第1巻 第4章 (自然の中に見られる秩序的な神の知恵の痕跡)(神から全ての人への思いやり)

IV

第1巻 第4章 (自然の中に見られる秩序的な神の知恵の痕跡)(神から全ての人への思いやり)(神の全知)



A belief is current, in accordance with views maintained concerning Socrates in speech and writing, and in either case conjecturally, that, however powerful he may have been in stimulating men to virtue as a theorist, he was incapable of acting as their guide himself.

「ソクラテスの発言と文書のどちらの場合でも、推測ではあるが、どんなに強力にソクラテスが理論家として善行へと人々を刺激する事ができていても、ソクラテスは自ら人々の指導者として行動する事ができなかった」という、ソクラテスの発言と文書に関して主張された諸々の意見と一致する確信が現在ある。

It would be well for those who adopt this view to weigh carefully not only what Socrates effected "by way of castigation" in cross-questioning whose who conceived themselves to be possessed of all knowledge, but also his everyday conversation with those who spent their time in close intercourse with himself.

この(「ソクラテスは人々の指導者として行動する事ができなかった」という)意見を採用する人達にとって、ソクラテスが反問で非難して「全知を所有している」という思いを自ら抱いてしまっていた人達にもたらした物だけではなく、ソクラテスに親しく近づいて交際して時間を過ごしていた友人達とソクラテスの日常の会話をも、用心して思いはかるのは良い事であろう。

Having done this, let them decide whether he was incapable of making his companions better.

このように(友人達とのソクラテスの会話などを思い量る事を)して、彼ら(、「ソクラテスは人々の指導者として行動する事ができなかった」という意見を採用する人達)が、ソクラテスは友人達をより善い人にする事ができなかったのかどうか決定してくれますように。

(*Version A: )I will first state what I once heard fall from his lips in a discussion with Aristodemus, "the little," as he was called, on the topic of divinity. (*Version B: I will first state what I once heard fall from his lips in a discussion with Aristodemus, "the little," as he was called, on the topic of the divine element.)

私クセノフォンは、最初に、神という話題について「小さい者」と呼ばれていたアリストデモスと(ソクラテスが)議論した際に、私クセノフォンがソクラテスの口から聞いた事を話そう。(私クセノフォンは、最初に、神の要素という話題について「小さい者」と呼ばれていたアリストデモスとソクラテスが議論した際に、私クセノフォンがソクラテスの口から聞いた事を話そう。※別の版)

Socrates had observed that Aristodemus neither sacrificed nor gave heed to divination, but on the contrary was disposed to ridicule those who did.

アリストデモスが神に捧げものを捧げないし、(神からの)予言を留意しないし、実に、それどころか、神に捧げものを捧げる人や(神からの)予言を留意する人達を笑いものにする傾向がある、とソクラテスは気づいていた。

So tell me, Aristodemus (he began), are there any human beings who have won your admiration for their wisdom?

ソクラテスは次のように話し始めた。「それでは、私ソクラテスに教えてください、アリストデモスよ。知恵に関して、あなたアリストデモスからの称賛を勝ち得た人は誰かいますか?」

Ar.

アリストデモスは次のように話した。

There are.

「います」

Soc.

ソクラテスは次のように話した。

Would you mention to us their names?

「名前を挙げてくれますか?」

Ar.

アリストデモスは次のように話した。

In the writings of epic poetry I have the greatest admiration for Homer....

「叙事詩という形では私アリストデモスはホメロス(の知恵)に最大の称賛を贈る…」

And as a dithyrambic poet for Melanippides.

「また、酒神讃歌の詩人としては私アリストデモスはメラニピデス(の知恵)に称賛を贈る」

I admire also Sophocles as a tragedian, Polycleitus as a sculptor, and Zeuxis as a painter.

「私アリストデモスは、また、悲劇詩人としてはソフォクレス(の知恵)に、彫刻家としてはポリュクレイトス(の知恵)に、画家としてはゼウクシス(の知恵)に称賛を贈る」

Soc.

ソクラテスは次のように話した。

Which would you consider the more worthy of admiration, a fashioner of senseless images devoid of motion or one who could fashion living creatures endowed with understanding and activity?

「あなたは、動かない無意味な像の形成者(である人)と、理解力と動く力を与えて生物を作る事ができている者である神の、どちらが、より称賛に値すると考えているのですか?」

Ar.

アリストデモスは次のように話した。

Decidedly the latter, provided his living creatures owed their birth to design and were not the offspring of some chance.

「断然、後者の神です。ただし、生物が神の設計のおかげで誕生しているのであれば、また、生物が何らかの偶然の産物で(誕生したので)なければ、ですが」

Soc.

ソクラテスは次のように話した。

But now if you had two sorts of things, the one of which presents no clue as to what it is for, and the other is obviously for some useful purpose-- which would you judge to be the result of chance, which of design?

「では、もし、あなたが2種類のものについての知識を持っていて、一方は何のために存在するのかについての手がかりを示さず、他方は明らかに有益な目的のために存在する場合、あなたは、どちらが偶然の産物で、どちらが設計によるものである、と判断しますか?」

Ar.

アリストデモスは次のように話した。

Clearly that which is produced for some useful end is the work of design.

「明らかに何らかの有益な目的のために生み出されているものは、設計による作品である(、と判断します)」

Soc.

ソクラテスは次のように話した。

Does it not strike you then that he who made man from the beginning did for some useful end furnish him with his several senses-- giving him eyes to behold the visible word, and ears to catch the intonations of sound?

「では、『(創世の)最初から人を創造してきている者である神は、何らかの有益な目的のために、いくつかの感覚を人に与えてきている』という考えに襲われませんか?」

Or again, what good would there be in odours if nostrils had not been bestowed upon us?

「あるいはまた、仮に、人に鼻のあなが与えられていなかったら、香りには、何か、有益さが存在したであろうか? いいえ! 何の有益さも無かったであろう!」

what perception of sweet things and pungent, and of all the pleasures of the palate, had not a tongue been fashioned in us as an interpreter of the same?

「仮に、我々、人の(体の口の)中に、甘い物や刺激物の知覚や、味覚による全快楽の知覚を解説する物として、舌が作られていなかったら、甘い物や刺激物の知覚や、味覚による全快楽の知覚には、何か、有益さが存在したであろうか? いいえ! 何の有益さも無かったであろう!」

And besides all this, do you not think this looks like a matter of foresight, this closing of the delicate orbs of sight with eyelids as with folding doors, which, when there is need to use them for any purpose, can be thrown wide open and firmly closed again in sleep?

「さらに、『この目は遠くまで先を見通すための物のように思われる』と思いませんか? この目は、折りたたみ式の扉で閉じるように、敏感な眼球をまぶたで閉じます。何かの目的のために眼球を使用する必要が有る時、まぶたは大きく見開くように動かされますし、眠る時は、しっかりと閉ざされます」

and, that even the winds of heaven may not visit them too roughly, this planting of the eyelashes as a protecting screen?

「また、天空からの風が目を乱暴に全く襲わないように、目は、防護する遮蔽物として、まつ毛を立たせています」

this coping of the region above the eyes with cornice-work of eyebrow so that no drop of sweat fall from the head and injure them?

「汗が頭から目へ、したたって落ちて目を痛めないように、この目は、眉毛という仕切り、防御構造で目の上の領域に対処しています」

again this readiness of the ear to catch all sounds and yet not to be surcharged?

「さらに、耳は、全ての音を聞き取るために、さらに、負荷がかかり過ぎないように、用意されていませんか?」

this capacity of the front teeth of all animals to cut and of the "grinders" to receive the food and reduce it to pulp?

「全ての動物の前歯は切るための能力、役割として用意されていませんか? 臼歯は食べ物を受け止めて、ドロドロに成るまで、すり潰すための能力、役割として用意されていませんか?」

the position of the mouth again, close to the eyes and nostrils as a portal of ingress for all the creature's supplies?

「また、口の位置は、全ての生物の必需品を入れる入口として、目と鼻のあなに近いのではありませんか?」

and lastly, seeing that matter passing out of the body is unpleasant, this hindward direction of the passages, and their removal to a distance from the avenues of sense?

「また、最後に、肉体から排出される物は不快なので、後方へ排泄されるのではありませんか? また、知覚の手段である目、耳、鼻、口から遠くへ(、肉体から排出される物は)運ばれるのではありませんか?」

I ask you, when you see all these things constructed with such show of foresight can you doubt whether they are products of chance or intelligence?

「あなたは、このような先見性が示されて構成されている、これらの全ての物(、人の感覚器官)を見て、これらの物(、人の感覚器官)が、偶然の産物であるのか、知的存在である神の作品であるのか、疑問に思う余地など有り得るのか? 私ソクラテスは尋ねたい」

Ar.

アリストデモスは次のように話した。

To be sure not!

「(神が先見性を示しつつ人の感覚器官を創造してきている事を疑う余地は)確かに無いです!」

Viewed in this light they would seem to be the handiwork of some wise artificer, full of love for all things living.

「このような見方で見ると、『人の感覚器官は賢い計画者である何者か(である神)の作品である』と思われます」

Soc.

ソクラテスは次のように話した。

What shall we say of this passion implanted in man to beget offspring, this passion in the mother to rear her babe, and in the creature itself, once born, this deep desire of life and fear of death?

「人の中に植えつけられた子をもうける情熱について、母の中に植えつけられた幼子を育て上げる情熱について、一度、生まれた生物自体の中に植えつけられた生への深い欲求と死への恐怖について、私ソクラテスと、あなたアリストデモスは、どう思うべきでしょうか?」

Ar.

アリストデモスは次のように話した。

No doubt these do look like the contrivances of some one deliberately planning the existence of living creatures.

「疑い無く、これら(、人に有る子をもうける情熱、母の幼子を育て上げる情熱、生物の生への欲求と死への恐怖)は、何者か(である神)が生物の存続を熟慮して計画したように思われます」

Soc.

ソクラテスは次のように話した。

Well, and doubtless you feel to have a spark of wisdom yourself?

「ええ、また、疑い無く、あなた自身にも『知恵の痕跡が有る』と思いますね?」

Ar.

アリストデモスは次のように話した。

Put your questions, and I will answer.

「(はい。)ソクラテスよ、質問してみてください。私アリストデモスは答えてみるつもりです」

Soc.

ソクラテスは次のように話した。

And yet you imagine that elsewhere no spark of wisdom is to be found?

「では、『他の所では知恵の痕跡は見つからない』と、あなたは、まだ思いますか?」

And that, too, when you know that you have in your body a tiny fragment only of the mighty earth, a little drop of the great waters, and of the other elements, vast in their extent, you got, I presume, a particle of each towards the compacting of your bodily frame?

「あなたが『大いなる土の元素のほんの小さな一欠片、大いなる水の元素の小さな一雫、その他の大いなる四大元素の小さな一欠片が、あなたの肉体の中に有る』と知ったら、多分、あなたは『各、四大元素の小さな一欠片が、あなたの肉体の組織を構成している』と理解するのでは?」

Mind alone, it would seem, which is nowhere to be found, you had the lucky chance to snatch up and make off with, you cannot tell how.

「『心だけが、どこにも見つからない』ように思われるであろう。あなたは心を掴み取って持って行っている幸運を得ているが、どのように心を掴み取って持って行っているのか、あなたは説明する事ができない」

And these things around and about us, enormous in size, infinite in number, owe their orderly arrangement, as you suppose, to some vacuity of wit?

「また、『我々、人の周囲に有る、これらのものは、莫大な量、無限の数であり、知力による何らかのくう、空間のおかげで秩序を持って配置されている』と思われますね?」

Ar.

アリストデモスは次のように話した。

It may be, for my eyes fail to see the master agents of these, as one sees the fabricators of things produced on earth.

「人は地上では諸作品の諸作者(である人)が見えるが、多分、(人である)私の肉眼では、これらのものの元と成っている仲介している諸々のものを見る事ができないのです」

Soc.

ソクラテスは次のように話した。

No more do you see your own soul, which is the master agent of your body;

「あなたは、あなた自身である魂を見る事もできないのです。あなたの魂は、あなたの肉体の元と成っている仲介しているものなのですが」

(*Version A: )so that, as far as that goes, you may maintain, if you like, that you do nothing with intelligence, but everything by chance. (*Version B: so that, as far as that goes, you may maintain, if you like, that you do nothing with intelligence by your wit, but everything by chance.)

「そのため、魂に限って言えば、そう言いたければ、あなたは『魂は、知的存在である神によるものではなく、全くの偶然の産物である』と(誤って)主張してしまうかもしれない」(「そのため、魂に限って言えば、そう言いたければ、あなたは『私の知恵によると、魂は、知的存在である神によるものではなく、全くの偶然の産物である』と誤って主張してしまうかもしれない」※別の版)

At this point Aristodemus:

この時、アリストデモスは次のように話した。

I assure you, Socrates, that I do not disdain the Divine power.

「私アリストデモスは、あなたソクラテスに約束いたします。私アリストデモスは神の力を軽視しません」

On the contrary, my belief is that the Divinity is too grand to need any service which I could render.

「それどころか、私アリストデモスは『神は偉大過ぎて私アリストデモスに可能な奉仕など全く必要としない』と確信しました」

Soc.

ソクラテスは次のように話した。

But the grander that power is, which deigns to tend and wait upon you, the more you are called upon to honour it.

「ただし、かたじけなくも、あなたの面倒を見てくださる、あなたの世話をしてくださる、神の力が偉大であればあるほど、あなたは神に、より称賛を贈る事を求められるのです」

Ar.

アリストデモスは次のように話した。

Be well assured, if I could believe the gods take thought for all men, I would not neglect them.

「ご安心ください。『神々は全ての人を思いやってくださる』と信じる事ができたら、神々を軽視したりしません」

Soc.

ソクラテスは次のように話した。

How can you suppose that they do not so take thought?

「どうして、あなたは『神々は全ての人を思いやったりしない』と(誤って)思ってしまうのですか?」

Who, in the first place, gave to man alone of living creatures his erect posture, enabling him to see farther in front of him and to contemplate more freely the height above, and to be less subject to distress than other creatures (endowed like himself with eyes and ears and mouth).

「まず、神の直立姿勢(、神とほぼ同じ姿形)を生物のうち人だけに与えている者である神は、人が前方の遠くを見る事ができるようにしているし、人が上方の高みをより自由に観察できるようにしているし、(神が神御自身のような目、耳、口を与えているため、苦しみを回避できるので、)人が苦しむ可能性は他の生物よりも少ないのです」

Consider next how they gave to the beast of the field feet as a means of progression only, but to man they gave in addition hands-- those hands which have achieved so much to raise us in the scale of happiness above all animals.

「次に、『どうして神々は、前進するための手段でしかない(4つの)足を野獣には与えて、(2つの足に)加えて2つの手を人には与えているのか』を考えると、人の手は全ての動物よりも超越しているほどの幸福へ我々、人を高める事を達成しています」

Did they not make the tongue also?

「神々は(人の)舌も(特別に)創造しているのではないか?」

which belongs indeed alike to man and beast, but in man they fashioned it so as to play on different parts of the mouth at different times, whereby we can produce articulate speech, and have a code of signals to express our every want to one another.

「舌は人と獣に確かに同様に有るが、人の舌が色々な時に口の色々な部分で(音声を)演奏できるように神々が創造しているので、我々、人は明確な音節で発音した言葉を生じる事ができるし、人には人が必要とする全てのものを相互に表し合う表現体系が有る」

Or consider the pleasures of the sexual appetite;

「また、性欲による快楽について考えてください」

limited in the rest of the animal kingdom to certain seasons, but in the case of man a series prolonged unbroken to old age.

「(発情期は、)動物界の人以外の動物では特定の季節限定の物ですが、人の場合は、延長されていて、老年まで絶え間無く連続します」

Nor did it content the Godhead merely to watch over the interests of man's body.

「また、神は人の肉体の面倒を見るだけでは満足しなかった」

What is of far higher import, he implanted in man the noblest and most excellent type of soul.

「神は、より遥かに高尚で重要なものである魂の、最も気高い最も優れた原型を人の中に植えつけている」

For what other creature, to begin with, has a soul to appreciate the existence of the gods who have arranged this grand and beauteous universe?

「そのため、第一に、この大いなる美しい世界を手配してきている神々の存在を理解できる魂が他のどの生物に有るだろうか?」

What other tribe of animals save man can render service to the gods?

「人以外の、他のどの動物が神々に奉仕できるだろうか?」

How apt is the spirit of man to take precautions against hunger and thirst, cold and heat, to alleviate disease and foster strength!

「飢えと渇き、寒さと暑さに対して事前に対応策をとる事、病気を軽減する事、力を成長させる事は、人の精神に、何と相応しいのか!」

how suited to labour with a view to learning!

「学ぶために労苦する事は、人の精神に、何と相応しいのか!」

how capable of garnering in the storehouse of his memory all that he has heard or seen or understood!

「見聞きしたり、理解したりした全てのものを、人の記憶力という倉庫の中に、蓄える事ができる何て!」

Is it not most evident to you that by the side of other animals men live and move a race of gods-- by nature excellent, in beauty of body and of soul supreme?

「他の動物と比べて、優れている自然の摂理によって、肉体と最高の魂の美しさで、人が神々の(ような)生を生きたり行動したりする事は、あなたには最も明らかではないか?」

For, mark you, had a creature of man's wit been encased in the body of an ox, he would have been powerless to carry out his wishes, just as the possession of hands divorced from human wit is profitless.

「でも、人の知力が無かったら、(人の)両手を所有していても無益である、のと同じように、人の知力を持つ被造物が牛の肉体の中に入れられたら、願いを果たそうにも無力であろう」

And then you come, you who have obtained these two most precious attributes, and give it as your opinion, that the gods take no thought or care for you.

「さて、生まれていて、これら2つの最も大事な特性を獲得している、あなたは、『神々は、あなたを思いやったり面倒を見たりしない』という考えを話してしまっている」

Why, what will you have them to do, that you may believe and be persuaded that you too are in their thoughts?

「なぜ、『あなたも神々の思いやりの中にいる』と信じたり信じさせてもらったりできるように、あなたは何かを神々にしてもらうつもりなのか?」

Ar.

アリストデモスは次のように話した。

When they treat me as you tell us they treat you, and send me counsellors to warn me what I am to do and what abstain from doing, I will believe.

「あなたソクラテスが『神々は、あなたたち人をもてなしている』と我々、人に教えているように、神々が私をもてなしてくれたら、また、私がしなければいけない事と、私がするのを止めるべき事を私に忠告してくれる助言者を、神々が私の所に派遣してくれたら、私は『神々は私を思いやって面倒を見てくれる』と信じるつもりです」

Soc.

ソクラテスは次のように話した。

Send you counsellors!

「(神々は、)あなたに助言者を派遣しています!」

Come now, what when the people of Athens make inquiry by oracle, and the gods' answer comes?

「ねえ、アテナイの人々が神託で(神々に)質問すると、神々からの答えが返って来るが、どうなのか?」

Are you not an Athenian?

「あなたはアテナイ市民ではないのか?」

Think you not that to you also the answer is given?

「あなたは『あなたにも(神々からの)答えがもたらされている』と思わないか?」

What when they send portents to forewarn the states of Hellas?

「神々はギリシャ人が『ヘラス』と呼んでいる『ギリシャ人の地』の諸々の都市国家に事前に警告するために諸々の前兆を送った時が有ったが、どうなのか?」

or to all mankind?

「また、神々は全ての人に神々からの答えをもたらしていますよね?」

Are you not a man?

「あなたは人ではないのか?」

a Hellene?

「あなたはギリシャ人ではないのか?」

Are not these intended for you also?

「これら(の神々からギリシャ人や全ての人への予言)は、あなたにも向けられた物ではないのか?」

Can it be that you alone are excepted as a signal instance of Divine neglect?

「『神からの無視を表す実例として、あなただけが(神からの予言の対象から)除外されている』事など有り得るのか?」

Again, do you suppose that the gods could have implanted in the heart of man the belief in their capacity to work him weal or woe had they not the power?

「また、仮に、神々に力が無いのであれば、『神々には人を幸福にしたり不幸にしたりする力が有る』という確信を神々は人の心の中に植えつける事ができているのをあなたはどう思うのか?」

Would not men have discovered the imposture in all this lapse of time?

「(『神なんて詐欺である』と主張するのであれば、)この過ぎ去る時の全てにおいて、『(神など)詐欺である』と暴いた事が有る人々なんて、いないではないか?」

Do you not perceive that the wisest and most perdurable of human institutions-- be they cities or tribes of men--are ever the most God-fearing;

「『最も賢く最も永遠不滅な団体は、都市国家であろうと民族であろうと、常に、最も神を畏敬していて信心深い団体である』と、あなたは気づかないのか?」

and in the individual man the riper his age and judgment, the deeper his religiousness?

「また、個人でも、年齢と判断力が熟せば熟すほど、より信心深く成りますよね?」

Ay, my good sir (he broke forth),

(ソクラテスは突然、次のように話し出した。)「ああっ、あなたよ」

lay to heart and understand that even as your own mind within you can turn and dispose of your body as it lists,

「『あなたの中の精神と共に、あなたは変わる事ができるし、あなたは、思い通りに、あなたの肉体を処理する事ができる』と留意して理解しなさい」

so ought we to think that the wisdom which abides within the universal frame does so dispose of all things as it finds agreeable to itself;

「そして、我々、人は『世界の機構の中に宿っている知恵は、思い通りに、全てのものを処理できる』と思うべきである」

for hardly may it be that your eye is able to range over many a league, but that the eye of God is powerless to embrace all things at a glance;

「あなたの肉眼には、いくつもの距離を超えると、あちこち見る事が全くできないかもしれないが、神の目には一目で全てのものを悟る全能性が有る」

or that to your soul it is given to dwell in thought on matters here or far away in Egypt or in Sicily, but that the wisdom and thought of God is not sufficient to include all things at one instant under His care.

「また、あなたの魂には、ここや、エジプトやシチリアといった遠く離れた所に有る、諸物についての思考力の存在が全く与えられていないかもしれないが、神の知力と思考力は、一瞬で神の手元に全てのものを十分に含む事ができる」

(*Version A: )If only you would copy your own behaviour where human beings are concerned. (*Version B: If only you would copy reason as you are wont to do where human beings are concerned.)

「人に関わる所では、ただ、あなたは自身の行動を手本としてくれたらなぁ、と望む」(「人に関わる所では、ただ、あなたの習慣の通り、理性を手本としてくれたらなぁ、と望む」※別の版)

It is by acts of service and of kindness that you discover which of your fellows are willing to requite you in kind.

「(隣人への)奉仕と思いやりの行動によって、『あなたの仲間の誰もが、同じ種類の物で、あなたに喜んで報いてくれる』と気づきます」

It is by taking another into your counsel that you arrive at the secret of his wisdom.

「別の人からの異なる助言をあなたへの助言として受け入れる事によって、別の人の秘訣に通達できます」

If, on like principle, you will but make trial of the gods by acts of service, whether they will choose to give you counsel in matters obscure to mortal vision, you shall discover the nature and the greatness of Godhead to be such that they are able at once to see all things and to hear all things and to be present everywhere, nor does the least thing escape their watchful care.

「同様の原理で、あなたが(神々への)奉仕の行動を神々に試せば、いつか必ず死ぬ人の洞察力では不明なものについて、神々が、あなたに助言をもたらす事を好むかどうかと、『神々は一瞬で全てのものを見聞きできるし全ての場所に存在できる(、遍在できる)』という神々の性質と偉大さと、神々による注意深い世話から漏れる物は少しも無い事、神々による注意深い世話から漏れる者は少しもいない事に、気づくだろう」

To my mind the effect of words like these was to cause those about him to hold aloof from unholiness, baseness, and injustice,

私クセノフォンの考えでは、(ソクラテスは、)これらのような(ソクラテスの)言葉の効力によって、ソクラテスの周囲の人達を悪行、下劣さ、不正から離れさせる事ができた。

not only whilst they were seen of men, but even in the solitary place,

それだけではなく、また、人は他人から見られているし、実に人は独りきりでいてさえも神に見られている。

since they must believe that no part of their conduct could escape the eye of Heaven.

なぜなら、人は「人の行動は全部、天の神の目から漏れる事が無い」と信じなければいけないからである。

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