ネル・クラム伯爵令嬢の介護相談所〜異世界なのに少子高齢化!?せっかく悪役令嬢に転生したけど、王子様に構っている暇はございません!〜
鈴木 桜
事例【老老介護】寝たきりの妻とそれを介護する高齢の夫、孤立した二人に必要なのは……?
第1話 ケアマネ、【悪役令嬢】に転生する
「申し訳ねえ、お嬢様。こんな状態なもんで、お構いもできんのだわ……」
ネル・クラム伯爵令嬢の前には、一組の老夫婦がいた。
妻である老婦人はベッドに横になったままポロポロと涙を流していて、夫である老紳士は痛む腰をさすりながら何度も頭を下げている。
その情景を見た瞬間だった。
(……っ!)
彼女は、
* * *
前世の彼女は『ケアマネジャー』──俗に言う【ケアマネ】という仕事に就いていた。
介護に関する相談対応をする専門職で、介護を必要とする人がヘルパーやデイサービスといった必要なサービスが利用できるように段取りや調整をしたりする仕事だ。
……と、端的に説明することを試みてはみたが、たった数行で説明できるものではない。
とにかく、大変な仕事だ。
前世の彼女はその仕事に人生を捧げ、36歳、処女、独身のまま、仕事の帰り道に居眠り運転をして事故死した。
そんな彼女の唯一の楽しみは、乙女ゲーム『聖女様を助けて☆』をプレイすることだった。
そのゲームには、いわゆる悪役令嬢が登場する。攻略対象の一人である王子の婚約者であり、ヒロインを退学に追い込むために嫌がらせを繰り返す悪女。その悪役令嬢の名が、『ネル・クラム伯爵令嬢』なのだ──。
* * *
(まさか……! 悪役令嬢に転生だなんて!)
少しばかり胸が躍った。というのも、
(悪役令嬢に転生といえば、原作知識を駆使して断罪イベントを回避して、なんやかんやあってイケメンと上手くいく。それがテンプレート! もともとの婚約者である王子様と上手くいくパターンもあれば、他のイケメンに見初められるパターンも……!)
生前、そういう恋愛小説が流行っていたのだ。
(満喫しなければ! 悪役令嬢ライフを!)
と、浮かれたのは一瞬のことだった。
はたと現実に意識を戻せば、老夫婦が怪訝な表情でネルの方を見ていた。
「どうかされましたか? やはり、気を悪くされたので……?」
ネルは学院の授業、『奉仕活動』の一環でこの街に来ていた。首都から馬車を走らせること約30分のこの街には、労働者階級が多く住んでいる。学院の生徒がこの街で奉仕活動を学んでいるのだ。といっても、月に1回程度、適当な家に適当な食品や日用品を持って訪問する、というだけのことだが。
「い、いいえ! なんでもございませんわ!」
ネルは慌ててごまかしながら、改めて老夫婦の家の中を見回した。
掃除は行き届いておらず、食料棚にはカビの生えたパンまである。かまどの周囲には乾いてカピカピになった粥が飛び散っており、慣れない調理に老紳士が四苦八苦している様子が見て取れる。最低限、夫人のベッド回りだけは清潔に保たれているが……。
(この匂いは……)
ネルがクンクンと鼻を鳴らすと、部屋のそこかしこから僅かなアンモニア臭が漂ってきた。
(尿臭、ね)
この老婦人は、寝たきり。もちろん排泄はベッドの中。この世界に『紙おむつ』はないので、布オムツを使っているのだろう。しかし、シーツやら服やらが汚れることを防げていないらしい。
(洗濯も追いついていないのね)
物置の扉の隙間から、洗濯の山が見えた。ネルの訪問を知って、慌てて隠したのだろう。
「お嬢様?」
また黙り込んでしまったネルに、老紳士がビクビクと肩を震わせる。貴族を怒らせたと思ったのだろう。
「申し訳ありあせん。少し、考え事をしていて」
ネルが謝ると、老紳士がホッと息を吐いた。
「あの、これを」
ネルが差し出したのは、わずかな食料だけが入ったバスケットだ。やわらかいパンとハム、そしてワインが入っている。
「ありがとうございます。助かりますです」
大した助けにはならないはずだ。
それでも、貴族からの施しを受け取った平民は礼を言わなければならない。
「どういたしまして」
淑女らしく笑顔で応えたネルだったが、内心は気が気でなかった。
(今私は17歳。ネル・クラム伯爵令嬢が婚約破棄を言い渡され、さらに『聖女』を害したという理由で追放される、いわゆる断罪イベントが発生するのは学院の卒業パーティー。つまり、あと1年で私は追放される!)
それまでに行動を起こさなければ、不遇の運命を迎えることになるのだ。
(違う! そうじゃない!)
ネルは心の中で叫んだ。
(今、私が向き合わなければならないのは、今、私の目の前にいるこの老夫婦ですわ!)
この世界には介護保険制度はない。ヘルパーもデイサービスも便利な介護グッズも、紙おむつすら、ない。そんな世界で頼れる家族がおらず、使用人を雇うような金銭的余裕もない家庭はどうなるのか。
(共倒れか、
老老介護の末に夫婦揃って死にゆくか。夫が妻を山に捨てるか。いずれにしても、悲惨な運命をたどることは間違いない。
(私に、何ができる……?)
ネルは考えた。しかし、結論など出るはずがない。
今の彼女に、できることは一つもないのだから。
(それでも……)
ぎゅっと両手を握りしめる。そんなネルの様子を、老夫婦が不安げな表情で見ていた。
(なんとかしなければ! だって、私は……【ケアマネ】ですから!)
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