【32】「聖母系年下男性と子兎系年上女性」、と深夜の砂嵐
蕾が花へと咲き誇るように、蛹が
その瞬間を、私は
これを逃したらもう死ぬまで見ることはできないと思ったからだ。
私の部屋にある狭いシングルベッドで眠っていたその子を、デスブラックコーヒーを片手に見下ろしている。
この時を私のみが味わえるとは、なんという幸福か。今だけは神に感謝する。
大嫌いな第七の神へ乾杯しコーヒーを口に含むと、不思議な物を視るかのような眸でアイリは上半身を起こした。
つけっぱなしのテレビに視線を送り、砂嵐の音が気になりつつも目線をこちらに変え、口を開く。
「あ、あぁ……おは、よ……?」
何かを疑うような挨拶に少々違和感を覚えながらも、私は「ん」とだけ返す。
「どったの? なんか変な所でもあった?」
アイリは小さな唇をもぞもぞと動かし、言葉を作り上げようとしていく。
「えっと……バニーさん、ですよね?」
「……そうだけど、それがどうしたの?」
彼の妙な反応をする原因がわからず、辺りを見渡した。
見られたくない物は隠したつもりだけど。
またアイリを見ると、彼の目線の先にようやく気付くことができた。
──私か。
そりゃそうかと納得する。
恰好の問題だ、何せ今の私はバニーガールではないのだから。
水色のダウナーパーカーにジャケットを羽織ってジーンズ履いて、少しの間買い物に出かけて帰ってきたのだ。
おまけに黒マスク。これでは、今までの印象から天地がひっぺ変える程の違和感を与えてしまっているのだろう。
指輪型のピアスをつけた右耳を隠しつつ、マスク越しにやらしい笑みを向けることにした。
「なにアイリ、私のことバニーガールの服で判断してたの?」
両手で兎のポーズをし、焦らしの挑発をするとアイリは色気よく頬を染めていく。
健康な証拠でなによりだし可愛い。
「い、いえ! ただ、カッコいい人って思って……一瞬本当にわからなかったんです……」
口元を毛布で抑え、ちらりと何度もこらちを見つつも心情を教えた。
この胸の奥に来る甘酸っぱい羞恥。やはりこれがアイリだ。君が愛する者を殺す清姫ちゃんでも、もう一向に構わない。
「……ふ~ん、嬉しいからアイリの前ではずっとこの格好でいようかな」
カップを机の上に置くと彼へと寄り添いに行き、ベッドに腰かける。その時、尻目に一瞥した彼の眸は暗い室内にも関わらず、赫色の原石のように美々しく煌めいていた。
アイリは目を丸くし、こちらを見つめ直した──
ところを、私は強引に抱きしめた。
私の中で華奢な躰が小さく蠢き、胸に吐息が漏れる。
母様も私の事を抱きしめて、安心したのだろうか。
したのであれば、殺して申し訳ない。
アイリの動きは次第に収まっていった。
テレビの砂嵐リサイタルが少し続くと、アイリの微細な両腕が私の背に回されていく。
こういう、ことをするのだ。彼は。
それは枯渇しているのか、蛇のように巻かれていくその腕は私を欲しているようだった。
抱きしめる腕はとても脆く弱々しく、先のお姫様抱っこがまるで伽だと言いたげな虚弱だ。
「甘えんぼっ」小さく、甘く、囁く。
慣れないイケメンモードは疲れたのだろう。
アイリと抱き合ったままベッドの壁側へと回り、私も横になった。
一睡もしなくても全然平気な
脚先で毛布を掴み器用に二人へ被せると、彼を自分の方へと寄せた。このままではベッドから落ちてしまう。
そして、彼の生まれたてのように小さな耳へ、思い出したことを語りかける。
「アイリ──店の階段に下ってた時、『不安になったら、僕の心臓の音を聞いてください』って言ってたじゃん」
アイリは無言のまま、私の胸の中で聞き入れている。
「今考えたら、あれ凄い矛盾してるよ」
その言葉に反応して、隠れていたアイリは顔を上げ、眸で「どうして?」と問いてきた。
と解釈し、お話を繋ぐ。
「そんなこと言うなら、死ぬとか言わないでよ。不安になった時、アイリの心臓の音聞けなくなるじゃん」
そう言うと、私は体を密着させたまま下の方へと滑らせた。
その
命の旋律によって血は巡り、彼の
この小さくも
「……あぁぁ、可愛い音、食べたい」
「…………食べます?」
頭上から聞こえてきた
「比喩だよ……死亡系禁止って言った傍から」
彼の眸は揺るがない、先までの童は眠っているのだろう。
片耳をまたアイリの胸へと戻し、音を食事に堪能する。
──が、テレビの音が片方の耳へと侵入し、脳を軋ませていく。
いつも夜が明けるまで私はずっとテレビをつけている。途中から一面砂嵐に代わっても誰かが起きている実感が湧けて孤独を紛らわせた。
でも、
「アイリ、そこのリモコンでテレビ消して」
今はちょっとうるさい。
アイリは寝た状態のままリモコンを手に取ると電源ボタンを押し、黙らせた。
黒くくすんだ画面に抱き合っている男と女が映しされている。
それは言わずもがな私たちなのだが、どこか別の世界、物語の中にいる人々のように見えた。
こんな風に好きな男に頭を撫でられ、抱かれながら眠りにつくなんて想像もつかない。
少女へと帰還し、母親の愛に飢えている今の私。
きっとこれは私か誰かの夢の中なのだろう、起きたらこの子はきっといなくなっている。
でも、どうか消えないで欲しい、ずっとそばで音を聞かせて欲しい。
ああ、毎日こうやって、テレビを消して寝られたら良いのに。
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