【15】愛と死で進めぇい!

 眼前にある一店を、アイリは上から下へと睨みつけていた。

 このこじんまりとした70センチもの木製扉が、私たちの死に場所目的地だ。

 古びた紅色のペンキが所々剝がれていて、その小ささは地球の童話「不思議の国のアリス」に出てくる扉を彷彿とさせるものだった。


 ──地球の童話についてはアイリの方が詳しいかもしれないけど、この子、ペガサスとかユニコーンとか知らなかったしな。


 眉を顰めるも徐々に無表情へ戻り、アイリはつまらなさそうに呟く。


「小さいですね」

「店は地下にあるんだよ」

「そぅ」


 素っ気なく返事をして、アイリは扉に取り付けられている窓硝子から中の様子を覗き込むも灯一つ見えぬほど真っ暗だった。


「ここは光が苦手で、月光さえも眩しくてしょうがない弱虫が集まるとこなの」

「僕も弱虫だからお似合いです」


 そんな事を言う。


「そうかなぁ、アイリは夜光がさまになっているからね。逆に似合わないよ、こんなとこ」


 十割本音の言葉を掛け、しゃがみ込むと私はドアノブを引いた。


 扉を開いた瞬間、全身の毛細血管を逆撫でるような冷風が二人の間を逃げ去って行った。

 悪感──それ以上の“何かの片鱗”に触れたのだと、この肉体で実感した。


 なんて不運だ、今日はヤな客が来ているのだろう。

 形を持たない邪とは、なるべく会いたくはない。


 ふと様子を見ると、アイリが小刻みに震えていた。

 美々な面貌めんぼうからはわかりやすく恐怖が浮かび上がり、が溢れかけていた。

 そんな姿を見て、失礼ながらも薄ら笑みを描いてしまう。


 いや、元々これが目的だったのだ。

 死などくだらない。死よりも怖いものなど沢山ある。

 それを教える為にここへ連れて来たのだ。

 さて、これに懲りたらさっさとアイリをホテルへ帰してあげて、私は別のとこへと逃げようかな。


 しかし──うん。また“逃げる”んだな。


 こんなこと、私の生き方いつも通りなのに──どうして、こんなヤな気分になるのだろう。

 いつもみたいに、逃げて、逃げて、逃げ続けて生きてきたのに。

 ここは、殺人を犯しても直ぐに逃げれば良いだけのぶっ壊れた世界。

 アイリの世界みたいなとか言う、誰かが勝手に決めた常識ルールなんかは通用しない。

 それなのに、どうしていつもの逃げる事に違和感を隠し切れないのだ?

 こうなったのは、何のせいだ。

 しかし、おかしくした原因に私はとっくに気付いていた。

 だって、その子は──。


 小さな靴音が一つ、階段から跳ねた。


 私のヒールの音とは違う、弱々しくも突き進むような。

 目を背けて逃げたりはしない。と、その凛々しい脚は言う。

 私を殺そうとした脚は、そう語りかけているようだった。


「アイリ……?」


 アイリはその小さな体を更に縮こませると、闇へ、一歩、一歩、と降りていく。

 引き込まれるのとは違う。儀式のための生贄になるのとも違う。

 自ら、虚無へと入り込んで行こうとする。

 其は一人の童。


 ──逃げないんだ。

 彼の背が目から離れなれない。


 私から逃げずに助けたような無知子むちご

 そうやって突き進むのは、逃げ方を知らないだけなのか。

 それは、愚かな行為なのだろうか。

 死へと向かう背中は、こうも小さく、頼りがいのある物だったか。


 数時間知り合っただけの美少年女を見て、わたしは薄らとそんな事を思った。

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