思わなくなっている」


「その力は、『能力』と呼ばれるその力は、恐らく君の中にもある。そして、それの力によって君は無傷でいられたのだろう」


その言葉にリトスは驚きと共に、ある種の納得を覚えた。あの時の痛みに対して、首には一切の怪我はなかった。スクラは話を続ける。


「恐らくだが……、君のその力は、魔術にも影響している。君が見せた薄片盾。はっきり言うが俺でもあれほどの強度にはならない。これらから察するに、君の力は『硬化』。それもかなりのものだろう」


「この街で能力を持っているのは、俺がわかっている限りでは君を含めて4人いる。その一人は俺だ」


スクラはそう言って、手のひらを天井に向ける。そしてその手のひらに、林檎程の大きさの光球が浮かび上がった。そして手のひらを閉じると、光球は消えた。


「まあ俺はこの程度しか出来ないんだが、セレニウスさんはすごいんだぞ。この街を囲う壁は、全部あの人の能力によるものだからな。まあこんな感じで能力にはピンからキリまであるんだ。俺のイスティクハーラは、まあこの通りなんだが」

「……イスティクハーラ?」

「ああ。俺の能力の名前だな。能力が目覚めたときに、自然とその名前が浮かんできたんだ。本当に無意識にな。それにこの能力の本質である『煌輝こうき』を合わせて、『イスティクハーラの煌輝』といったところだな」

「じゃあ僕のメガロネオスにもそういった感じの……あれ?」

「ほら、本当に無意識に出てくるんだよ」


リトスの脳裏に浮かんだ『メガロネオス』は、まるで最初からそうであったかのように、自然とそこにあった。そして彼自身も、それをメガロネオスと呼ぶことに何の違和感も覚えなかった。しかしやはり、そんな自分を完全に信じることは出来ていなかった。


「ふうん……。メガロネオス、か……」

「まあ信じられないのも無理はない。でも、ニセモノでも信じる気持ちは持っておいた方がいいと思うぞ?そうだな…。ならば今は『偽信ぎしん』を合わせるといい」

「メガロネオスの、偽信……」

「ああそれと、能力について一つだけわかっていることがある。それは、君もよくわかっているはずだ」


「君が初めて能力を発動させたときも、さっきの魔術の時もそうだ。君は発動と共に、眠るように倒れてしまっただろう?能力に目覚めたばかりの者によくあることだ。俺も目覚めたばかりのころはそうだった。さっきみたいな光球を出せば疲れで動けなくなっていたものだ。……おっと、いかんいかん」


話が進みすぎる前に、今度はスクラが自制する。


「まあ能力に関しては慣れていけばいい。俺は大体1週間程度で疲れなど感じなくなった。だから君もそれくらいで慣れるだろう」

「そんなものなんだね」

「そんなものだ。……これ以上話すことが無くなってしまったな……」


今言うべきことを全て言ってしまったスクラは、新たな話題を生み出そうと思案する。


「どうして、僕にそこまでしてくれるの?」


その思案と刹那の沈黙を断ったのは、リトスのそんな一言だった。


「ん? 何を今更……

「スクラは、僕を見捨てたくないからって言ってくれたよね。それはすごく嬉しかったよ。でもさ、それ以外にも、何かあるんだよね」

「……どうしてそう思うんだ?」

「あの時、何か言いかけたよね? なんて言おうとしたの?」


リトスの言葉に、スクラはばつの悪そうな顔をした。しかしその表情の中に、彼自身も気付いていない僅かな笑みも含まれていた。


「……セレニウスさんみたいなことを言うんだな君は。…確かに理由はもう一つある。だが信じてくれ。君を見捨てたくなかったのは本心だ」


誰も気付かぬまま笑みは消え、スクラは新たに話し始める。


「……さっきも言った通りだが、能力というのは希少なんだ。そんな君を、自身の価値を知らなかった君を、悪意を持って欲望のままに利用しようとする者がいるだろう。……そんな状態で、君をこの街から出すわけにはいかない」

「……」


リトスは何も言わなかった。目の前のスクラを見つめる彼の目には、憎しみや呆れなどは一切無かった。代わりにあったのはもっと別の想いだった。


(この人は、本当に優しい人だな……)


恐らく、スクラの言葉に偽りは無いだろう。しかし、裏には彼の慈しみが隠されている。なんとなくではあるが、リトスはそれを理解していた。そして彼の優しさに応えようと、決意を固めるのであった。


「ありがとう。ねえ、スクラ」

「……どうしたんだ?」

「僕、これからも頑張るから。だからスクラも、僕にいろんなことを教えてよ」

「……ああ。それじゃあ、明日からはペースを上げていくぞ!」

「うん! これから、本当によろしくね! 師匠!」


リトスの気持ちは、倒れる前のように高ぶっている。しかしそれは天素による紛い物の高揚ではなく、彼の心の底からのものだった。


「まあ今日はもう遅い。だから休め。程々に休まないと、出来ることも出来なくなるぞ」


スクラの言う通り、現在空には黒い幕がかかり、街もすっかり静まっていた。壁外を警戒する戦士たちの灯す炎だけが、その中で僅かに揺らめいていた。そんな光景を、蝋燭に照らされた室内にいるリトスは知る由も無かった。


「そうだね……。じゃあ、おやすみ。良い夢を」


リトスは起こしていた上体を倒す。彼も、彼自身の営みを終わらせようとしている。そんな彼を、スクラは慈愛に満ちた双眸で見下ろしている。いずれ彼も、彼自身の営みを終わらせるのだ。


「ああ。おやす______」


しかし、それは叶わなかった。部屋をぼんやりと照らしていた蝋燭の火を吹き消そうとしたところで、突然部屋のドアが開いた。


「今すぐに、来てください……!『奴ら』が来ました……!」


ドアの向こうにいる、軽装の軍服のような姿の男は、開くと同時に掠れたような声でそう叫んだ。その言葉に、慈愛に満ちていたスクラの表情は真剣なものに切り替わった。


「……詳細は移動しがてら聞こう。案内しろ」

「はい……! こっちです!」

「僕も……!」


リトスはこの状況を理解した。理解してしまった。起き上がり、杖に手を掛ける。


「ダメだ! 君は休んでいろ!」


しかし、スクラはそれを許さなかった。リトスよりも速く杖を手にし、それを軽く振った。それと同時に蒼白い光が、リトスに覆いかぶさるようにして広がった。


「師匠……!?」

「……ッ!」


苦虫を噛み潰したような顔をして、男と共にリトスは部屋を後にする。残されたのは、蒼白い光の塊に押さえつけられたリトスと、変わらずに揺らめいている蝋燭の炎だった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る