私の感謝

閑話

 ――場所を応接室に移し。


 私は隣にアレイナを、正面のソファにはルキウス夫婦とサティちゃんを座らせ、侍女が淹れたばかりのお茶のカップを傾ける。


 頭を支配していた怒りが、お茶の優しい香りでほぐれていく。


 クラウは泣き疲れて眠ってしまったから、今は自室だ。


「おかさん、これおいしいっ!」


 サティちゃんがローテーブルの焼き菓子を、前歯でかじり削っていく姿が、小動物を彷彿させて癒やされる。


 私は苦笑をひとつ、前髪を掻き上げると、ノルドに頭を下げた。


「――ノルド、今回は巻き込んでしまってすまない。

 ルキウス家のみんなには、本当に助けられた」


「い、いや、バルディオ。

 その前にどういう事か説明してくれねえか?

 俺、いまだに状況を把握しきれてねえんだが……」


 と、ノルドは頭を掻いて苦笑。


 そんな彼に、ユリシアもまた苦笑して。


「ボルドゥイ夫人とその娘のルクレールが、教育と称してクラウちゃんを虐待していたの。

 ここまでは良い?」


「ああ。それがわかったから、バルディオがキレたんだろ?

 んで、夫人を守るために、ヤツの家の騎士達が暴れだしたから、俺が場を収める為にぶっ飛ばした」


 彼の言葉に、私とアレイナは吹き出してしまった。


 ユリシアは呆れた顔をしているね。


「おとさん、ずばーんってカッコよかった!」


 両手に焼き菓子を掴んで、サティちゃんは上機嫌だ。


 ノルドの見ている世界は、きっとひどく単純なのだろう。


 そして、だからこそ正しい事を正しいままに行えて――彼の周囲はいつも美しいんだ。


 けれど彼がこれから領主として――貴族として生きていくには、その清廉さは足元をすくわれる原因になりかねない。


 だからこそ、私が後見人になったんだ。


「――その、虐待していた理由が問題なんだよ」


 私は組んだ両手に顎を乗せて、ノルドに告げる。


「彼女――コンスタンス・ボルドゥイは、法衣貴族のラングリア家の次女なんだが……」


 果たして貴族のしがらみの話に、ノルドはついてきてくれるだろうか?


 まあ、ユリシアが彼に伝わるよう、補足を入れてくれると信じよう。


 そうして私はコンスタンスについて説明を始める。


 彼女と私の先輩であるガストン・ボルドゥイは、いわば政略結婚だった。


 ラングリア家は伯爵の爵位を持っているものの、法衣貴族であるため領主貴族より家格としては劣る。


 だから、家格を上げるためにボルドゥイとの繋がりを求めたというわけだ。


 ガストン先輩がご存命中はよかった。


 領地をしっかりと切り盛りし、コンスタンスの行動にもよく目を光らせていたようだったからね。


 そんな彼が病に倒れてから、コンスタンスはその本性を顕にした。


 元々、甘やかされて育った彼女は、領の財政を考えずに着飾り、社交界を渡り歩いて。


 気づけば財政は火の車というわけだ。


 領民は貧困に喘いでると聞くね。


 だが、誰も彼女を止められない。


 現在のボルドゥイのトップは、彼女だからね。


 お世話になった先輩の領の事だから、私も気にかけていたんだ。


 だが、彼女は相変わらず社交界で遊び呆けていて。


 だから、彼女が我が家が募集していた家庭教師に応募してきた時は驚いたよ。


 ようやく心を入れ替えて、家庭教師の給金を領の立て直しに当てるつもりだろうか――そんな風にも考えた。


 実際、王都の社交に明るい者が、クラウの教育に当たってくれるのは助かるという理由もあった。


 目を付けていた家庭教師候補は、我が領の陪臣の娘達だったからね。


 彼女達は忠義には篤いけれど、王都の社交経験がない者ばかり。


 クラウの母親であるアレイナもまた、努力して学んでいるとはいえ、決して社交に優れているわけではなかった。


 そんなわけで、私はコンスタンス母娘の滞在を許可し、身の回りの世話や護衛に必要というので、使用人や騎士達の滞在を認めたわけだ。


 それが半年ほど前の事。


「それから少ししてね……」


 我が家の家令――モリスンが、城内でおかしな噂を聞くようになったと告げてきた。


 アレイナが領から雇っている平民の使用人を見下し、時には叱責している。


 クラウが授業をサボったり、気に入らないメイドを勝手に追い出している。


 あげくに、ふたりがコンスタンス母娘を迫害しているというんだ。


 ふたりの性格を良く知っている私は、それが誤解からくるものだと考えて、放置してしまったんだ。


 折しもボルドゥイ家の使用人や騎士達が来たばかりだったから、些細な行き違いがあったのだろう、と。


 そう考えてしまった。


 時間が経てば、そんな根も葉もない噂は消えるに違いないと考えていたんだ。


 ……それが間違いだった。


 噂はどんどん広がっていき、城内どころか城下や近隣の村まで広がっていって。


 領内の家臣や豪族が、アレイナが私の妻に相応しくないと言い出し始めたのが、ふた月前か。


「……そうなってようやく、私はモリスンに噂の出処を探るよう指示を出した。

 完全に後手に回ってしまっていたよ。

 アレイナやクラウには、本当に苦労をかけたと思う」


 不満を口にしていた家臣や豪族は、我が家でも比較的新しい家で。


 譜代家臣の家を実家に持つアレイナが気に食わなかったというわけだ。


 そして、その不満を煽ったのは、言うまでもない。


 ――コンスタンスだ。


 彼女は家の者を使って、領内の家臣豪族をそれはもう、うまく引っ掻き回してくれたようだ。


 厄介なのは、自身に繋がる証拠になるものを一切残していないってトコでね。


 そこはさすがに、長く王都の社交界を泳ぎきっていた能力ということかもね。


 私が気づいている事を、コンスタンスに悟られたら、どんな行動に出るかわからなかったから、私は本当に慎重に動かざるを得なかった。


 確実に信頼のできるモリスンとその家族を使って……まるで城壁を小石でわずかずつ削り取るような気持ちだったよ。


 その間にも、ずっとうちに仕えている使用人達まで、アレイナやクラウに辛く当たるようになっていて。


 この段階で、私はコンスタンスのおおよその目的には、当たりをつけていた。


 アレイナとクラウを追い出して、後釜に座ろうというのだろう……そう感じたんだ。


「――正直、もう強引にコンスタンス母娘を追い出してしまおうかと考えていたくらいさ……」


 だが、そうしてしまうと、家臣や豪族達に禍根を残してしまう。


 アレイナやクラウに泣きつかれて、私が強権を発動させたのだ、と。


 そうなると、今後は家臣や豪族達に私自身が信頼されなくなってしまうだろう。


 はっきりと、コンスタンスの企みを――誰の目にも、彼女が悪とわかるように、白日の下に晒す必要があった。


「――そんな時だよ。

 サティちゃん。君がクラウの傷を教えてくれたのは……」


 昨晩、アレイナを通して聞かされた、コンスタンスによるクラウへの虐待。


 それを聞かされた時の私の気持ちがわかるかい?


 あんなに怒ったのは、多分、生まれて始めてさ。


 そして、ユリシアの発案のコンスタンスへの追い込み作戦を聞かされて。


 私は即座にアレイナに許可を出したよ。


 目の前に立ち塞がっていた城壁を、一撃で崩壊させられる一手だ。


 公に追い出せないのなら――家庭教師として不適格として、追い出してしまおうってわけだね。


「……おまえ、よくそんなの思いつくよなぁ」


 ノルドがユリシアに呆れたように声をかける。


「あら、この程度、上級貴族の令嬢としては嗜みみたいなものよ?

 相手が搦め手で来るのですもの。

 それ以上の搦め手を使われたって、文句は言えないわよね」


 と、ユリシアは口元に手を当てて微笑んだ。


 さすがは公爵家に嫁ぐ予定だっただけはあるよね。


 そんな彼女が、仮初とはいえノルドの傍らにいてくれるのは、ありがたいと思う。


「あー、つまりなんだ?

 ボルドゥイ伯爵夫人は、あんたの嫁になろうとアレコレ手を回してたってことで良いのか?」


 ノルドの問いに、私は苦笑してうなずく。


 ちゃんと理解できているのに、自信なさげなのが面白い。


 彼は自分が感じているより、ずっと賢いはずなのに、どうも自分を愚者だと感じているようなんだ。


「そんなわけで今回の事は、いわばボルドゥイ家によるダストール家への乗っ取り――まあ、戦争を仕掛けられたと、王城では処理されるはずなんだ」


 私の言葉に、真っ先に反応したのはユリシアで。


「――ウチは報奨とかいりませんよ!」


 やはり彼女は賢い。


 そして、その欲の無さにも好感が持てる。


 ノルドはよい連れ合いに恵まれたようだ。


「――んん? 騎士どもぶっ飛ばした程度で報奨なんて出るのか?

 さすがにそんなの受けられねえよ」


 ユリシアの言葉に、ノルドも腕組みしてうなずく。


 いまだに仮初めだと言い張ってるくせに、ふたりの考えはすごく似ているように思える。


 私は笑みが漏れるのを押さえきれずに、ふたりに微笑み、それから首を振ってみせた。


「今回の件で――いやそもそも統治の放棄で、ボルドゥイ家はお取り潰しになるはずだ。

 そして、その所領は私の物になるはずなんだが、飛び地なんていらないからね。

 多分、領主間で転封があって、隣領を割譲して賜ることになるはずなんだ。

 けど、私もいまの領地の広さで手が一杯でね」


「――まさか……」


 話の向かう先を読み取って、ユリシアが息を呑んだ。


「我が領が拡大する分、ノルド、君に東側の統治を任せたいんだ」


「――いやーっ!」


 ルキウス領の実務はユリシアが担当しているようだからね。


 応接室にユリシアの悲鳴が響いた。


 気持ちはわかるよ。


 けど、ウチだってこれ以上領地をもらっても、維持しきれないんだ。


 少しくらい手伝ってくれたって良いだろう?


「そんなわけで、みんなには手続きの為に王都に付き合ってもらうよ?

 今からならちょうど冬越しのシーズンだ。

 そろそろ君らも、王都の社交界に顔を出すべきだと、私はそう思うんだよね」


 私のすぐ横で、アレイナが笑みを浮かべてうなずいている。


「今年のシーズンは、ユリシアちゃんが一緒なのね! 心強いわぁ」


 そんな妻の言葉を聞きつけて。


「おとさん、おかさん! 今度は王都に行くの!?

 美味しいもの、いっぱい食べれる!?」


 ふたりを交互に見上げて、サティちゃんが表情を輝かせる。


「これからの時期はパーティがいっぱい開かれるからね。食べ放題だよ」


 ふたりともごめんね。


 君らがサティちゃんに弱いのは、よくわかってる。


 それを利用してでも……私は君らには、しっかりとした地位を築いておいて欲しいんだよ。


 君らは過去が過去だからね。


 たとえ疎ましく思われようとも、君らを守るためなら、私は使えるものはなんでも使うつもりだよ。


「準備もあるから、出発は一週間後の予定だ。

 それまでに君らも用意を整えておくように」


 いまさら覆しようがないぞと、視線に込めて告げれば。


「……わかりました……」


 そっくり夫婦なルキウス夫妻は、うなだれながら不承不承うなずくのだった。

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