恋の鐘を鳴らそう

碧月 葉

葛姫と狸爺

〈葛姫〉 じい、あのね。お願いがあるんだ。


〈狸爺〉 え、姫、何?


〈葛姫〉 じいに会いたい。会って話したい。


         ・

         ・

         ・


〈狸爺〉 分かった。会おう。



 「葛姫」こと、稲荷美咲はパソコンの電源を落とした後、ベットに倒れ込み左胸を押さえた。


(ヤバっ、心臓が出てきそう)



***



 美咲が「狸爺」と出会ったのは3年前。

 二人はオンラインゲームがきっかけで出会ったネッ友だ。

 交流するうちに、神社仏閣や昭和歌謡といった共通の趣味を発見して意気投合し、今や親友と呼べる間柄になっていた。

 ゲーム時代からみんなに「じい」と呼ばれていた「狸爺」。

 歳も性別も素性も全く分からないネット上だけれど、その名称と渋い趣味から、美咲はてっきり年配の男性だと思って接していた。

 趣味も合い悩みを打ち明けると、温かい言葉で励ましてくれる頼れる存在。



〈狸爺〉 『シュガー・ベイブ』も良いんだけどさ、ソロになった後の大貫さんの曲、僕は好きなんだよね。


〈葛姫〉 分かる! 透明感や温かさが研ぎ澄まされている感じ。私は声と歌詞のギャップが堪らないあの曲が…………。



 勉強の合間にするちょっとしたやり取りは、美咲にとって癒しの時間。


〈葛姫〉 じいと話すとホッとする。大学受験のせいでささくれ立つ心が慰められるよ。いつもありがとう。


 ある日、率直に感謝を述べた美咲だが、返ってきたメッセージに息をのんだ。


〈狸爺〉 姫も受験生なの⁉︎ 驚いたな。ごめん、ずっとゲーマーなおばあちゃんかと思っていたよ。勉強大変だけれど一緒に頑張ろう。


(「姫」!)


 これまで、プライベートに関する事は殆ど話さなかった「狸爺」が年齢を明かすような言葉を使った。


〈葛姫〉 私もてっきりおじいちゃんかと思ってた。


〈狸爺〉 まあ、僕の場合ワザとだったから。イメージ戦略成功だったっけ訳だね。


 美咲の頭にクスッと笑う青年の顔が浮かび、そして何やら胸の辺りがくすぐったくなった。



***



 春。

 美咲は東京にいた。

 憧れの大学に進んだものの、地方から出てきた彼女はまだ都会に馴染めていなかった。

 初めての一人暮らし、知らない人に囲まれ、心細くて寂しさが募った。


 色んなことが変わったけれど、「狸爺」とのやり取りは変わらず続いていた。

 どうやら「狸爺」も無事に受験を乗り切ったらしく、新生活の愚痴などを言い合った。

 これまで以上に不安や孤独を癒してくれる「狸爺」は、美咲の中で「友」以上の存在になっていた。

 

 そして遂に我慢の限界を迎えた美咲は、勇気を振り絞って「会いたい」と彼に告げたのだった。

 


 待ち合わせに指定されたのは、西武国分寺線の恋ヶ窪駅前。

 美咲は初めて降り立つ駅に緊張していたが、改札を出ると穏やかな雰囲気の住宅街が広がっていて、故郷を思わせるのどかな街なみにほっとした。

 

 人通りが多くはない駅、若い男性が通る度にドキリとしたが、みんな美咲の前を通り過ぎるだけだった。

 

 約束の時間から1時間半が過ぎた。


 何度もスマホを確認したけれど、「狸爺」からの連絡は来ない。

 美咲は目印として履いていたミント色のチュールプリーツスカートをきゅっと握りしめた。

 

(こんなに辛いなんて)


 「恋」になりかけだった気持ちが、血を流して死んでいくようで胸が苦しい。

 美咲は花壇のブロックに腰を下ろし、両手で顔を覆った。


 美咲は余計な事さえしなければ続いたであろう関係を想って泣いた。




「お姉さん、具合でも悪いの? 人、呼ぼうか?」

 

 顔をあげると白いマウンテンパーカーを羽織った男の子が心配そうに美咲の顔を覗き込んでいた。

 

(わ、綺麗な子。地元の中学生かな?)


「ううん。大丈夫。振られちゃっただけだから」


 美咲は涙を拭って、無理矢理笑顔を作って応えた。


「彼氏が来なかったの?」


 少年は美咲をみつめた。


「ううん。彼氏じゃない。今日初めて会うはずだったの」


「え、出会い系?」


「違うよ。ネッ友。今日初めてリアルで会うはずだった」


「じゃあ、会えなくて良かったんじゃない?」


「え?」


「今時、小学生でも知ってる。ネットの世界で会った人間に簡単にリアルで会おうとしちゃダメだよ。事前にインスタライブとかテレビ電話で相手の顔と声を確認したの?」


「してない……」


「危ないなぁ。ニュースとか見てないの? 『信頼していたしたネッ友が中年男性でした』って話は沢山あるじゃん。相手は男なんでしょ、一対一で会うなんて正気の沙汰とは思えないね。何かあってからじゃ遅いんだよ」


 美咲より頭ひとつ小さいであろう見ず知らずの少年に説教され、美咲はたじろいだ。


「いや、だって何年もやり取りしてる相手だし…… 私と価値観も似ていて話しやすいし…… とても悪い人には思えないよ」


 少年は大きくため息を吐くと、美咲の隣に腰を下ろした。


「馬鹿だなぁ。ネットの世界なんてさ、幾らでも自分を偽れるんだよ。いい人のふり、イケメンのふり、金持ちのふり。嘘ばっかり。相手に気に入られようと、みんな理想の自分を演出している。お姉さんの相手、今日ココに現れないって事はやましい事があって来れないんだろ、きっと。『嘘でした』って正直にいう勇気もないクズじゃん。会えなくて正解。忘れなよ」


 少年は励ますつもりで言ったのかも知れないが、美咲の心は痛んだ。

 真実を突いているかも知れないから尚更に。


「あの人クズじゃない。私にとって本当に大切な人だよ。受験生の時も、東京に来てからも優しく支えてくれた。何も知らないのに、勝手に悪く言わないで」


 美咲は少年を睨んだ。

 目の端に溜まっていた涙が、ポロリと溢れた。

 

「…… ごめん …… 困ったな」


 再び俯いて泣き始めた美咲に少年は当惑して眉を顰めていたが、やがて決心したように拳を握り締めた。

 

 

「お姉さん…… 時間あるんだよね。これから僕とデートしよう」



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