1.ゴーストハウス(28回目)(2)

「利他?」誰かが聞き返した。

「このゲーム、ほかのプレイヤーへのスタンスは三種類あるんだけど……」言ってる途中で、これは質問の形式にしてみようと幽鬼ユウキはひらめいた。「なにかわかるかな」

「自分が生き残るために、〈利用する〉」

「うん」

「〈無視する〉。他人とは極力関わらず単独でのクリアを目指す」

「うん」

「最後のひとつが……死なないように〈助ける〉ですか」

 二回目の娘さんが疑わしげな視線を向けてきた。

「しかし、なんだってそんなことするんです? そりゃ、サポートしていただけるのはありがたいですけど、それと引き換えに幽鬼ユウキさんはなにを得るんです?」

「長い目で見れば、それがいちばん生存率が高いんだよ。ここでみんなに借りを作っておけば、次にどこかのゲームで会ったとき、私の有利になるよう動いてくれるかもしれない」

「次って、次のある人が何人いるかもわかりませんよ」

「それでもいいよ。自分の利益を損なわない範囲でなら、見捨てるより助けたほうがいい」

 本心だった。

 が、幽鬼ユウキへの疑わしげな視線は消えなかった。「まあ、それでも」と彼女は付け加えた。

「警戒はしたほうがいいね。こんなこと言って、実際、腹の中は暗黒かもしれない。弾除けぐらいにはなるかなって考えているのかもしれない。そこのところは、各人で判断してもらうしかないね」

 言いながら、幽鬼ユウキは、テーブルの上の大皿に手を伸ばした。チョコレートだのクッキーだの、マフィンだのマカロンだの、その他名前のいまいちわからないやつらだの、多種多様な菓子類が並んでいた。例によってそれは真っ白か真っ黒かの二択で、食欲をそそる色合いではなかったものの、とはいえ、お菓子なのである、食べたくならないことがあるはずもなかった。幽鬼ユウキは包みを破り、ダークな色合いをしたマフィンを一口かじった。

「食べていいんですか、それ」

 信じられない。そんな目をメイドさんたちはしていた。「うん。おいしいよ」と答える。

「そういう種類のゲームでもない限り、食べ物に毒が入ってるってことは基本ないよ。ゲーム中の飢えをしのぐためのものだからね。人の命をもてあそぶゲームでも、そこの線引きは案外しっかりしてるもんだ」

 見たところ、誰もお菓子に手をつけていなかった。食べ物が喉を通る状態でないというのもあっただろうし、それに、人が死ぬゲームという観点でこのお菓子を見たとき、あまりにもこれは怪しすぎる。ためらいを覚えて当然だろう。

 幽鬼ユウキの言葉を受け、一人のメイドさんがおそるおそる手を伸ばす。

 が、その手は、なにもつかむことなく停止した。

 同メイドさんは幽鬼ユウキに視線を向け、「……〈こういうの〉を、警戒しないといけないんですよね」と言った。幽鬼ユウキは笑う。「まあね」

「もしかしたら、安全なお菓子を見分ける方法を隠してるかもしれないからね」

 実際には、そんなもの存在しない。単純においしそうだと思ったのでマフィンに手を伸ばした。ゲームの舞台に配置されている飲食物は、聖域なのだ。食べてもよろしいという公式のアナウンスがあったわけではないのだが、しかし、不文律があった。人権をやすやすと侵害するこんなゲームとあっても、守られているものはある。そうでなければ、商売にはならないし、幽鬼ユウキのようなヘビープレイヤーを生むこともないだろう。

 さて、しかし、そういった事情を知らないほかの五人は、このお菓子に対して警戒を続けざるをえない。つまるところ、幽鬼ユウキの独り占めという構図だ。マフィンをもう一口いって彼女はご満悦な表情となるが──。

 正面から手が伸び、食べかけのマフィンがかっさらわれた。

「えっ」

 前を見る。さっきのメイドさんだった。「こうしろってことですよね」彼女は言った。

「いや、あの、違うんだけど」

 応答はなかった。三口目は彼女がいった。「ああっ」と幽鬼ユウキは声をあげた。

 気を取り直し、幽鬼ユウキはまた大皿に手を伸ばすのだが、そこで、自分の犯した重大なミスに彼女は気づいた。今度は袋すら開けさせてもらえなかった。また別のメイドさんの手が横から伸びてきた。手と手が触れた。白色のマカロンを奪われた。同じことがあと三回ほど繰り返された。自分より低い体温の持ち主がこの中に一人もいないというのが、幽鬼ユウキの得たただひとつの知見だった。


        (5/23)


「じゃ……じゃあ、そろそろ、みんなのこと教えてほしいな」

 腹ごなしは終わった。幽鬼ユウキの考えていたよりみんな、消耗していたらしく、あのあとも幾度となく幽鬼ユウキは菓子を奪われた。ばくばく食べていた。あまりにも取られるので、最後のほうはもう、目を閉じて指の感触だけで誰の手か当てるということをやっていた。その段になって、そういえば、まだ名前も聞いてないことに幽鬼ユウキは気づき、まろび出たのがこの台詞というわけだった。

「まずは私から」五人の視線を受けながら、言う。「幽鬼ユウキといいます。ゲームのプレイ回数は、これで二十八回目。みなさんに比べて多少なりと経験がありますので、この建物から脱出するお手伝いをできればと思っています」

「そんなにやってるんですか」

 誰かが言った。全員が、たぶん、同じことを思っていた。

「二十八回というと、相当な金額ですよね。なにが目的で?」

「や……私は、お金じゃなくて」照れを覚えつつも、「連勝記録を目指してるんです。目標は、九十九回」

「え。……このゲームでですか?」

「はい。……うん」

「連勝って、負けるときは死ぬときですよね?」

「うん」

「生還率が七割なんですよね? それが九十九ということは」

「計算しないで。怖くなるから」

「なぜにそんなことを……?」

「向いてると思ったから」何度も聞かれてきたことだ。幽鬼ユウキの答えは早い。「やっぱり、人間、得意なことで勝負したいよね。私の場合は、これだったんだよ」

 全員が沈黙した。

 幽鬼ユウキに向けられる視線のすべてが、また、警戒を含んだものに戻った。まずかったか。適当にごまかしたほうがよかったかもしれない。

「えっと、あの」

 いつまでも沈黙してはいられない。幽鬼ユウキは口を開いた。「それじゃあ、次、お願いします」

 正面のメイドさんを幽鬼ユウキは手で示した。幽鬼ユウキのお菓子を最初に奪った娘である。

金子キンコです」

 金色のツインテールが特徴的な娘さんだった。この部屋には白と黒しかないので、よりいっそう、まぶしかった。見てて心配になるぐらい体の細い女の子というのがこの世界にはときどきいて、金子キンコはまさにそれだった。無遠慮に触れたら折れてしまいそうなぐらい細い首、骨と皮どころか骨すらないのではと疑わしくなるぐらい細い指、メイド服なんていうゆったりの権化みたいな衣装の上からでもわかるほど華奢な体つき。六人のうちいちばん体が小さく、また、いちばん年下でもあるものと思われたが、割合しっかりした顔つきをしていたし、〈さっきのこと〉と合わせても、ある程度、自分で考えて動ける能力があると幽鬼ユウキは評価していた。

「ゲームは、これが初めて。目的は、借金返済のためです」

「借金?」

 幽鬼ユウキは首をかしげた。借金などする娘には見えなかったのだ。「そうは見えないね」

「私のじゃありません。親のこさえた借金です」

「……そういうのって、子供には責任いかないんじゃないの?」

「それはそうですが、借りたものは、返さなきゃいけないと思うので」

 幽鬼ユウキは、黙った。

 そう言われたら、返す言葉はなかった。彼女は、〈そういう人〉なのだ。──幽鬼ユウキも人のことをいえた身分ではないが──端金に命まで賭けるこんなゲームに参加しようという人間は、総じてどこかに〈ずれ〉を抱えている。死への恐怖が薄いとか、損得勘定に欠けるとか。金子キンコのずれはそこにあるのだ。欠点に数えられるほど高い責任感。

 金子キンコは右を見た。右隣には、例のぼろぼろに泣いているメイドさんが座っていた。しゃべることのできない状態だと判断したのだろう、金子キンコは自分の正面右側にいたメイドさんを手で指し示した。「次、お願いします」と言った。

〈二回目〉のメイドさんだった。「黒糖コクトーです」と、金子キンコよりもリラックスした調子で名乗った。

「ゲームは二回目。つっても二年ぶりなんで、ほとんど未経験みたいなもんですね。目的は、まあ、生活費を求めてってところです」

 アンダーグラウンドな雰囲気の娘さんだった。

 下衆な記事ばかり書いている週刊誌の記者みたいな、どんなものでも調達してくれる刑務所の売人みたいな、日の当たる世界の住人ではまずないだろう雰囲気。ただし、例によって、その顔立ちはかなりかわいらしいので、アングラな雰囲気を放つかたわら、無理して悪ぶっている不良少女のようなほほえましさがわずかに同居していた。

 ショービジネスという性質上、ゲームに呼ばれる女の子は基本的に顔がいい。顔のいい娘さんとたやすくお近づきになれるのは、このゲームの数少ない魅力のひとつだ。もっとも、お近づきになったところで、その絆がいつまで継続するかはわからないのだが。

「生活費って、じゃあ、切羽詰まった事情があるわけではないんですか」金子キンコが言った。

「ええ、まあ。金がないって意味じゃあ切羽詰まってますがね。借金まではありませんよ」

「普通に労働するというのではいけないんですか」

「ばからしくてね」黒糖コクトーは肩をすくめた。「時給労働だって、言ってみれば、命を金に変換してるわけでしょう。だったらこっちのがいくぶん話がはええですわ。ねえ。幽鬼ユウキさん」

 矛先が幽鬼ユウキに向いた。「どうだろう」と苦笑いしておいた。

「次、どうぞ」

 黒糖コクトーは発言権を譲った。「しゃべれますか?」と付け足した。

 というのも、彼女が指し示したのは、例の泣いているメイドさんだったからだ。命懸けのゲームに参加させられた人間の反応としてそれは自然なのだが、しかし、幽鬼ユウキにとっては、一周回って新鮮だった。ある意味、このゲームをいちばん満喫している人といえよう。

 きんきんの高い声で「桃乃モモノです……」という返事があった。

「違うんです。私は、騙されて……」

「騙された?」

「自分の意思で参加したのではないそうです」

 そう補足したのは、金子キンコだった。

「簡単に稼げるバイトがあるよって言われて、てくてく付いていったら意識を失わされて、気づいたらここにいたという、なんともコテコテな事情だそうです」

「ああ……」

 ああという声が出た。それ以外に出しようがなかった。

 運営側から誘ってゲームに参加させる──いわゆるスカウト組は、少数あった。開催されるゲームに対して人数が足りない場合、あるいは、ものすごい上玉を発見した場合など、運営がアプローチをかけたくなる状況はなにくれとなくあるのだ。

 今回は後者のケースだろうと幽鬼ユウキは断じた。というのも、この桃乃モモノという女の子はすごかったからだ。まず、髪の毛がピンク色である。声帯が心配になるぐらい声が高い。ぼろぼろに泣いているのでわかりにくいが、六人の中でいちばんの美人さんでもある。そして、なによりも特筆すべきはその肉体のいやらしさだった。メイド服というのは本来ならば体のラインの出ない衣装なのだが、しかしこの桃乃モモノという娘に常識は通用しない。ワンサイズ小さいのを着せられちゃったのかな。そう思えてしまうぐらい、全身のあらゆるところがばつんばつんだった。また、ただひとつ服装の大きな違い、桃乃モモノだけはスカートの丈がミニであるのだが、幽鬼ユウキの睨んだところによると、彼女の最もいやらしい部分はそこから伸びる太ももだった。警戒心の現れだろうか、ほかのメイドさんに比べ桃乃モモノはかなり椅子を引いていたので、幽鬼ユウキの位置からでもぎりぎりその太ももは確認できた。しっかりと太い、彼女の豊満な上半身を支えるに足りる風格だ。フリルのついたミニスカートと、白いニーソックスの中間、白黒の世界でその肌色はまぶしく輝いていた。さわりたいな、と幽鬼ユウキは素直に思った。ひょっとして太ももがいやらしいから桃乃モモノなんだろうか。真相は果たしてわからないが、とにかく、なにもかもがあざとい、さぞ男性諸君には受けのいいだろう娘さんだった。

「無事に帰れたら、お金なんていりません」

 そう言ったきり、桃乃モモノは黙った。次の発言者を彼女を指定しなかったのだが、彼女の右隣にいた、桃乃モモノの背中をさすってやっていたメイドさんが「紅野ベニヤです」と名乗った。

「事前の知識はありましたが、参加はこれが初めて。理由は、金子キンコさんと同じく借金返済のためです」

 その名に違わない、赤いショートヘアを持つメイドさんだった。ほかの娘と同じくこの娘もやはりお顔がよろしいのだが、彼女のそれは、少しばかり方向性が違った。手垢のついた言葉で失礼するなら、それは、王子様だった。女にもてる女というやつだった。男として見てもかなりあるだろうというぐらい身長は高く、ほかのメイドさんに比べて明らかに手足が長い。桃乃モモノとは正反対のすらりとした体格だ。六人の中でいちばんオーラのある娘だったが、外面に比べて精神のあまり強くないタイプであるらしく、その表情はゲームに飲まれ気味だった。桃乃モモノの背中をさすっていたのも、より不安そうな人間を見て落ち着きたいという、打算を含んだものかもしれない。

「もっとも、私のは正真正銘自分の負債ですが」

 負債。やや引っかかる表現だった。「なんか商売でもやってるの?」

「そんなところです。少しばかり、入用になりまして」

 詳しい話はしたくないという気配だった。幽鬼ユウキは、おとなしく引き下がる。

 紅野ベニヤは、自分の正面に座っていたメイドさん──最後の一人に発言を促した。「……です」と、しゃべったことがかろうじてわかるぐらいの小さな声がした。

「え、なに?」幽鬼ユウキは聞き直す。

青井アオイ、です」

 おそらく、がんばって声を張っているのだろうが、それでも小さかった。

「ゲームに出るのは、これが、初めてです」

 いかにも内気そうな娘さんだった。

 もしゃもしゃとした青い髪と、不安げな表情を持つ。あからさまに体が前屈していて、視線はテーブルとメイドさんらの間をせわしなく交互する。そういえば、これまでの会話で、彼女の発言を聞いた記憶が幽鬼ユウキにはなかった。声を出すのが苦手な娘らしい。

「目的は……その、これ以外になくて」

 そうとしか青井アオイは言ってくれなかったので、具体的に、どんな事情を抱えているのかはわからなかった。察するに、たぶん、幽鬼ユウキと同じだった。社会能力に著しく欠けるので、こうでもしないとお金を生み出せないのだ。ゆくゆくはこの娘も、幽鬼ユウキと同じ、プレイヤーとしての道をたどるのかもしれなかった。

 全員の自己紹介が終わった。幽鬼ユウキは、メイドさんらをぐるりと見渡した。そして区切りをつけるように「よし」と言った。

「少しの間だけど、よろしく。できる限り大人数でのクリアを目指そう」

 幽鬼ユウキに応え、五人のメイドさんは思い思いによろしくを言った。「よろしく」「よろしく」「よろしくお願いします」声が重なった。

「しかし、クリアといっても、具体的になにをするんです?」黒糖コクトーが聞いてきた。

「脱出ゲームだからね」幽鬼ユウキは答える。「そりゃあ、探索をするしかないよ」


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