第6話 ケアマネ、【介護のプロ】を見つけ出す


「【介護のプロ】が見つからなければ、何も始まりませんわ」


 ネルは屋敷の庭で紅茶を飲みながら、向かいに座ったメイドのマリアンに熱心に説明した。


 彼女の言う【介護のプロ】とは、オムツ交換や入浴介助などの実際の介護技術を持つ人を指す。

 彼女の前世の職業は【ケアマネ】であるが、彼女自身は【介護のプロ】ではない。高齢者施設やヘルパー事業所等の現場で働いた経験がないのだ。というのも、彼女の元の資格は『保健師』といって、地域に住む住民の保健指導や健康管理といった仕事に従事してきた。



===Tips6===


【ケアマネの資格要件】

医師や薬剤師、看護師、社会福祉士、介護福祉士、柔道整復師といった国家資格を持つ人や、生活相談員など介護施設などで相談援助業務などに従事している人で、一定以上の期間の実務経験があること。

この条件を満たすことで、試験の受験資格が与えられる。

一口に『ケアマネ』といっても、そのバックグラウンドとなる実務経験は様々なのだ。


=========



(私の元職が【介護のプロ】なら、もっと早く色々なことが解決できますのに……!)


 ネルはがゆい思いだった。だが、そこで立ち止まってはケアマネの名折れである。

 

 彼女の内心の葛藤かっとうなどつゆ知らず、マリアンがきょとんと首を傾げた。そもそも、彼女は【介護のプロ】というものにもピンときていないらしい。この世界には仕事として介護をしている人はいないので、当たり前といえば当たり前だ。


「その【介護のプロ】を見つけ出して、その人にアクトン夫人の介護をしてもらうんですか?」


 マリアンの当然の疑問に、ネルはニコリと微笑んだ。


「もちろん、違いますわ」

「どういうことですか?」


 ネルは身を乗り出して、マリアンの胸元を指差した。


「メイドと同じですわ」


 意味が分からず、マリアンがまた首を傾げる。


「今では『メイド』と呼ばれる仕事に就く人は大勢いらっしゃいますけど、初めはそうではなかったということよ」

「……よくわかりません!」

「ふふふ。いいのよ。まずは、【介護のプロ】に会いに行きましょう」

「え! 心当たりがあるんですか?」

「ええ」


 ネルはゆったりと立ち上がって、屋敷の中に戻っていった。さらに廊下を進み、に入る。それを見たマリアンは慌ててネルを引き止めた。


「お嬢様、そちらはいけません」


 とは、使用人専用の階段や廊下を指す。屋敷の主人とその家族は、基本的に立ち入ってはならない場所である。


「今更でしょう? 厨房にも遊びに行くんですから」

「そうですけど……」


 用事があって厨房に入っていくのとはわけが違う。彼女が向かっているのは、屋根裏の使用人寮なのだから。


「お嬢様!」

「どうしてこちらに!」


 すれ違うメイドたちの驚く声に微笑みだけを返しながら、ネルはどんどん廊下を進んでいった。その先には、ある人物の部屋がある。


 ──コン、コン。


 ネルは迷う素振りを一切見せずに、その扉を叩いた。


「はいはい。今日のは休みよ。なんの用だい?」


 中から扉を開いたのは、初老の女性だった。

 彼女の名はモリー。『おばあ』と呼ばれる、最古参のメイドである。通常、この年齢のメイドは退職して屋敷を出ていくが、彼女はクラム伯爵夫人にわれてメイドの指導役として屋敷に残った。働くのは週3日だけで、残りの日は部屋で休むか遊びに出かける生活を送っている。


「あら! これは失礼いたしました、ネルお嬢様!」


 ネルの顔を見たモリーは、慌てて礼をとった。


「おばあにご用事でしたか? お呼びいただいたら、すぐにお部屋にまいりましたのに」

「今日は休日でしょう? 部屋にいてくれて助かったわ」

「そりゃあ、もう、暇人ですから」

「少し、よろしいかしら?」

「え、ええ」


 モリーは戸惑いながらもネルを室内に招き入れた。ネルは椅子に腰掛け、モリーは促されて仕方なくベッドに腰掛ける。


「今日は、モリーにお願いがあって来たの」


 ネルは、神殿での調査を経て、この世界にも【介護のプロ】がいると確信した。なぜなら、神官の『聖なる力』でも老化に伴う異常を治療することはできない。つまり、この世界の高齢者にも介護が必要になる時が必ず来るからだ。

 介護それが仕事として成立していないのは、かつての日本がそうだったように、介護は家庭内の人員によって担われているからに過ぎない。


(平民なら家族が行う介護だけど、貴族は違う。使用人──『メイド』の仕事よ)


 この屋敷に高齢者が暮らしていたのは、もう20年以上も前のことだ。現在勤めているほとんどのメイドには介護の経験がない。だから、このを訪ねてきたのだ。


「モリーは、先々代の伯爵夫人のお世話を担当していたわよね?」

「はい、そうです」

「亡くなる日まで、献身的に介護をしてくれたと聞いたわ」

「それが私の仕事です。何より、私も大奥様にはたいへんお世話になりましたから……」


 ネルは目尻に涙を滲ませたモリーの手をとった。


「その技術で、私の仕事を手伝ってほしいのよ!」


 こうしてネルは【介護のプロ】を見つけ出した。といっても、身近な場所に既にいたのだが。


往々おうおうにして、【社会資源】は身近なところにあるものよ)


 と、ネルは内心でにんまりと微笑んだのだった。





 * * *





 使用人寮から戻ったネルは、さっそく母親である伯爵夫人にモリーに仕事を手伝ってもらう旨の了承を取り付けた。『モリーも歳なのだから、あまり無理はさせないように』と釘を刺されはしたが。


「はっ、そういえば!」


 そして自室に戻って一人になり、ゴロンとベッドに転がったネルはあることを思い出した。


「神殿で『聖女』について聞いてくるのを忘れていたわ!」


 仕事に必死になるあまり、すっかり忘れていたのだ。ネルは深い溜め息を吐きながら考えた。


「……うん。『聖女』のことはおいおい調べるとして、まずはこの仕事に集中しましょう。これで成果を上げれば、婚約破棄はともかく追放は回避できるかもしれないし!」


 と、改めて決意したのだった。


 この翌日、くだんの『聖女』に出会ってしまうとは、この時の彼女は思いもしなかったのだ──。

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