第3話 4

「――それでね、それでねぇ!

 温室の中には、たくさんお花が咲いてて、すっごく綺麗だったんだよ!」


 大浴場に、ひどく興奮したサティの声が響き渡る。


 温室から帰ってきてからずっと、サティは温室であった事を話し続けている。


 クラウちゃんと仲良くなれた事が嬉しくて仕方なくて、そのうえ彼女が大切にしてる温室を見せてもらって、本当に楽しかったんでしょうね。


「――それから~」


 サティを前に座らせて、洗髪剤を泡立てても、今日は珍しく嫌がらない。


 話に夢中なのね。


「おかさんは、こーよーじゅって知ってる?」


 泡まみれの頭をあげて、わたしを見上げてくるサティ。


「光曜樹のこと? 虹色に光る樹のことでしょ?」


 学園の裏にある森にも生えていたわね。


 水晶のような幹が虹色の燐光を放って、その幻想的な光景から絶好の告白場所となっていたわ。


「そう! 温室の一番奥にあって、クラウちゃんに見せてもらったの!

 キラキラしてて、すっごく綺麗だった~」


 頬を押さえてうっとりとするサティ。


 村の子供達は男の子が多いから、サティも村では男の子のような事ばかりしていたのよね。


 それが気になっていたんだけど、女の子らしい嗜好もあるのだと知って、わたしはほっとしたわ。


「帰ったら、サティもお花育ててみる?」


「温室、作れるの?」


 サティの表情がぱっと輝く。


「ここにあるようなガラス張りのは無理だけどね」


 元々、野菜の育苗で温室を作ろうという話は、村の寄り合いで議題に上がっていたのよね。


 壁を二重構造にして、中を魔道器で温水が流れるようにすれば、温度は確保できるはずよ。


 問題は日光だけど、それも照明の魔道器で代理できるはず。


 学生時代にバイトで作っていた魔道器の中には、そういう用途で発注されたものもあったわ。


 あれは品種改良用の隔離菜園で使うものと説明されたわね。


「お花も良いけど、どーせだったらお野菜がいいなぁ」


 そんな風に呟くサティに、わたしは思わず吹き出してしまったわ。


「サティは食い気が強いのね。

 じゃあ、両方を育ててみましょう?」


「――うん!」


 サティが力強くうなずいたのを見計らって。


「じゃあ、流すわよ~」


 お湯を溜めた桶を手に取ると、サティは両手で耳を押さえてうつむく。


「い、いいよっ!」


 決死の覚悟といった声色に、こみ上げてくる笑いをこらえながら、わたしはサティの頭の泡を洗い流した。


 手拭いで水滴を拭き取ってやると、真っ白なサティの髪はふわふわになる。


「身体は自分で~」


 スポンジに石鹸を擦りつけて泡立てるサティを横目に、わたしは自分の髪を洗い、続いて身体も洗っていく。


 それからふたりそろって、広い浴槽に身体を沈めた。


「お風呂、おっきいねぇ」


 浴槽だけで、ウチの風呂場くらいの広さがあるから、サティはすごく楽しそう。


 パタパタと手足を動かして、泳ぎ始めたわ。


 この城は地下水が豊富で、この浴場にも地下から直接水を引き上げているのだと聞いているわ。


 それを魔道器でお湯に変えて、注水しているんだとか。


 蛇口をひねるとお湯が出てくる構造は、実はウチでも使っている。


 井戸から水を引き上げて、屋内に引き込んでいるの。


 魔道器はわたしが作って、配水管はノルドが試行錯誤して作ってくれたのよね。


「サティ、お風呂は大人しく入るものよ」


「は~い」


 わたしが注意すると、サティは素直に従って、わたしの隣に腰をおろした。


 と、その時。


 大浴場の入り口が開いた。


「――ユリシアちゃん、会いたかったわ~」


 美しい金髪を結い上げた裸の女性が現れて、ゆったりした声でそう告げてきた。


「――ア、アレイナお姉様っ!?」


 わたしは浴槽の中で思わず直立して、裸のままなのにカーテシー。


 そんなわたしの様子に歓声をあげて、彼女は感極まったように浴槽に踏み入って、わたしを抱きしめた。


「もう! 村に行ってから、ずっと来てくれないのだもの。

 報告書と一緒にお手紙も受け取っていたけれど、ずっとお話したかったのよ?」


「ご、ご無沙汰してしまい、申し訳ありません……」


 恐縮するわたしに、アレイナお姉様は困ったように微笑む。


「あら、ごめんなさい。

 怒ってるわけじゃないのよ?

 でも、わたくし達はいわば戦友でしょう?

 寂しかったから、ついわがまま言っちゃったわ」


「わたしもずっと、お会いしたかったです」


 わたしがそう応えると、彼女は満足げにうなずいて、わたしを浴槽に座らせて、ご自身もお湯に身を沈めた。


「……おかさん、誰?」


 バルディオ様にお会いした時同様、サティはわたしに隠れるようにして、そう問いかけてくる。


「あら、サティちゃん!

 可愛くなったわねぇ?

 わたくしはアレイナ。クラウのお母さんです。

 アレイナおばさんって呼んでね?」


「クラウちゃんのお母さん……お姉さんじゃなくて?」


 不思議そうに首を傾げるサティに、アレイナお姉様ははしゃいでわたしの肩を叩く。


「あら、ユリシアちゃん、聞いた?

 わたくし、まだお姉さんですって!」


「お姉様はお美しいですから」


 当年とって二十五歳。


 ダストール領の譜代陪臣家から嫁いだのだという彼女は、いわば平民の出自なのだけれど。


 ダストール辺境伯家に相応しい教養と礼儀作法を、必死の努力で身につけてらして。


 いまでは王都の社交界でも名高い貴婦人となっているわ。


 わたし達が以前、このお城に滞在させてもらっていた時、彼女からは子育てについての様々な事を教わったの。


 貴族は子育てを乳母任せにする家も多いのだけれど、平民からバルディオ様に嫁いだ彼女は、ご自身でクラウちゃんを育てていたのよね。


 侯爵に匹敵する辺境伯家の夫人でありながら、気さくでお優しい彼女は、サティを育て始めて試行錯誤するわたしに、様々な知恵を授けてくれたわ。


 だから、わたしは彼女を尊敬の念を込めてお姉様と呼んでいるのよ。


 彼女もまた、子育ての戦友として、わたしを本当の妹のように可愛がってくれているわ。


 笑い合うわたし達に、サティは思い出したように慌てて立ち上がり。


「あ、あたしはサティ・ルキウスです。よろしくお願いします!」


 そう告げてカーテシーすると、アレイナお姉様は口元に手を当てて驚いた表情を見せた。


「たしかサティちゃんは三歳よね?

 もう作法を教えてるの?」


「……いえ、本で覚えたみたいで……」


 わたしだって、街に着いてから見せられて、驚いたくらいだもの。


「……すごいわね。

 ウチのクラウなんて、家庭教師までつけてるのに……」


 ため息をつくアレイナお姉様。


 教育が上手く行ってないのかしら?


「でも、クラウちゃんはまだ四歳ですよね?

 家庭教師をつけるには、早いように感じますが……」


「……それがねぇ……」


 アレイナお姉様が言うには。


 王太子殿下の第一子が今年で四歳になるそうで。


 国王陛下は孫可愛さに、ひとつの頭のおかしい――心の中で思うだけなら、不敬ではないわよね?――通達を上位貴族に出したのだそう。


 王子が五歳になったら、同い歳の令嬢を集めて婚約者を決める。


 王太子殿下の一子という事は、ゆくゆくは王太子――未来の国王陛下だものね。


 早い内から妃を決めて教育を施そうというのは、わからないでもないけれど。


 指示される方は、たまったものじゃないわね。


「それでクラウちゃんにも、今から家庭教師を……」


「ええ。旦那様の学園時代のご友人が、いらしてくださってるのだけれど……」


 アレイナお姉様の表情は、どこかすぐれない。


 そんなお姉様に、サティが首をかしげて。


「――家庭教師って、クラウちゃんが先生って呼んでたお姉さんの事だよね?

 あたし、あのひとキライだなぁ」


「会ったの? キライって……」


 サティがはっきりと誰かをキライって言うなんて珍しい。


「うん、温室でね。

 クラウちゃんの事いじめてた」


 鼻にシワを寄せて、不機嫌そうに答えるサティ。


「え? サティちゃん、あの子がなにかやって、叱ってたんじゃなく?」


 アレイナお姉様に問われて、サティは首をぷるぷる横に振った。


「あのね、アレイナおばさん。

 叱るっていうのは、これはダメだよって教えてあげる事でしょう?

 痛い事をするのは、叱るのとは違うって、おとさんが言ってたんだよ!」


 サティが魔熊を殴り殺してしまった時のノルドの教えが。


 この子の中でしっかりと結実していて、わたしは思わず涙がこみ上げそうになるのを感じたわ。


「……つまり、家庭教師はクラウちゃんに痛い事してたって事?」


 涙を堪えながら、わたしが問いかけると、サティははっきりと縦に首を振った。


「――なんかね、細い棒みたいなので、クラウちゃんの腕を叩いてたんだよ!

 クラウちゃんは自分が悪いからって。

 みんなには言わないでって言ってたんだけど、痛い事するのは、あたしダメだと思うんだ!」


 拳を握りしめて、鼻息荒く言い募るサティに。


 わたしとアレイナお姉様は、思わず顔を見合わせる。

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