きみの瞳を信じてみようと思うんだ ep2

すっかり心を許したのか、よしくんは歩きながら俺の顔を見たり、後ろから自転車を押してついてくる松本くんを振り返ったりしながら、楽しそうにしゃべり続けていた。

手にはしっかり、松本くん家で買った牛乳の入った袋を持って。

団地の敷地に入る手前で立ち止まり、自転車をよしくんに渡した。

「ちゃんと、お母さんに遅くなった理由説明するんだよ」

「……うん」

心もとない返事に、松本くんがはっきりと言った。

「ウソはつくんじゃねぇぞ」

目に見えて、よしくんの背筋がぴしっと伸びた。

優しくするだけじゃ、だめなんだなと改めて思う。

大きく手を振り、自転車に乗っていくよしくんを見送った後、どれくらいそうしていただろうか。

よしくんの姿が見えなくなっても、聳え立つ団地を心なしか睨むように見上げたまま、松本くんは動こうとしなかった。

表情のない目鼻立ちの整ったくせのある横顔を見つめる。

そんな顔を何度も見たから、松本くんが何を考えているのか分かるよ。

この団地が建ったのは自分たちが小学校高学年の頃だった。それを境に生活環境は一変した。

増えた住人。無くなった田んぼや空き地や古い店。起こる諍い。

ギスギスした大人たちの人間関係は子どもたちにも波及して、グループが2つに分かれた。

団地グループと商店街を中心にしたグループと。

そして、子ども達の間で自然と起こる遊び場での縄張り争い。

それまでただただ楽しく遊んでいた放課後は、ケンカが中心になっていった。

遊び仲間はひとり減りふたり減り、嫌気が差した自分も松本くんもその中から抜けて、やがて中学生になり、会う機会は減っていた。

団地が建ったことで、その後、松本くんの人生は奇妙にねじ曲がってしまったんだ。

「行くか」

何かを振り切るように松本くんは歩きだした。

歩幅の広い彼はなんの躊躇もなく、灯りが少なく暗い公園を突っ切って歩く。

人の気配がないのは、公園を囲むようにして立つ樹木が、公道から視界を遮っているためだ。街灯も少ないから、夜に近づく人はほとんどいない。

特にあの事件があってからは。

二年前にこの公園で起こった暴行事件は、一見単純なように見えた。

夜の公園で三人の中学3年の生徒が喧嘩になり、二人が怪我を負ったのだ。

これだけなら、いつもの不良グループのいざこざですんだかもしれないが、怪我をした一人が生徒会長というのが問題だった。

運の悪いことに生徒会長は団地の生徒、あとの二人は商店街の生徒だったので保護者が黙っていなかった。

その場にいたのは問題行動の多い商店街の生徒と当時の生徒会長。

そして松本くん。

大人たちから見れば、素行不良の生徒とその友人、そして成績優秀な生徒会長。

どちらに非があるかは明らかだと映ったのだろう。

元々、素行不良が取りざたされていた生徒は問題のあるグループに所属していたので、学校からもPTAからも目をつけられていた。

松本くんは彼とは同い年の幼馴染ということもあって仲は良かったけど、成績は上位だったし、見た目に反して真面目だったから、教師たちからは信頼されていた。

幼馴染と学校側の間に立って、松本くんが苦慮していたのは知っていたけど、年下の自分にはどうにもできなかった。

そんな折、起きたのが公園での暴行事件だった。

学校側は松本くんが問題のグループに所属していないことも、真面目で成績がいいことも、決して暴力を奮ったりしないことも知っていたのに、彼らと同類に扱ったのだ。

少なくとも表立って、庇うことをしなかった。

事件が起きるまではあれだけ松本くんを利用していたのに。

大人たちの間でどんな話し合いが行われたのかはわからない。

ただ、当時者ふたりは夏休みの間に街を去り、松本くんだけが、まわりの噂の矢面に立たされたのだ。

子どもの頃から松本くんは頭が良くてなんでも器用にこなす、年下の面倒見もいい自慢の幼馴染だった。

本人は気付いてなかったと思うけど、年下の子ども誰もが松本くんを羨望の目で見ていた。

近しい人たちは暴力を振るうような人間じゃないことは知っていたけれど、小さな街では、あっと言うまに尾ひれがついた噂が広まり、松本くんは問題のある生徒というレッテルを貼られたのだ。

そして進学校の合格も有力視されていたのに、あまり名の知れていない私立の男子校に進学した。

松本くんはこのことについて、一切口を開くことはなかったので、今でも、この公園で起きた事件の真相は当時者にしか分からない。

この頃のことを思うと後悔ばかりが胸に湧いてくる。

歳のことなど理由にせず、もっと松本くんの近くにいればよかった。

どんな些細なことでも話し合えるよう、頼りにしてもらえるよう努力をすればよかった。

ただ、隣にいるだけでも何かが違ったのかもしれないのに。

よしくんをカツアゲした3人の中学生たちは松本くんの顔を見て明らかに動揺していた。あの反応を見ると、まだ事件は風化されていないように思えた。

斜め前を歩く少し猫背の背中を追う。 事件の後、ひとりで歩くこの背中を何度も見た。

今まで、どんな思いで公園を歩いていたのだろう。

前を歩く松本くんの姿が公園の闇にのみ込まれていくような気がして、思わず手を伸ばしていた。

「鷹野?」

掴まれた手を振り払うこともなく、不思議そうに松本くんが振り返った。

より暗い方へ歩いて行こうとする、変な癖が彼にはある。

「……抜け道、そっちじゃないよ」

「あぁ、わりぃ」

こうして、また彼を見失ってしまうんじゃないかと不安になるんだ。

松本くんは知らないんだろうな。

離れていたこの一年、俺がどんな思いをしていたかなんて。

同じ町内にいながら、松本くんが中学を卒業した後、近況を知る手立てはほとんどなかった。どこか、みんな彼の話をするのはタブーのような感じになっていたからだ。

俺が高校に入学してすぐの4月に駅で松本くんを見かけたとき、これが最後のチャンスだと思った。ここで声をかけられなければ、もう二度と松本くんと接点を持つことはできない。そう思った。

声をかけた時、なんのブランクも感じさせず、まるで昨日も会っていた友達のように接してくれて本当に嬉しかった。

逆に自分はどうだっただろう。

声や態度は自然だっただろうか。

昔のように邪気無く接することができているだろうか。

―――欲望が、透けて見えてはいないか。


掴んだ手は、互いに子どもの時とは違っていることに松本くんは気付いているんだろうか。

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