第2話
騎士団員たちのうち、大盾部隊が騎士団長から指定された場所を静かに取り囲んだ。
大盾の後ろには弓部隊と魔法部隊がこれまた静かに移動し、騎士団長ダートの合図と共に、指定の場所へ矢と攻撃魔法の雨を降らせた。
耳を劈く魔物の悲鳴が森に響き渡り、それが開戦の合図となった。
魔物の遠距離攻撃は大盾と魔法部隊の防護魔法で防ぎ、矢と攻撃魔法の雨を潜り抜けてきた手強い魔物と先頭部隊が切り結び始めた頃、騎士団長のダートと下級騎士のオルフェは、包囲網の更に外側を駆けていた。
具体的には、オルフェが
オルフェの体格は騎士の平均よりやや細めで、ダートはオルフェより一回り程体格が良い。さらにダートは、金属の中では比較的軽量な魔法銀製とはいえ金属鎧をほぼ全身に身に着けている。それだけ重たいダートを背負っているオルフェは、息ひとつ乱さず、平地の馬や空飛ぶ魔物よりも速く走っている。
「僕は別にいいんだけどさ、いいの?」
オルフェの呟きに、背中のダートが時折飛んでくる流れ弾を風魔法で逸らしながら、反応した。
「何がだ」
「この状況。今のところ見られる心配はないと思うけど、万が一ってこともあるよ」
鎧を着込んだ大の男が怪我も病気もしていないのに、自分より体格の小さな男に背負われて運ばれているのである。
ここだけ切り取って他者から見たら、ドン引き間違いなしの状況だ。
更に言えば、騎士団長という肩書が持つ価値の下落も免れないだろう。
「騎士団長の矜持や見栄えなんぞは、確実な魔物討伐の前では無意味だと言っているだろう」
オルフェのいつもの台詞に、ダートがいつものように言い返す。
オルフェが「やれる」と言い切った魔物は、オルフェ一人でも討伐できる。そもそも、オルフェがこれまで倒せなかった魔物はいない。
しかし下級騎士であるオルフェを一人で魔物の群れのボスの前に出すのは、騎士団として「有り得べからざること」であり、騎士団長かつ幼馴染のダートからすれば「心配」なのである。
そこでダートは毎回理由をつけてオルフェを「小間使い」に任命し、ボス討伐に同行させていた。
勿論、事情を知らされていない、あるいは知っていても信じられない中級以上の騎士たちから異を唱えられる。
そこである日行われたのが、第一騎士団員総出の走り比べだ。小間使いは伝令の役割も兼ねることが多々ある。その際の足の速さを重要視するという名目で、上級騎士が提案したのだ。
これにオルフェは短距離、長距離、障害物走の全てでぶっちぎり一位を獲得し、他の団員たちを黙らせた。
このときにダートは閃いたのである。
「オルフェが俺を背負って走れば、魔物たちに気づかれずに背後を取って、ボス討伐までの時間を大幅に減らせるのではないか」
これが何度も成功してしまったため、下級騎士が騎士団長を背負って戦場を走り抜ける今が出来上がったのだった。
「もうすぐ」
この状況になる出来事を思い返していたオルフェが濃い魔物の気配で我に返り、ダートに短く知らせる。
オルフェは魔物に気づかれないギリギリの距離を見極めて、ダートを背から下ろした。
「頼む」
ダートが言う前から、オルフェは魔法の準備に入っていた。
身体能力強化に剣の耐性強化、攻撃力向上、防具強化……様々な補助魔法を、オルフェは無詠唱で瞬時にダートに掛けた。
二人の素の実力は、オルフェの方が圧倒的に強い。
ならばオルフェが自身に補助魔法を掛ければ良いのだが、そうはいかなかった。
オルフェはいかなる魔法も受け付けないのである。
オルフェ自身が持つ魔力量が膨大なため、回復魔法ですら通らないが、魔法自体は国一番の宮廷魔道士よりも強力なものが使える。
そんなオルフェの補助魔法を掛けられたダートは、オルフェよりも強い。
よって、魔物の群れのボスを倒すのは、毎回ダートの仕事だった。
「気をつけて」
「ああ」
ダートが、たんっ、と地を蹴ると、あっという間にオルフェの視界から消えた。
オルフェは魔物の気配には鋭敏で五感も普通の人より優れているが、人間の気配には疎い。
視界にいないダートが何をしているのか、どういう状況なのか、オルフェには知る術がない。
しかしオルフェはダートを信頼しきっていた。
それに、魔物の気配ならば、魔物がどういう状況なのかも解る。
ほんの数分もしないうちに、一番強い魔物の気配が消え失せた。
騎士団員たちがいる辺りに群がっていた魔物たちの気配も、もうあと僅かだ。
「終わった、戻ろう」
オルフェの隣には、いつのまにかダートが帰ってきていた。その左手には巨大な赤いドラゴンの首をぶら下げている。
オルフェが顔をしかめたのはドラゴンの首のせいではない。ダートは全身に魔物の体液を浴びていて、生臭い匂いを発していた。
「おつかれ」
オルフェは問答無用で、ダートの頭から水の魔法を浴びせ、続けて火魔法で温めた風魔法を容赦なく吹き付けた。
「ぷわっ!? お前、それ、やる時は先に言えっていつも言ってるだろうが!」
「ごめんごめん、あんまり臭かったから」
「はぁ……ま、さっぱりしたからいい。で、帰り道はどうするか」
「魔物は全部討伐できたみたいだから、真ん中突っ切っても問題ないよ」
「ではそうしよう」
戦果はこれ以上無いほど上出来だった。
騎士団員には負傷者こそでたものの、全員、魔法による治療が間に合い、実質無傷で済んだ。
群れを率いていたボスであるフレイムドラゴンは、騎士団長が無事に倒した。
また騎士団長は騎士団本部に「森にこれ以上脅威的な魔物の存在は確認できなかった」という報告もできた。
「……だから、オルフェの功績だと何度も、何度も言っているのに」
ダートはワインを三本空けてもまだ酔えないらしく、四本目を手に取った。
「もうやめときなよ。ほら、水飲んで」
遠征の報告を終えてすぐ、ダートはオルフェの部屋にワイン瓶を何本も持ち込み、それらをほぼ一人で呑んではオルフェに愚痴っている。
オルフェは酒の味があまり好きではないため、一杯だけ付き合ったあとは自分で淹れたコーヒーを時折口にしながら、ダートの愚痴の聞き役に徹していた。
「作戦を立てられたのも、その御蔭で皆が無事だったのも、ドラゴンを倒せたのも……」
「僕は気にしないって言ってるじゃん。そろそろ部屋へ帰りなよ。明日も仕事でしょ」
「いいや、あいつらは頭が硬すぎる。現場にも出ないで出自と結果だけで何もかも決めやがって」
「それ以上言うなよ、ダートの立場が」
「俺の立場など、もうどうでもいい」
「良くはないでしょ」
こうなってしまったダートは、もはやオルフェにも止められない。
飲みたいだけ飲ませて酔い潰れたところを、部屋まで運び、騎士団長専属の付き人に任せる他ないのだ。
小一時間後。酔いつぶれたダートを担ぎ上げようとしたところへ、オルフェの部屋の扉をノックする者がいた。
「オルフェさん、グライドです。うちの
グライドはダート専属の付き人だ。騎士団が配属した人員であるためダートは雇用主ではないのだが、グライドは自主的にダートを主と呼ぶ。オルフェとも気心が知れた仲だ。
「いるよー。入って」
扉を開けて入ってきたグライドは、ダートよりも更に身体が大きい。
「いつもすいません。俺が連れて行きます」
「手伝うよ。重いでしょ、こいつ」
「……ほんといつも、すいません。助かります」
隊長以上の階級の騎士には専属の付き人が付くが、その殆どは訳あって騎士を続けられなくなった者たちだ。
訳とは、魔法で癒せぬ病を抱えたとか、負傷に魔法治療が間に合わず身体に後遺症が残ったというのが殆どである。
グライドの場合は魔法治療が間に合わず、右手首を一定の角度以上曲げられないという後遺症を持っていた。日常生活には殆ど差し障りはないが、剣をまともに振れないため、本人の希望で付き人となった。
騎士の道を止むを得ず諦めた者に対し、一部の人間は同情的であり、または逆に非好意的だ。
オルフェのように何気なく、不自由な身体を気遣える相手は少なかった。
オルフェとグライドがダートの両サイドから体を支えて騎士寮の廊下を歩いていると、他の騎士たちとすれ違う。真ん中のダートを認めるや軽く敬礼し道を譲ってくれる者数名に、軽く会釈を返して通過した後、中級騎士の四人組が、ダートに意識がないことに気づくと、オルフェたちの行く手を塞いだ。
「あの、邪魔なんだけど」
オルフェは彼らに見覚えがある。先日、森へ置き去りにしてくれたのとはまた別の、時折オルフェにちょっかいを出してくる連中だ。
「相変わらず口の利き方がなってないなぁ、下級」
「ちょっと団長に気に入られてるからって生意気なんだよ」
普段のちょっかいも今の言いがかりの内容も、全て子供じみていて、オルフェにまったく響かない。
「つーか、団長に何しやがったんだ」
「まさか、薬でも盛ったとか」
ダートが酔い潰れるのは遠征後の恒例行事として第一騎士団全体の共通認識になっている。中級騎士も当然知っているが、オルフェを虐められるなら何でもいいのだ。
「オルフェさんがそんなことするわけ無いでしょう!」
先に激昂したのはグライドた。オルフェは涼しい顔で白けている。
「うるせぇ、なりそこねの下っ端クズ野郎の分際で!」
中級騎士たちの威勢がよかったのは、ここまでだった。
「ぐあっ!?」
「わっとと……オルフェさん!?」
急に支えの半分を失ったグライドがあわてて体勢を立て直し、顔を上げると、オルフェが中級騎士のひとりの胸ぐらを片手で掴んで高々と持ち上げていた。
胸ぐらを掴まれているのは、直前にグライドへ暴言を吐いた者である。
「僕を貶めるのは構わない。でも、グライドを貶めるのは許さない」
騎士になれるほどの腕力の持ち主なら、人間一人を片手で持ち上げることは造作もない。
しかし、周囲の誰もが止める間もないほど素早くその動作を行えるものはいない。
更に、その場にいた全員が、オルフェから滲み出る怒気に、圧倒されて動けなくなっていた。
「オルフェさん、俺は気にしてませんから、そのくらいで」
件の騎士が口の端から泡を吹き始めたことに気づいたグライドが、あわててオルフェをなだめた。
オルフェは掴んでいたものを、枯れた小枝を焚き火に捨てるかのように無造作に放った。
オルフェが無言でダートの肩を支えに戻り、その場から立ち去るまで、中級騎士たちは誰一人、そこから動けなかった。
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