転生一家の隣人達
俺と領と新たな試み
第6話 1
ルキウシアの東側には、大規模な田園地帯が広がっている。
株根を残して露地を剥き出しにしているが、来週には田起こしを初める予定だ。
冷たく乾いた空気に、わずかに緑の香りが混じり始め、春の到来を実感させる。
気の早い雑草達が灌漑を覆っていた枯れ草の中から伸び始め、緑を増やし始めていた。
そんな風景を右手に見ながら、俺は目の前の建物を見上げた。
「いやあ、ようやく完成したなぁ」
街のすぐそばにあった田をまるまる一反使って造ったそれは、平屋の高さで壁は煉瓦造り。屋根はなんとすべて硝子張りだ。
二重になった外壁の中には、灌漑から流し込んだ水を魔道器で温水に変え、循環する造りになっている。
田一反分をまるっと囲った――大温室だ。
「……なあ、ノルド。いまさらなんだが、本当にこんなんが役に立つのか?」
百姓頭のドレン爺様がしわくちゃな顔をさらにしかめて訊ねてくる。
「ジジイ、前も説明したろ?
水苗代だと、苗の出来が安定しねえんだ。
去年だって苗が足りなくて、二反空ける事になったじゃねえか」
俺の説明に、けれどドレン爺様はまだ懐疑的な顔だ。
そう。これまでのルキウシアの稲作は、水苗代――苗代田に種籾を直播きして育苗し、それを改めて水田に植え直す方式を取っていたんだ。
昔ながらのこの方式は、太く強い根を持った苗ができる反面、自然任せな部分もあって、苗の成長度合いも安定しない。
前世で爺様の田んぼの手伝いをしていた俺は、そこをどうにか改善したかったんだよ。
爺様の田んぼでも苗代田を使っていたが、育苗箱に種籾を播き、その周囲をビニールで覆って促成育苗させていた。
ずっとそれを再現したかったんだが、この世界にはまだビニールなんてなくて、断念してたんだ。
だが、この二年で村の環境は大きく変わった。
住民が増え、村が街になり、農業主体だったこの地にはいくつかの産業も起こす事ができた。
その中でも一番でかいのが、魔道器生産業だ。
リオン・カッソールとの決闘騒ぎで、ウチの兵騎の外装を整えたのがユリシアだと、世の中に知れ渡り、ついでにあいつに付けられた宮廷魔道士相談役って役職が大きく働いたんだな。
在野の魔道器職人やら魔道士が、あいつの知識を求めてガンガン移住してきたんだ。
それならっていうんで、ユリシアはそういった連中をまとめ上げ、魔道器用の大工房を造って、街の主産業のひとつにしちまった。
あいつが自身の発想を伝えて大工房に造らせた、冷蔵庫や加熱コンロは、いまや王都でも人気商品のひとつで、貴族の家はおろか、ちょっと裕福な商人の家にまで広がっているという。
目下の目標は販売価格を抑えて、一般家庭にまで普及させる事なんだとか。
そんなわけで、我が領には数年前では考えられないほどの大金が舞い込んでくるようになったんだ。
その資金を元に造ったのが、いま目の前にある大温室だ。
ビニールがねえなら、温室を造っちまえって思ったんだよ。
学のねえ俺にゃ、魔道器の事はよくわからねえが、百姓仕事なら領の発展に貢献できる。
ユリシアみてえに、すぐ目に見えるものじゃねえけど、まあ、俺は俺なりにじっくりやろうと思う。
そんなわけでだ。
俺はいまだに懐疑的なドレン爺様を連れて、温室の中に入る。
壁の内部に施された刻印はすでに稼働されていて、温室内は小春日和と言っていい心地よい気温だ。
苗代田は、すでに代掻きも終えて水も張ってあった。
「確かに中はあったけえんだな」
ダストール領の農村からこの地に移ってきたドレン爺様は、温室なんて見たことがなかったんだろうな。
驚きながら、暑くなってきたのか羽織っていた上着を脱いだ。
俺もそれに倣って上着を脱いで肩に掛ける。
「そうなんだよ。これで去年みてえに、種籾播いてから急に寒くなっても、育苗は影響を受けねえ」
「ふむ……」
去年は本当に参ったんだ。
暖かくなって来たからって、水苗代を始めたら、途端に寒さがぶり返してきてな。
ユリシアが田の周囲に加温の魔芒陣を敷いて、水温を保ったんだが、それでも苗の成長にかなり影響を受けた。
不作ってほどじゃあなかったが、それでも二反分の減産は痛かった。
「んで、ここではコレを使って、苗を育てるつもりだ」
俺はそう言って、入り口のすぐ横に山と積み上げられた、底の浅い木箱を手に取った。
街の木工職人に大量に造ってもらったソレを、ドレン爺様に見せる。
縦三〇センチ、横六〇センチ、深さ三センチほどの木箱だ。
中は二センチほどの格子状に区切られ、格子の底の部分はザルのように細かい穴が空けられていて、木工職人達の技術の高さが伺える一品だ。
「こんな盆もどきで、どうやって苗を育てるんだよ?」
「育苗箱つってな、これに堆肥を入れて種籾を播くんだよ。んで、苗代田に並べて育苗する」
「……ふむ」
さすが熟練百姓のドレン爺様は、その説明だけでこの育成法の有益性を理解してくれたようだ。
水苗代も田起こしの段階で堆肥を混ぜ込むんだが、常に流水に晒される為、どうしても苗への栄養は流れていってしまうんだ。
ところが、この育苗箱なら栄養の流出は最小限に抑えられるってわけだな。
小分けに区切ってあるから、田植えもしやすいはずだ。
水苗代の苗だと、丈夫な根が絡み合って、植える時に結局、根を傷つけちまってたんだよ。それが原因で病気になってしまう場合もある。
だが、この方式なら、その可能性を抑えることができるはずなんだ。
「おめえの理屈はわかった。ワシも悪くねえ方法だと思う。しかしよぅ、目新しいモノを信用できねえってヤツがいるのもわかるな?」
ドレン爺様は頑固なようでいて、道理さえ納得できればそれを受け入れてくれる柔軟さを持っている。
開拓村で麦作から稲作へ転向する際に、真っ先に賛成してくれたのもドレン爺様だ。
だが、百姓すべてがそういうわけではない。
稲作への転向のときも、変化を嫌って反対する者もいた。
農業は年単位の作業だし、自然を相手にしているだけあって、経験則から外れる事を不安に思う奴は多いんだ。
失敗した時のことを考えると、どうしたってそれまでとは違うやり方には二の足を踏んじまうんだな。
「わかってる。俺もいきなり全部を変えようと思ってねえ。
とりあえず今年は、温室育苗と水苗代の両方でやってみて、徐々に納得してもらおうと思ってる」
今年に関しては、俺も実験的なものだと思ってるんだ。
実際にやってみて、改善点も出てくると思う。
そもそも失敗する事だってあるかもしれないから、従来の方法をいきなり無くそうとは思っていない。
この試みが上手く行ったなら、これまでの方法に拘る連中も少なくなって行くだろう。
「それがわかってるなら良い。
まあ、うるせえジジイ共にゃ、ワシからも話しておくわ」
ドレン爺様は角刈りにした白髪頭を撫でて、深く頷いた。
二人で温室を出ると、外気の肌寒さに揃って身震いし、互いに顔を合わせて苦笑。
脱いでいた上着を羽織る。
「暖かくなって来たとはいえ、まだまだ寒いなぁ」
手を擦り合わせる爺様に、俺はにんまり笑みを浮かべる。
「温室から出た後だと、なおさらそう感じるな」
「こんな日はひとっ風呂浴びてえトコだが、沸かすのが手間でなぁ」
急速に発展したルキウシアの各家庭には、上下水道を完備して、風呂も備え付けたわけだが、湯沸かしはいまだに薪での風呂釜式なんだ。
大工房から湯沸かし用の魔道器も販売しているんだが、刻印に使う銀晶が高価で、庶民家庭にまでは普及させられていないんだ。
だから、庶民の入浴は二、三日に一度くらいの頻度らしい。
水道が発達してない他領の庶民なんかは、風呂そのものが無いって事もあるから、ウチは多い方なんだろうが、それでもまだまだ風呂ってのは庶民と縁遠いものなんだ。
……だが。
「――そこで俺は考えた。
ジジイ、アレを見ろ。そして喜べ!」
ドレン爺様に、俺は大温室のすぐ横の建物を指差す。
ルキウシアの街でも異色の和風建築を誇るその外観に、俺は鼻息荒く胸を張って見せた。
「……おう、街で噂になっとったぞ。おめえがまた変なもの建てとるってな。
ありゃ、なんじゃ?」
「温室で発生する大量の温水を利用して造った――」
思い切り溜めて、俺はドレン爺様に両手を広げて見せる。
「――銭湯だ!」
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