とある教室の季節
池田春哉
第1話
「初めてのカフェに入ったらまずは店長おすすめメニュー頼んじゃうよね」
隣の席の
彼女に目を向けると、もうすぐ昼休憩も終わるというのにまだメロンパンを齧っている。
「僕ならコーヒー頼むけど」
本に栞を挟む。読書は好きだが、世にいう読書家ほどの愛はない。
誰もいなければ読むし、誰かに話しかけられればいつでも閉じる。その程度だ。
「店長がおすすめしてないのに?」
「店長がブレンドコーヒーおすすめしてくるカフェ嫌だろ。それに店長は僕の好みを知ってるわけじゃないしな」
常連ならともかく新客だ。店長が僕の好みのドリンクを把握しているわけがない。てか店長って誰だよ。
「でも店長って誰よりもそのお店のことを考えてる人だよ。その人がおすすめしてくるメニューなんだから信頼できるでしょ。お店の看板商品といっても過言じゃない」
「まあそれはわからんでもない」
「だから私は店長のおすすめをなぞって生きていきたいわけよ」
「まあそれはわからん」
かぷり、と和泉はまた一口メロンパンに齧りつく。そのメロンパンは店長のおすすめだったのだろうか。
訊いてみようかと口を開く前に、彼女が先手を取った。
「
「ああ、まあ」
「じゃあ枕草子って知ってる?」
「高校生で知らないほうが稀だろ」
「あの人が言ってるんだよ。夏は夜、って」
あまりにも有名な一節が頭に浮かぶ。店長って清少納言だったのか。
「絶対私たちなんかより風流について考えてる人がそう言ってるんだから間違いないよね」
「まあ確かに春はあけぼのだし秋は夕暮れだもんな」
我ながら意味の分からない返事をしたが、気にも留めずに彼女は話を進めた。
いや、飛ばした。
「だから来週の夜、私と一緒に
「え、なんで」
あまりに華麗な話の飛躍に僕は戸惑う。
枕草子の話だったはずが、いつの間に僕たちが一緒に
「なんでって、そりゃあれだよ」
和泉は食べきったメロンパンの袋を丸めて固く結ぶ。そして腕を振り上げたかと思うと、それをゴミ箱に向けて放った。
「初めて入るカフェに一人で行くのは緊張するでしょ?」
見惚れてしまうほど美しい放物線を描いて、固結びされた袋はゴミ箱へと吸い込まれる。
そして見事なシュートを祝うかのように、昼休憩終了のチャイムがスピーカーから流れた。
「ね、行こ」
チャイムの音の隙間から彼女の声が聞こえる。
その微笑みに魔法でもかけられたかのように、僕は何も言えずただ頷いた。
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