下級騎士は虐められてもノーダメージで甘味を貪り、幼馴染の騎士団長はフォローに奔走する
桐山じゃろ
第1話
大声を出そうとして吸い込んだ息を、オルフェは吐き出す前に止め、溜息に変えた。
魔物蔓延る森の奥で情けなく助けを呼ぼうものなら、自分を森に置き去りにしたやつらを喜ばせるだけである。
オルフェにとって今この状況で警戒するべき対象は、人を見るや喰らおうと襲いかかってくる魔物よりも、人間の方だった。
森の樹々は背が高く葉はみっしりと生い茂っているため、まだ昼だというのに辺りは薄暗い。
オルフェはもう一度溜息を吐き出すと、今度は深呼吸し、早足で歩きだした。
オルフェは数時間前まで、騎士寮の自室で寛いでいた。
久しぶりの休みをのんびり過ごすべく、好物の甘味――最近城下町で流行っている、生クリームとカスタードクリームが一緒に入ったシュークリームだ――に、お気に入りの騎士道物語の新刊を準備してソファへ深く腰掛けた途端、扉をやや乱暴にノックされた。
扉を開けると、三人の中級騎士が立っていた。
下級騎士であるオルフェが上位階級である中級騎士に「仕事だ」と命令されたら、逆らえない。
今日は完全オフなはずで、そいつらがどれだけ嫌な笑みを浮かべていたとしてもだ。
シュークリームを保冷庫へ、本を棚へと仕舞い、「装備を整える時間はない」と言われたため普段着のままのオルフェが渋々中級騎士たちについていくと、騎士寮から離れた場所に馬が四頭、すぐに乗れるよう用意されていた。
中級騎士の一人から手振りで「乗れ、ついてこい」と命令される。
戦場ではよく行われる音のない命令だが、今この近くに魔物などいない。声を出して命令したほうが正確、確実なはずだ。
――この後、何かしらの嫌がらせに遭うんだろうけど、ここまで手の込んだ事をされるのは初めてだなぁ。
オルフェは諦観の溜息を押し殺して、命令に従い、中級騎士たちについていった。
その結果、深い森の中で馬からも離され、一人になったのである。
*****
「森の真ん中に、僕一人を置き去りにするほうが難しいと思うんだよ」
オルフェはシュークリームをひとつ飲み下してから、目の前に座る背の高い男に話しかけた。
場所は第一騎士団長の執務室。話しかけている相手は、第一騎士団長であるダート・レ・ソウェイルだ。
ダートとオルフェは幼馴染よりも少々入り組んだ間柄である。
「魔物の出る危険な森に何度も入って土地勘鍛えて、方向感覚が優れてないと出来ない。あと、どこから連れてきたのか知らないけど、軍馬じゃないのに馬の練度も高かった。だから、そんなに厳しい処罰にしなくていいよ」
「お前なぁ……自分がどんな目に遭ったか、ちゃんとわかってるか?」
「でもこうして、美味しいもの食べられるし」
シュークリームは自室の保冷庫に入れておいたものの他に、ダートからの差し入れも加わっている。
合わせて五つあったシュークリームを全て食べ切り、少しぬるくなったコーヒーで口の中をさっぱりさせた。
オルフェの至福のひとときだ。
オルフェが満足そうな表情で口元のクリームを指と舌で舐め取るのを見て、ダートは呆れを隠さずに「全く」と呟いた。
「被害者であるお前が言うなら、一応伝えてはみるが」
「うん」
このやりとりの二時間前に、オルフェを連れ出した中級騎士たちは自ら「下級騎士オルフェの脱走」を上級騎士や隊長たちに告げ口していた。当然、団長であるダートの耳にも入る。
ダート達が事実確認をしている間に、オルフェ本人がやや薄汚れた普段着姿で騎士寮へ帰還したところを、他の騎士に目撃された。
オルフェがダートに呼び出されて事実を詳らかにすると、中級騎士たちには一先ず自室謹慎が言い渡された。
中級騎士たちは日頃から下級や見習い騎士たちへの態度が悪く、どんな言い訳も聞き入られなかった。
オルフェは時折、階級が上の騎士たちの一部から嫌がらせを受ける。
オルフェは今年で十七歳になる国仕えの騎士だ。
貴族出身であれば十六歳で自動的に中級騎士となるが、孤児院出身とされているオルフェは下級騎士のままだ。
オルフェはたしかに孤児だが、孤児院で過ごしたことはない。
ダートの父であるソウェイル侯爵が自領の見回りの最中、川のほとりに捨てられていた赤子を見つけた。それがオルフェだ。
侯爵は赤子を拾い、オルフェと名付け、およそ十年間、ソウェイル家で育てた。
ソウェイル侯爵夫妻はオルフェに貴族教育こそ最低限しか施さなかったものの、実子であるダートと何ら分け隔てなく愛情を注いだ。
貴族教育を最低限にしたのには、理由があった。
「貴族が拾えば貴族に成れると思われてしまったら、領地中に孤児が溢れてしまうからな。すまない」
オルフェが物心ついた頃には、ソウェイル侯爵はオルフェに真実を伝え、オルフェはそれを素直に受け入れた。
そして推定十歳になったオルフェは、ソウェイル侯爵に勧められるまま孤児院出身として騎士団の入団試験を受け、無事に合格した。
オルフェは強い。
幼い頃から人並み外れた怪力を見せ、剣を持たせてみるとすぐに大人を相手にしても引けを取らない腕前になった。
戦術を教えれば乾いた大地に染み込む水のごとく吸収し、大人でも使えるものの少ない魔法さえもすぐに覚え、あっさりと使いこなしてみせた。
環境も良かった。ダートは侯爵子息であることを笠に着るタイプではなく、二つも年下のオルフェが己より強いと知るやすぐさま教えを乞い、切磋琢磨した。
ダートが建国史上最年少の十八歳で団長の座をもぎ取ったのは、オルフェとの鍛錬によって身につけた実力があってこそだった。
そのダートが事あるごとに、オルフェの肩を持つのである。
「オルフェの実力は私より上です。せめて上級にするべきです」
ダートは何度も他の騎士団長たちや上層部にオルフェの昇級を進言したが、孤児院出身とされ、事実孤児であったオルフェの肩の騎士章に、二本以上の白線は入らなかった。
ならばと、ダートは団長権限でオルフェを重用した。
儀礼的な意味合いの強い、栄誉ある仕事の多くをオルフェに割り振ったのだ。
結果、オルフェに美味しい仕事を取られたと勘違いした中級以上の騎士たちからこうして時折嫌がらせを受けてしまっていることに、ダートは頭と心を痛めていた。
「俺が言えば変わると思ったんだがなぁ」
普段は侯爵令息であることをひけらかさないダートが全力でその地位を利用したが、オルフェの待遇は一向に変わらなかった。
孤児院出身で中級以上の地位につくのは、それだけハードルが高いのである。
「僕は今のままで充分だよ。まぁ、仕事はもうちょっと減らしてほしいけど」
ダートは気難しそうに眉間にシワを寄せるが、たっぷり甘味を摂ったオルフェ本人はけろりとしている。
「足りたか?」
オルフェが甘味を食べるのは、単に甘味を好んでいるためだけではない。
「足りた。ご馳走様」
とある理由により赤く染まりかけていた瞳は、いつもの黒を取り戻しつつあった。
*****
オルフェにしてみれば「いつもの小さな騒動」、ダート第一騎士団長からすれば「中級騎士三名を十日間の謹慎と三ヶ月の減俸処分にするための煩雑で余計な書類仕事」から三日後。
第一騎士団のほぼ全員は、オルフェが中級騎士たちに置き去りにされた北の森ではなく、西の森へ踏み込んでいた。
遠征目的は、魔物討伐である。
三ヶ月前、南にある隣国ガラルの第二王子が自国の宝物庫にあった「絶対に壊してはいけない宝珠」を誤って落として割って以降、ガラル国とオルフェたちがいるライドリニカ国を囲む森に、大量の魔物が溢れ出した。
宝珠は「
ガラル国の伝承によれば数百年前、魔物の勢いが凄まじく討伐が追いつかなくなったことがあり、時の魔道士たちが大掛かりな魔法陣を組み上げて大量の魔物を封じたものが、「黒封」だった。
黒封の封印が解かれなくとも、魔物は世界中に自然発生し、主に人間に敵対する存在だ。
故にどこの国にも騎士団や民間兵団が存在し、日々、人々を魔物の脅威から守っている。
「ガラルの第二王子って馬鹿なの?」
黒封の情報は、混乱を防ぐために国の一部の人間と、隊長以上の騎士たちにしか知らされていない。最近多くなった遠征の理由をなんとなく尋ねてみたら「内密に」と前置きされて返ってきた答えに、オルフェは眉をひそめた。
「第二王子だけじゃないぞ。謹慎させているはずなのに、町で遊んでいるという目撃情報もある」
「ええ!? こっちにも魔物が流れ込んでる時に?」
「国からも抗議もしているが、正直第二王子ごときの責任を追求している場合ではない。実際被害が出ているからにはまず討伐しないとな」
騎士団を率いているダートの隣には、当然のようにオルフェがいた。
団長のダートを相手に敬語もなしに軽口を叩けるのはオルフェだけだ。
二人の会話は不謹慎かつ、隣国とはいえ王族に対して不敬なものだが、近くの者たちは「いつものこと」として聞き流していた。
オルフェは「騎士団長の小間使い」という名目でダートの隣りにいるが、このことについて例のオルフェを虐めるような一部の騎士たちは納得していない。
一方、先頭集団の副官や上級騎士たちは、オルフェの実力を認め、中にはダート同様にオルフェの階級の低さに憤慨する者もいる。
オルフェ自身は、他人からの嫉妬や羨望、憐憫といった様々な感情の乗った視線を、全く気にしていなかった。
この図太さもオルフェの強さの要因のひとつかもしれない。
「ダート」
突然、オルフェが歩みを止めた。軽口を叩いていたときの緩い表情は既になく、遥か前方を鋭い瞳で睨みつけている。
ダートはがらりと雰囲気の変わったオルフェの様子を認めるなり、手振りで周囲の騎士たちに命令を出した。
騎士団員たちが俄に、しかし静かに戦闘態勢を整える。
第一騎士団の中でも団長に近い者ほどオルフェの重用を理解する理由の一つに、この異常なまでに鋭敏な魔物探知能力があった。
オルフェが睨みつける先には、必ず魔物がいるのだ。
「どのくらいだ」
ダートが小声で尋ねると、オルフェもまた小声で返した。
「千と少し。雑魚の奥に強いのがいる」
「どうだ?」
「やれる」
オルフェの回答から、ダートはすぐさま作戦を立てて、周囲に通達した。
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