第4話 2

 ――リオン・カッソール。


 カッソール公爵家嫡男にして、かなり下位だけど王位継承権も持つ身分。


 ……そして、わたしの青春を奪った――元婚約者。


「……捜したとは?

 いまさらあなたがわたしになんの用です?」


 腕組みして彼を睨むと、サティがわたしの背後に隠れた。


「おまえを連れ戻す為だ! 俺の元に帰って来い!」


「――はあ?」


 村暮らしが長い所為か、思わず淑女らしくない反応をしてしまったわ。


「帰って来いもなにも、婚約破棄はあなたが言い出した事でしょう?」


「――だから、妾にしてやると言っているのだ!」


 あまりの物言いに、わたしは怒りを通り越して呆れ果て、深々とため息をつく。


「……ユリシア、こいつはね――」


 と、お兄様がわたしのそばにやってきて耳打ち。


「君が家を飛び出したから、王宮で冷遇されてるのさ」


「――なんで彼の立場にわたしが……」


 驚きに目を見開くと、お兄様は意地の悪い笑みを浮かべる。


「君が学園を卒業したら、ぜひ王宮魔道士にって当時、家に打診があったんだ。

 学生の身で、君、大学の教授達と色んな魔道器を造ってたろ?

 それが評価されてたんだよ」


「そんな話、聞いてなかったわ……」


「あの頃はカッソール家に嫁ぐ事が決まっていたからね。

 新婚生活が落ち着いたら出仕してもらおうと、王宮も気を遣ったんだろうね。

 ウチには内定の報せがあったんだよ。

 まさかあんな事があって――しかも君が家を出るなんて誰も想像してなかったから、君に報せられなかったんだ」


 お兄様は肩をすくめて左右に首を振る。


「そんなワケで、王宮魔道士の大型新人を逃がすきっかけを作ったカッソール家は、責任を問われてね。

 三年前から無官無役で冷遇されてるんだ。

 それで君が王都に来ていると聞きつけて、君とヨリを戻そうと押しかけてきたんだろうね」


「……なんて勝手な……」


 わたしは思わずため息。


「――なにをゴチャゴチャ話している!

 ユリシア、さっさと荷物をまとめるんだ!

 屋敷に帰るぞ!」


 ヒソヒソ話を続けるわたし達に焦れて、リオンが大声をあげた。


「ですから、そもそも婚約破棄を申し出たのは、あなたでしょうに……」


 呆れた表情を向けるわたしに、お兄様がさらに耳打ち。


 その表情はやや困ったもので。


「それがねぇ、あいつ――というかカッソール家が、いまだに婚約証明書を破棄していないんだよ……」


「ハァ!?」


 そんなのとっくに無効になってると思っていたわ。


「もちろんウチは破棄申請を王宮とサティリア教会に出してるんだけどね。

 厄介な事にカッソール家が同意しないもので、無効にまでなってない……」


「――ちょっと待って?

 それじゃあ、わたしとノルドの結婚は?」


 ノルドが叙爵された時、わたしもノルドもちゃんと王宮と教会に申請したわ。


「……受理の前段階で宙に浮いてる。

 書類上の君は、ノルド殿の内縁の妻――愛人扱いだね……」


 ……ここに来てまで、リオンはわたしの人生を阻むのか……


 頭に血が上っていくのを感じる。


「さあ、いい加減わかったろう?

 おまえは俺がいないと生きていけないんだ!」


「――あんたがわたし無しでは生きていけないの間違いでしょうっ!?」


 わたしはリオンに詰め寄る。


「ずっとずっと――わたしはあんたに人生を食い潰されてきたわ!

 それでも家の為と……ずっとそう思って耐えた。

 いずれあなたもわかってくれるって!

 それなのに、あんたがわたしにしたのは――」


 ――パン、と。


 乾いた音が室内に響いた。


 視界がブレて、頬が熱を持ち、ようやく自分がぶたれたのだと気づいたわ。


「――過ぎた事をグチグチと!

 おまえは黙って従えば良いんだ!

 王族の俺に嫁げる事のなにが不満なんだ!」


 怒鳴るリオンに、わたしは唇を噛み締める。


 こんなヤツ相手に、一時でも恋し、青春を捧げていたのかと思うと、情けなくて涙が出てきた。


 拳を握りしめて、魔道器官に魔道を通す。


「リオン、貴様っ!」


 お兄様も叫んで、リオンに詰め寄ろうとした。


 ――それより速く。


「――おかさんをいじめるなっ!」


 サティが床を蹴って飛び上がり、ノルド仕込みの蹴りを放った。


 けれど、その蹴りはリオンに難なく受け止められて。


「なんだ、このガキは……」


 サティの足を掴み上げ、逆さに吊るし上げるリオン。


「――はなせ! はなせ、このぉ!」


 サティは手足をばたつかせて暴れるけれど、リオンの手を振りほどけない。


「――サティ!」


 わたしがサティを助け出そうと手を伸ばすと、リオンはサティを掴んだ腕を上げ、空いている手で再度わたしをぶった。


 そのあまりに強い一撃に、わたしの身体は宙を泳いで床に叩きつけられる。


「まさかおまえの子かっ!?

 俺がいながら、他の男に股を開いたというのか!

 ――この淫売があっ!」


 サティの身体が振り上げられて。


「――やめてーっ!」


 ――叩きつけられる!


 そう考えて、わたしは床を這うようにしてリオンの足元へ駆け寄る。


 その瞬間。


「――俺の嫁と娘になにしてんだ、てめえっ!」


 室内を震わせる咆哮。


 そして打撃音。


 リオンの身体が吹き飛び、書棚を砕いて崩れ落ちる。


 サティの身体が宙を舞い。


「――おっとっと」


 怒号とは打って変わって、優しい声色でその小さな身体を抱きとめたのは、太くたくましい両腕。


「――おとさんっ!」


 サティがその腕の持ち主に抱きつくと、彼はいつものはにかむような笑みを浮かべて、サティの頭を撫でて。


「……大丈夫か、ユリシア」


 わたしの手を取って助け起こしてくれる。


「……ノルドっ!」


 ……思わずその胸に飛び込んでしまったってしょうがないでしょう?


 こんなタイミング、ズルいわ。


 そんなわたし達を抱き留め、ノルドは書棚に崩れ落ちたリオンを見据えた。


「――き、貴様、何者だ?

 俺にこんな事をして許されると思ってるのか?」


 うめきながら、よろよろと立ち上がるリオン。


「ああっ!? てめえこそ、ウチの大事な嫁と娘にひでえマネして、タダで済むと思ってんのか?」


 ノルドの筋肉が膨れ上がるのがわかる。


 ……怒っている。


 わたしはともかく、サティを殺されそうになったのだものね。


 ノルドが黙っていられるはずがないわ。


 サティをわたしに預けて、彼はすでに臨戦態勢。


 ふたりが睨み合って、室内が物騒な雰囲気に包まれる。


 その時、手を打ち合わせる音が割って入って。


「――はいはい、ふたりともそこまでだ。

 今日は私に免じて、お開きにしてくれないか?」


 と、軽い口調でやって来たのは、バルディオ様で。


「――ダストール卿っ!?

 な、なぜここにっ!?」


 突然のバルディオ様の訪問に、明らかに狼狽えるリオン。


「……カッソールのぼんくら息子も、さすがに私の事はご存知か。

 彼――ノルド・ルキウスは私の寄り子でね」


「ならば、これはあなたの責任問題にさせてもらうぞ!」


 怒鳴るリオンに、バルディオ様はにやりと笑う。


「へえ。ウチは別にそれでも構わないよ?

 ――やるかい? 戦争……」


「――んなことするより、ここでこいつを潰しちまった方が早いんじゃねえか?」


 バルディオ様の言葉に乗って、ノルドが拳を打ち合わせる。


 そんなノルドの肩を叩いて、バルディオ様は苦笑。


「今の君の勢いじゃ、本気で殺してしまいかねないだろう?

 さすがにそうなったら、私も庇い切れないよ。

 ――リオン君、だったっけ?

 私がこの場にいて良かったね」


 貴族然とした冷笑を浮かべて、バルディオ様はリオンに視線を向ける。


「――事情はノルド共々、使用人から聞かせてもらったよ」


 そして、目を細めて押し殺した声で告げる。


「君の言い分はともかく、ノルドに殺されたくなかったら、今日はここまでにすることだ。

 私もいつまでも彼を抑えておけるわけじゃないからね。

 言ってる意味、わかるよね?」


 ――これが最後通牒。


 言外にそう忍ばせて、バルディオ様は部屋の入り口の手を向ける。


「――お引取りを……」


「……ぐううぅ……」


 リオンは歯噛みしつつも、バルディオ様とノルド、ふたりが放つ威圧感に抗えず、大股で廊下に向かい。


「王族に逆らった事を後悔させてやるからな!」


 扉をくぐったところで、そう吐き捨てて去って行った。


 その姿が見えなくなった事で、わたしは安堵の息をついて、腕の中のサティを抱きしめた。


 あの時、ノルドが来てくれなかったら。


 そう思うと、背筋が寒くなる。


「……おかさん、大丈夫?

 ほっぺ痛い?」


 わたしを心配して、両手を頬に当ててくるサティ。


 この子を失うような事にならなくて、本当によかった。

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