曼珠沙華
井内 照子
曼珠沙華
仕事を終えると、夜は深く、街は静かだった。
家路に人はまばらで、静けさの中に酔っぱらいの声が響く。
彼女彼の怒りの矛先は宙空を切り、どこでもない影に飲まれていく。
空いた電車に肌寒さを覚え、薄着できたことを悔いる。
9月の電車の空調はまだ冷え過ぎていた。
眠る人は降りる駅を過ぎていないのか、疑問に憶えながら電車を降りると、秋虫の鳴き声は来る冬を待ち焦がれている。
バスはもう走っていない。
国道を過ぎて、田圃道に入ると、蒸れた土の香りがする。
昼間過ごすオフィスにもこの匂いを持ち込むことはできないだろうか、人工物の影が脳裏を過ぎる。
オフィスを田園の中に持ち込むのはどうだろうか。
街に人を集めても効率性なんてもうほとんどないのに、いまだに人は群れている。
配線網はどうか。田園に埋まる配線を描くとたちまちに萎える。
星が風に踊り、風に負けじと秋虫はりいりいと鳴く。
畦道に咲く彼岸花が月明かりを白く映す。
少し遠出をすれば、咲き誇る一面の彼岸花が見ることもできる。
オフィスも農地も自然野も生活圏にある。我が家は好立地なのだ。
週末の予定を立てようと思うが、自分のために使う時間の作り方を考えると思考は減速する。
人工の光に照らされる彼岸花は昼間と同じ様に赤く咲く。
しかし、暗い畦道では茎も花も同じ色をしている。
オフィスに咲く彼岸花は不気味に違いない。
不気味さも可憐さも元は同じ。
調和しきらないもの。
不自然さ。
異様。
俺はどうだ。
立ち止まり、深呼吸をし、また歩く。
稲刈りをしたコンバインの落とした土塊を踏むと解れて崩れ、畦道と一体となる。
家が見えると肩が軽くなる。
遅い帰宅に家族は眠りに就いている。
妻が玄関の常夜灯だけは点けてくれていた様で、その周りを虫が飛ぶ。
子供たちが目を覚さぬ様、できる限り音を立てず、慎重に家に入る。
自分の家に入ると云うのに、泥棒の様だと少しおかしくなる。
昔は親の寝た後にバレない様に家を出ていた。
静まり返った家は1日を終わらせるには十分な安心感を持たせてくれる。
眠りにつくのに必要なだけの疲れが瞼を落とし、夢が今日を追い越した。
曼珠沙華 井内 照子 @being-time
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