第6話 3

 夕暮れの街をお母さんと手を繋いで歩く。


「もうすっかりこんな時間だったのね。サティ、お夕飯はなににしよっか?」


 そう訊ねて来るお母さんに、わたしは首を横に振る。


「レグ爺が、今日はお母さんも銭湯でゆっくりして来てって言ってたよ。

 お夕飯は料理長が用意するって」


 お母さんってば、お城に住むようになった今でも、お父さんとあたしのお夕飯は自分で作ってくれてるんだよね。


 お仕事が終わった後、疲れててもそれだけは絶対に曲げないの。


 お城の厨房には、お城に勤めてる人達ってのもあって、ちゃんと料理人が居るのに、夕食くらいは自分の作ったものをあたし達に食べてもらいたいって言って。


 あたしもお父さんも、お母さんのお料理は大好きだから嫌じゃないんだけど、お仕事もあるのに大変じゃないのかなぁって、心配になっちゃうんだよね。


 でもお母さんは、料理人の人達が手伝ってくれるから、前ほど大変じゃないって言って、ずっとご飯を作ってくれてるの。


 だからきっと、レグ爺も今日くらいはって思ってくれたんじゃないかな?


「ぎゃう~」


 もう片方の手は、ちっちゃな羽根で飛ぶアシスと繋いでる。


「んふふ、おっきなお風呂、楽しみだねぇ。アシス~?」


「ぎゃぎゃう!」


 コクコクとうなずくアシスも楽しそう。


 ルキウシアの街では、アシスはあたしの大事なお友達だって、すっかりみんなに知られているから、こうして平気で連れ歩けるんだ。


 王都のお城に行った時なんかは、知らない人もいるからぬいぐるみのフリをする事も多いんだけどね。


 お父さんが言うには、アシスは珍しい生き物だから、悪い人に狙われるかもなんだって。


 ルキウシアだとみんなお友達だから平気だけど、王都はそうじゃないからお友達以外には隠さなきゃいけないって。


 アシスもお利口さんだから、お父さんの言う事がわかってて、お城では大人しくぬいぐるみのフリをしてくれるんだ。


 お母さんの大工房を出て少し東に歩くと、街と田園地帯の境界を示す柵が見えてくる。


 そこから北に向かってもう少しだけ歩くと、目当ての建物が目に飛び込んできた。


 ――前世でテレビやアニメなんかで見た、お寺みたいな古い……和風の建物。


 お父さんがなにを考えて、こんな造りにしたのかはわからないけど、入り口にも前世で見たそれと同じように、男女を示す暖簾が掛けられていて、まさに銭湯そのものという見た目だった。


「ふえぇ~……なんですか、このデザイン。初めて見る――独特な建築様式ですね」


 銭湯の入り口までやってきて、レイナお姉ちゃんは建物を見上げながら驚いたみたいに呟く。


「ノルドの発案なのよ。南の未開拓領域を旅してた時に知った建築様式だそうよ。

 ……あの人の言うことだから、ホントかどうかはわからないけど」


 お母さんが苦笑いしながら、レイナお姉ちゃんにそう説明した。


「お父さん、適当だしねぇ」


 あたしも思わずクスクス笑う。


 お父さんってば、時々、ウソか本当かよくわからない事を言う事があるんだよね。


 勇者様とお友達だったとか、赤竜様と一緒にお酒呑んだことあるとか。魔女と一緒に旅した事があるとも言ってたっけ。


 そんな事ばっかり言ってるから、ルキウシアの街を造る時に上下水道を引くって話した時も、すぐには信用されなかったんだよね。


 お母さんもあたしも、元々古いお家で使ってたのもあって、お父さんの説明を聞いて便利さがすぐにわかったんだけど、街の人達には伝わらなかったみたいなんだよね。


 地面の中を水を通すというのが、どうしてもわからなかったみたい。


 お父さんは水道管の実物――レンガを漆喰で固めて、表面にお母さんが浄化の刻印を刻んだものなんだけど――を作って見せて、ようやくみんな理解してくれたの。


 それでみんなはお父さんがどうやって思いついたのか知りたがったんだけど、冒険者をしてた時に知った技術だって説明してた。


 お父さんって、そう言えばみんなが納得すると思ってるトコあるよね。


 実際、みんなはそれで納得しちゃうんだけど。


「――さすがは<獣牙>様っ! 御館様の知識の深さは素晴らしいですねぇ」


 レイナお姉ちゃんも、お母さんの説明で納得しちゃって、お父さんを褒めてる。


 お父さんが褒められるのは嬉しいんだけど……


「違うよ、レイナお姉ちゃん!」


「へ? サ、サティちゃん、なにが違うの?」


「あのね、お父さんがすごいのは確かだけど、あたしはお父さんがみんなの為に、夜遅くまで色々考えて、調べ物したりしてるのを知ってるもん。

 お父さんだからすごいんじゃなく、みんなの為にがんばってるから、お父さんはすごいんだよ?」


 あたしがほっぺを膨らませてそう言うと。


「あ! ああ、ごめんなさい! わたし、そんなつもりじゃ……

 そうですよね。知識があっても活用できなきゃ意味がないって、さっき奥様にも言われたばかりなのに……ああ、わたしって……」


 あたしにぺこぺこと頭を下げるレイナお姉ちゃん。


「まあまあ、サティ。そういうところを見せようとしない、お父さんも悪いのよ。

 ホント、カッコつけなんだから」


 そう言って笑うお母さんに、あたしは首を傾げる。


「お父さんはカッコつけなの?」


「そうよ。お父さんがみんなの前でお尻掻いたり、おならしてるの見たことある?」


「ぎゃうぎゃう!」


 お母さんの言葉に同意するように、アシスも何度もうなずく。


 お家では――お城の奥にあるあたし達用の私用区画の中では、お父さんはすごくだらしない。


 靴下はソファに脱ぎっぱなしにしたり、平気でおならだってする。


 お酒を呑んで、そのままソファで寝ちゃって、お母さんに起こされる事もしょっちゅうなんだ。


 でも、私用区画から一歩出れば、お父さんはキリっとしててカッコ良い。


「……そういえば、見たことないかも?」


「でしょう? アレでも領主として、ちゃんとしようとしてるのよ。

 だから、レイナ達がお父さんがお父さんだからすごいって思うのも、仕方のないことなのよ」


 そう言って、お母さんはレイナお姉ちゃんに気にしないように言って、みんなで女湯の暖簾をくぐった。


「……あの御館様がおなら……」


 レイナお姉ちゃんはなんか衝撃を受けてる。


「どうせちゃんとするなら、おヒゲも毎日剃ればもっとカッコ良いのに」


 お父さんったら、今でも無精ヒゲまみれで、気が向いた時にしか剃らないんだよね。


 頬ずりされるとジョリジョリするから、あたしはいつも毎日剃ってって言ってるんだけど、お父さんはかんろくがどーこーって言って、中々剃ってくれないんだ。


「あら? アレが良いんじゃない。わたしは格好良いと思うわ」


「お母さんは、お父さんの事大好きだからそう思うんだよ。

 あたしはおヒゲがない方がカッコ良いと思うなぁ」


 お母さんやお父さんと一緒に、王城に行くようになってから、あたしはいろんな貴族の人を見るようになったんだけど、お父さんと同じくらいの歳の人は、みんなおヒゲを剃ってるんだよね。


 王様とかくらいの歳になると、逆に長いヒゲを生やしてる人が多いみたい。


 レグ爺も初めて会った時はヒゲを生やしてたけど、ルキウシアで暮らすようになってからは、鼻の下のを残して綺麗に剃ってる。


「お父さんのは、単に面倒臭がってるだけな気がするんだよねぇ」


 なんとかお父さんに、毎日ちゃんとおヒゲを剃らせる方法はないものか……


 そんな事を考えながら、あたし達は銭湯の中に進む。


 入り口すぐに設置してある靴箱に靴を入れて、板の間になった廊下を進めば脱衣所だ。


 脱いだ服を入れるカゴを収めた木棚が並んでいて、天井ではお母さんの大工房が造った送風器の大きな四枚羽がくるくる回ってる。


「うわ~、こんな大きなガラス窓、贅沢ですねぇ……」


 脱衣所と浴室を区切るガラス戸を見て、レイナお姉ちゃんが驚きの声をあげた。


 湯気で真っ白に染まっているガラス戸のこちら側には、上から雫が伝い落ちて筋を作っている。


「木製だと腐っちゃうし、鉄製だと錆びちゃうから、交換の手間や費用を考えると、長い目で見たらガラスの方が安上がりなのよ」


 お母さんが服を脱ぎながらそう説明する。


「あー、なるほど。勉強になります」


 レイナお姉ちゃんも服を脱ぎ始めて。


「――アシス、背中のボタンお願い」


「ぎゃう!」


 あたしはアシスに手伝ってもらいながら、なんとか服を脱いだ。


 お城で暮らすようになってから、あたしの普段の服ってこういう自分ひとりじゃ脱ぎ着しづらいのが多くなったんだよね。


 可愛いから嫌いじゃないけど、着たり脱いだりする時は手伝ってもらう必要があって、そこだけはイヤ。


「ん~しょっと。できたっ!」


 すっぽんぽんになったあたしは、仁王立ちでお母さん達に顔を向ける。


 お母さんは鞄から身体を拭く為の大きな布を取り出してカゴに入れて、それからお風呂で身体を洗うのに使う手拭いや石鹸、洗髪剤なんかを出す。


「あ、あたし持つよ」


「あら、ありがとう」


 あたしはお母さんからお風呂道具を受け取って。


「ん~? ナニこれ?」


 初めて見るのに、どこか見覚えがあるような、不思議な道具。


 T字型をしたそれを握って首を傾げていると。


「ああ、除毛器ですね」


 後ろから覗き込んで来たレイナお姉ちゃんがそう教えてくれた。


「じょもーき?」


「奥様が開発されたムダ毛処理用の魔道器です。カミソリを使わなくても良いので、肌の弱い女性も手軽に――」


「――ちょっとレイナ! サティも、それは良いから!」


 レイナお姉ちゃんの言葉を遮って、顔を真っ赤にしたお母さんが、あたしの手から魔道器を取り上げた。


「ほ、ほら! お風呂の行くわよ!」


 魔道器を手に、もう一方の手であたしの手を引くお母さんを見上げて、あたしは後に続きながら考える。


 ……じょもーき……ムダ毛処理で、カミソリの代わりに使える……


 もう一度、お母さんが手にする魔道器を見上げる。


 T字のそれは、前世のそれより太くて大きかったけれど……どこか見覚えがあると思ったら、前世でお父さんが使ってたT字カミソリに似てたんだね。


「ねえ、お母さん。それってカミソリの代わりになるの?

 なら、お父さんのヒゲ剃りにも使えるんじゃない?」


 あたしの何気ない質問に、お母さんだけじゃなくレイナお姉ちゃんまで目を丸くした。


「そう、ね? 男性のヒゲ用となると、出力調整やテストも必要だけど……」


「――奥様、行けます! コレ、アタリますよ!

 学園の男子にも、カミソリが怖くてヒゲ剃りを面倒くさがってる子、結構いましたもん!」


 レイナお姉ちゃんは興奮気味にお母さんに言い募る。


 そんなレイナお姉ちゃんに引きつった顔を浮かべて、お母さんは頷いた。


 横開きのガラス戸が開けられて、もわっと湯気があたしを包み込む。


 浴場は街の人達が一度にやってきても良いようにかなり広く造られていて、浴槽も王城のみたく、泳げるほどに広い。


 湯気の向こうに人影が見えて、先に街の女の人が来て入っているのがわかった。


「じゃ、じゃあ、明日の朝礼でみんなの意見を募ってみましょうか。

 反対がなかったら、研究してみるという方向で……」


 と、そんな風になんかお仕事のお話を始めそうだったから、あたしは慌ててお母さんの手を引いた。


「お母さん! お仕事とは別に、お父さん用のを一個作って!

 ちゃんとおヒゲ剃るように!」


 あたしが熱心にそう訴えると、お母さんは困ったような笑みを浮かべて、あたしの頭を撫でた。


「そんなにお父さんのおヒゲがイヤなの?」


 その質問に、あたしは力一杯うなずいた。


「うん! だって、ジョリジョリしてて、痛いんだもん!」


 あたしがそう言うと、お母さんもレイナお姉ちゃんも顔を見合わせて吹き出した。


「そうね、サティにとっては重大問題ね」


「ぎゃう~」


 納得したとばかりにお母さんは笑いながら答えて、なぜかアシスまでお腹を抱えて笑ってる。


「そうだよ! 笑い事じゃないんだよ!」


 あたしがそう訴えると、お母さん達はますます笑い出した。

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