大丈夫、きみはかわいい

来宮ハル

第1話

一.

「しばらくこの店に来られなくなるかもしれません」


 カウンター席で唐揚げとおにぎりをたいらげ、両手を合わせてお辞儀をする。頭を上げて、僕をまっすぐ見ながら、彼女はそう言った。

 当然ながら僕は「は?」と返す。


 お水をもらえますか、と彼女に言われてからはっとする。彼女のグラスが空いていたにも関わらず、水を注ぐのをすっかり忘れていた。僕は今、この店の従業員としてここに立っているのに。


 落ちつきを取り戻すように彼女のグラスに水を注ぎ、僕もロックの芋焼酎を飲む。芋焼酎の香りが鼻を抜けたところで、僕は彼女の言葉に存外ショックを受けたらしいと知る。


「なんだよいきなり。仕事忙しくなる感じ?」

「……その、しばらくダイエットをしようかと。このお店に来ると食べすぎてしまうので……」

「ダイエット? メシコ、そんなに太ってないじゃん」


 メシコは二年前くらいからこの店を訪れている常連客だ。

 この店は昼間は定食屋、夜は居酒屋という営業スタイルをとっている。彼女は最低でも週三回はやってきて黙々と食事をする。しかも大食漢なのだ。


 見た目は至って普通の女性だ。細身というわけでもないが、肥満というわけでもなく、特筆することがない体型で、まあ、健康そうとでも言おうか。その身体のどこに食べ物が仕舞われていくのか不思議だった。


 そういうわけで彼女は他の常連客や、店長である僕の叔父、そして僕からメシコと呼ばれている。飯を美味しそうにいっぱい食べるからメシコ。本当は芽衣子(めいこ)という。だけどメシコというあだ名を彼女は気に入っているようだ。


「いえ。だいぶ太ってしまいまして。このままでは……」


 普段はあまり表情を変えないメシコが珍しくうつむく。よほど増量してしまったのだろうか。

 しばらくうつむいていたので、僕は彼女の話の続きを促した。


「……ええとですね……」

「ははん? もしかして恋でもしてるとかー?」


 僕はポニーテールにした金髪の先をくるくると指で弄ぶ。ブリーチしすぎて毛先がだいぶ傷んでいるせいか、指先にちくちく刺さった。

 僕の言葉にメシコはゆっくりと顔を上げる。

 僕は唇の下に刺さったラブレットを口内から舌の先で押しながら、メシコの反応をうかがう。


 ──図星か?


「なるほどね、好きな人のためにダイエットだなんて、メシコってば乙女ちゃん」

「えっ? …………はあ」


 メシコはグラスの水を一気に飲み干す。今度はすぐに注ぎ足した。

 てっきり食事にしか興味がない子だと思っていたけど、しっかり恋をしているのか。


 僕はメシコと二年くらいの付き合いだし、たまにしか会わないけど、彼女のことはそれなりに知っているつもりだった。意外と知らないことは多いらしい。


 それはさておき、メシコはその想い人のためにダイエットをするつもりだ。それはご立派なこと。とはいえ、食事を抜くようなダイエットをするつもりなら、ちょっと心配だ。


 バランスのいい食事と適度な運動。ダイエットはこれに限る。世の中の人間は飯を抜けば痩せられると思いがちだが、人間の要である食を抜いてどうにかできるなんて実に浅ましい。


「食事抜くのはだめだよ。運動しろ運動。ジムとか通ったらどう?」

「ジムですかあ……私、長続きしなくて。前も……あのショッピングモールの中にあるジムに通っていたのですが、気づいたらその隣のトンカツ屋にばかり行くようになり……ジムをサボってしまいまして……」


 メシコらしい。僕もそのジムは知っている。確かに入口近くには揚げ物のいい匂いが漂っていて、運動してもその分だけ、いやそれ以上に食べてしまいそうだ。プラマイゼロってやつ。

 ジムの隣にトンカツ屋を作るなんて、あのショッピングモールもなかなか罪なことをする。ある意味商売上手なのだろうか。


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