拝啓 クソッタレなお前へ

澄田ゆきこ

本文

「何もしないから少し休もうか」って、これ以上なく最低な言葉でお前はあたしを誘ったね。

 今思えばそれが、あたしがお前に幻滅した最初の瞬間だったんだと思う。仮にも作詞してる人間が、言葉を使って歌にしてる人間が、こんなに手垢にまみれた言葉を使うんだって。

 だけどあたしはすぐハイに戻った。あたしはお前が好きだったから。どうにかなっちゃうんだろうなってシチュエーションに、これ以上ないくらい酔って、舞い上がっていたから。



 バイトと授業の繰り返しで、クソみたいな毎日の隙間で、お前の曲を聞きながら、あたしはやっと生きていた。悔しいくらいに、あたしはお前に生かされていた。汗臭いライブハウスで、お前の声に包まれながらもみくちゃになっている時間が、生きてるってことを忘れられて大好きだった。あたしはこのために、お前と同じ空間で息をするために生きてるって思った。

 バイトでクソみたいな客に絡まれた時とか、ゼミでこてんぱんに絞られた時とか、泣きそうなくらい嫌なことがあった時は、絶対にお前の歌を聞きながら歩いていた。そうじゃないと、いつ次の一歩が踏み出せなくなるかわからなかった。


 推し、という言葉で片付けられないくらい、あたしはお前に夢中だった。

 耳が壊れそうなくらい大音量のバンドサウンドの中で、なお芯をもって聞こえるお前の声が、好きだった。口をいっぱいにあけて、苦しそうに歌うお前が好きだった。あまりにも泣きそうな顔をしているので、あたしまで泣きたくなって、涙は一度零れたら止まってくれなくて、ライブの後は決まって顔がぐちゃぐちゃだった。

 そんな顔で、よくお前に会おうとしたものだと思う。あたしはお前に認知されたくて必死だった。推しを神として遠くから眺めるという人もいるけれど、あたしは推しに少しでも近づきたくてたまらなかった。

 だから、深夜のスーパーでお前を見かけた時、まともに息ができなくなるくらい嬉しかった。

「ファンです、いつもライブ行ってます」

 それだけの言葉を言うのに、なんど息を吸ったかわからなかった。あたしが犬だったら、しっぽがぶんぶん振られているのが目に見えたと思う。

 お前が嬉しそうにはにかんでくれたので、あたしは失神しそうだった。あたしだけに向けてくれた笑顔は、あれで初めてだった。耐性がない状態で食らったら、そりゃ、理性もなくすよ。

 あたしのカゴの中身を見て、お前は笑ったね。笑っても仕方なかったと思う。あたしのもっていたカゴには、さけるチーズと缶チューハイしか入ってなかった。

「もっとまともなモン食った方がいいよ」って、お前はあたしを食事に誘った。一足飛びに展開が進んで、あたしは混乱していた。まともなモン、っていっても深夜だったから、やってる店は居酒屋かチェーンのファミレスくらいしかなかったけど。あの時、遠慮がちに選んだミラノ風ドリアが、この世に存在するもので一番おいしかった。現実の突飛さについていけなくて、お酒なんて強くもないのに、安いグラスワインをバカみたいに飲んだ。

 そうそう、その後だったね。例の台詞。


 一〇三号室。今でも数字を覚えてる。嘘みたいにそっけない部屋に、古びたスロットマシンが場違いで、すごく目立っていたのも。


「どうせやるなら早くしようよ」って、あたしも生意気なことを言った。「何もしない」って約束ほど守られない約束もない。そのことを知らないほどうぶじゃなかった。だけじゃない。あたしはちょっと調子に乗ってた。

 だって、ステージの上でしか見たことがなかった人が、目の前にいる。キスをする。ぼこぼこした鎖骨や首筋がすぐ近くにある。何度も聞いたあの声で、あたしに囁く。声の混じった息を吐く。あたしはすぐにお前との官能に夢中になった。幸せだ、って思った。

 最高潮にハイでバカだったけど、どっかでは冷静で、自分がただの有象無象にすぎないことは、最初からわかっていたつもりだった。


 それからたびたび合うようになったね。会うのは必ずライブのない日だった。うちに来てくれることも多かったね。だけど、一度も、お前の家には上がらせてもらえなかった。


 好きだという言葉を交換したわけじゃない。だからこそ、あたしたちの関係に名前をつけるのは簡単だった。何番目の女なんだろう、って気になったこともあったけど、二以上の数字が入ることだけはすぐにわかった。お前のそぶりや時々目にはいるLINEの通知。クリスマスや盆正月や特別な日には絶対会えないこと。絶対に家に上げようとしないこと。少し考えれば簡単なことだ。


 いつのピロートークだったかな。「セフレって言葉ほどフレンドから遠い言葉もないよね」ってお前は言った。さすが言葉に関する感度が違うなって、その時はときめいたけど、今ならわかる。あれ、小説の言葉だったんだね。この間、お前が家に忘れていった文庫本を読んだら、書いてあった。笑っちゃったよ。ヒョウセツ、って言葉を、大学の授業で習ったばかりだったから。


 身体を重ねるたびに近づけるような気がした。それはきっと、お前も同じだったんだろうね。いつからか、曲にする前の詩を見せてくれるようになった。嬉しかったよ。どうにか嬉しさを表したくて、あたしは自分の中から出せるだけの言葉を溢れさせた。からっからになって、絞っても出なくなるくらいに。

 だけどさ、お前の作った詩でもやっぱり、すっごい刺さるやつとそうでもないのがあるのね。そうでもないのだって本当に好きだったんだけどさ。だけどお前は、前に比べて反応が薄いと露骨に不機嫌になったね。あたしはあわてて「超いい」ってなんにも中身のない言葉を塗り重ねた。必死だった。嫌われたくなくて。



 就活が始まってから、お前は不機嫌になることが増えたよね。インディーズのバンドマンがどれだけ不安定なのか、お前を見るまでもなく想像はついていた。だから、いわゆるレールに乗っかって安定に走ろうとするあたしが、お前は理解できなかったんだろうね。

「尊敬するよ。オレは普通のサラリーマンとかなれなかったから」

 普通のサラリーマン、に明らかに侮蔑を込めて、お前は言ったね。お前はいつだって、音楽に対してはストイックな自分に酔ってた。その時たぶん、あたしは我に帰っちゃったんだと思う。だけどあたしは見ないふりをした。


 そんな時でも、第二志望の最終面接で落ちて泣いてたら、言葉を尽くしてなぐさめてくれた。あたしはお前のそのうすっぺらな優しさが嬉しかった。

 第一志望の結果発表待ちのときも、「きっと大丈夫だよ」って何度も背中をさすってくれた。途中で「今日は外せない用事があるから」って帰っちゃったけど。その後、無事に内定もらえたよって報告したLINEの返事は「よかったじゃん、おめでとう」だけですごくそっけなかったけど。

 そのことについて、冗談半分で問い詰めたら、お前はちょっと焦った顔をしたね。それから、「社会人になっちゃったら今みたいに会えなくなると思って」って、上手に言い訳をした。あたしの頬に手を添えて、キスをして、それからお決まりの流れ。セックスすればなんでも誤魔化せるって思ってた? 残念でした。ちゃんと覚えてるよ。


「今みたいに会えなくなる」ってお前は言ったけど、「会いたい」ってLINEに頷くのは、いつもあたしだけだったよね。あたしの「会いたい」に応えてくれたのは何回だっけ?

 答えはお前が一番よくわかってると思うので言わないでおきます。


 一回、この「会いたい」を無視したらどうなるんだろうって、試したことがある。我ながら残酷なことを思いついたと思うよ。けど、あたしは疲れてた。そんでもって、それまでの熱狂から少しずつ少しずつ、冷静になってた。何番目かもわからない女で居続けるのに、残り少ない青春を無駄にしたんだって、ある日気がついちゃったんだ。

 試した結果、笑っちゃったよ。必死なんだもん。「ごめん」「俺なんかした?」って誠意もへったくれもない謝罪とかさ。面白くて、道の真ん中で声を上げて笑っちゃった。自分の最低さには気づいてたよ。だからすぐ虚しくなった。「ごめん、なんでもないよ。あたしも会いたい」ってすぐ返事した。虚しさはよけいに大きくなった。いつからだろうね、お前といると嬉しさより苦しさが勝つようになったのは。


 そうそう、「お前」って言われてどんな気分だった?

 あたしもたぶんお前と同じ気分だったよ。


 どうせこの手紙もお前を感傷にひたらせるだけなんだろうね。曲のネタにでもすればいいよ。それでまた、あの泣きそうな顔で歌えばいい。もう二度と見にはいけないと思うけど。


 長くなりすぎちゃったな。もう便箋に残りがないので、このへんにしておきます。


 好きだったよ。


 敬具


 最低なあたしより



 追伸 メジャーデビューおめでとう。

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