第4話 空だって飛べそうです

 時計塔のある街、リンゴン滞在5日目。

 僕は走っていた。


「はっ、はっ、はぁっ!」


 見上げなくても視界にひろがる青空は、いつもよりあざやかで、胸のドキドキが止まらなくなる。


 あぁ、いまなら風にのって、空も飛べてしまいそう!


 目の前でひらひらと舞う虹色の蝶を追って、レンガ造りの大通りを、走る、走る、走る!

 そして──見つけたよ。オーバーオールの後ろすがたを。


「シュシュさーんっ! トッティーっ!」


「やかましいです! 元気が無駄にありすぎますね、まったく……」


 ブンブンと右手をふりながら駆け寄ったら、すかさずお叱りの言葉が飛んできた。

 相変わらず僕には手厳しいけど、追いはらったりはしないんだよね。

 それもそのはず。今日ここへ僕を呼んだのは、シュシュさんなんだから。


「ぐずぐずしてないで、お仕事に行きますよ!」



  *  *  *



『明日の午前9時、リンゴン広場へ来られたし』


 僕が泊まっていたお宿に、虹色に輝く蝶がやってきたのは、昨日の夜のこと。


 光る鱗粉りんぷんをもつ蝶は『パピヨン・メサージュ』といって、『伝書蝶でんしょちょう』とも呼ばれてる。

 本物の蝶ではなくて、郵便局が販売している魔法具の一種──書いた手紙を宛先へ届けてくれる蝶。それが『パピヨン・メサージュ』。

 識字率が高いマムベル国内では、一般的な連絡手段だ。


 そんな『パピヨン・メサージュ』の差出人がシュシュさんときたんだから、僕が浮かれるのも当然じゃない?


「お仕事のお手伝いですね。なんでもやります、どうぞこき使ってください、ご主人さま!」


「いや、そういう特殊なプレイはちょっと」


 はりきってのぞもうとすれば、なぜかシュシュさんに引かれているというね。なんで?


「キミがシュシュのしもべになりたがる理由は激しく意味不明ですけど、それはこの際置いときます」


「置いとかれちゃった!?」


「1回つつくと収拾がつかなくなるからです! もう……いいですか? 今日のキミはシュシュとトッティの助手。あくまでお仕事の見学が目的です」


「ふむふむ……つまり、僕がいちばんの下っ端ってわけですね。よろしくおねがいします、シュシュ先輩、トッティ先輩!」


「うわぁ、こういうやる気満々なの、『フラグ』っていうんですか? おとなしくしててくださいね、約束ですよ? 約束ですよ??」


「もっちろんでーす!」


「追っかけられるくらいならこき使ってやろうって魂胆だったのに、不安ですぅ……」


 へにゃあっと双葉のバンダナをしおれさせていたシュシュさんも、街中をすすむにつれ、ピシッと背筋をただした。

 僕はというと、はじめて目にする景色に、圧倒されていた。

 まず、建物の高さがいままで見てきたものと違う。おっきな門もある。


「立派なお屋敷がいっぱいだぁ……」


「リンゴンでもお金持ちの住む一等地ですからね。今日のお仕事は、クリベリン邸のスライムちゃんのお世話です」


「スライム……」


「報酬は前払いでたんまりいただいてますからね。スライムちゃんといーっぱい遊んだあとは、カスタードパイをおなかいっぱい食べるのです!」


 スライムと遊べるのが楽しみなのか、カスタードパイを食べるのが楽しみなのか。

 ううん、シュシュさんのことだから、どっちもなんだよね。

「むふふ……」とほほ笑んでるのを見て、僕までにっこりだ。


「待っててくださいね、スライムちゃーん! とカスタードパイ!」


「あっ、僕を置いてかないでー!」


 スキップをしながら行ってしまう小柄な背を追って、僕もあわてて駆け出した。



  *  *  *



「はぁい、アタクシがクリベリン邸の女主人、ロリンダざます。あいにく主人は不在ですので、アタクシがご案内するざます」


「ざます……?」


「シッ……スルースキルというのも、ヒトとヒトとのおつきあいで必要なものですよ」


「スルースキル……なるほど、あえてふれないやさしさってやつですね。勉強になります!」


 いろんなところを旅してきて、僕もたまに日雇いではたらいたこともあったけど、モンスターのお世話ははじめてだもんなぁ。

 完全に未知の世界だ。でもなんか、わくわくする!


「クリベリン夫人、本日のご依頼内容についてのご確認をしても?」


 エントランスから入り、上の階へ続くらせん階段をのぼりながら、オーバーオールの胸ポケットから契約書を取り出すシュシュさん。


「いいざますわよ」


「ありがとうございます。『スライム』のお世話内容が『フリー』となっていますね。この場合、ごはんやおさんぽをこちらで判断したタイミングでおこないますが、よろしいでしょうか?」


 テキパキと依頼内容の確認をするシュシュさんは、なんていうか、かっこいい! 『お仕事モード』ってやつかな!


「えぇ? あぁ、まぁ、はい」


「……? ではさしつかえなければ、もうすこし質問させてください。『スライム』のごはんは、いつもどうされていますか?」


「え?」


「『自然界のお掃除係』と呼ばれているように、『スライム』は一般的にゴミとされているものを取り込んで、溶かす能力があります。しかし対象が有機物と無機物、どちらか一方に限っておりまして、『キライ』なほうを食べさせてはいけませんから」


「有機物、無機物……?」


「ふだん食べさせているものを教えていただければ、けっこうです」


「あぁ、それなら、子供たちが割ってしまった花瓶のガラス片だとか、くずかごのなかの書き損じのお手紙ざますわ」


「……ほう?」


 ぴょこん、と双葉のバンダナが反応する。

 シュシュさんは、口もとに手をあてて、なにやら考え込んでしまった。

 僕も僕で、「あれ?」と疑問に思う。

 上手く言えないけど、クリベリン夫人の返事に違和感があるっていうか……


「『スライム』は、どんな見た目をしていますか? お名前は? ニックネームなどがあれば、それも教えていただけるとうれしいです」


「手のひらサイズのちいさな『スライム』ざます。青っぽいゼリー状のからだで、さわるとひんやりしていますの。名前は……なんだったかしら? 子供たちが次から次へとニックネームを変えるので、わからなくなってしまいましたわ、オホホホ!」


 真っ赤に塗った口もとを扇子でおおったクリベリン夫人が、階段をのぼりきると、「こちらざます」と口早に言って、とある部屋のほうへそそくさと向かってしまう。

 その背がなんだか、「これ以上きかないで」と拒否しているように思えた僕は、こころが狭いのかな。


「……妙、ですね」


 だけど、モヤモヤした僕の心境を肯定するつぶやきがあった。シュシュさんだ。


「奇妙なにおいがプンプンします。でも豪華なお花をそこらじゅうに飾っても、シュシュの鼻はごまかせませんよ」


 それは、僕が「なんかおかしい」と感じていた違和感の正体に、シュシュさんは確信をもっている口ぶりだった。


「行きましょう、トッティ、ソラくん」


「ウ!」


「──!」


 廊下を飾る豪華な絵画や花瓶には、目もくれない。

 シュシュさんは前だけを見ているから、僕も。


「はいっ!」


 僕も、このヒトを信じてついていくだけ。

 いまも、むかしも。

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