第13話 別れ (4,100文字)
ショーンと二人で監獄に入れられた事件から、二年が経った。
僕は十一歳になり、髪も、また後ろでひとつに結べるほどに伸びた。
やっぱりこうじゃなきゃ落ち着かない。
ただ、紐でしばってみても、足りないという感覚が消えなかった。
お母さんの髪飾り。
僕はこの喪失感を、一生抱えて生きていくのかな。
「ひと仕事の後のコーヒーは、やっぱりうまいねぇ」
「あはは。おじさんみたい」
バターを塗ったトーストを齧り、コーヒーをすすってひと息つく僕を、ハンナは頬杖ついて眺めている。
僕は今ハンナのパブの店内で昼食をとっている。
もう店の裏手でこそこそとおこぼれをもらう生活は終わった。
ビールじゃなくて、コーヒーが僕の定番。
ハンナがコーヒーの味を教えてくれたこともあるけれど、マリアに対しての意地が大きい。青いドレスの歩道のヒロイン、マリアはいまだに僕をリトルボーイ扱いする。小僧がイキってるわ、なんて言われたくないから、酒はまだ飲んでやらない。
「キングスのネッカチーフに恥じない台詞ね。ふふっ、初めて会った時は、泣きそうな顔でしょぼくれてたのに」
「もうその話やめてよ。三年前だぞ。俺だって変わったんだ、もう甘ったれなんかじゃないよ」
ハンナはくすっと笑って、ブリキのカップを傾ける。
「ハンナ。酒樽の
低くこもった声に、ハンナは慌ててふり返る。
「あ、うん。ごめんお父さん、今行くわ!」
じゃあね、とハンナは店の奥へと小走りで向かう。裏口への扉からからだを半分出しているのはハンナの父親だ。
割とがっしりしてるけど、顔色が良くなくて、ちょっと猫背。
ハンナ父と僕は目が合った。でも一瞬のことで、帽子のふちで顔は隠される。
思うんだけど、ハンナのお父さん、全部知ってるんじゃないかな。
パブを出て、ショーンとおち合うためにフリートストリートへと向かう。
マリアの護衛がない日は、ショーンと夕方に
最近、マリアは以前よりさらに働かなくなったんだ。
曜日を決めるようになったから、わざわざ毎日家まで行く必要はなくなったのは楽でいいのだけど。
「ルイ。とっておきのビッグニュースがあるんだ! 聞きたいか? 聞きたいよな?」
話したくてしょうがないといった様子のショーンに、僕は肩をすくめる。
なんかガイのおっさんに似てきたなぁ。よく、ハンナのパブで絡まれるんだ。相変わらず、うさん臭い話しか持ってこないよ。
「いや、待て! まだ確信できてるわけじゃねぇ。ルイ、とりあえず真実をこの目で確かめに行こうぜ! 話はそれからだ!」
わけもわからぬまま、やたらテンションの高いショーンとやってきたのは貧相な建物が立ち並ぶ、暗くて狭い通りだった。
「ショーン、こんな通りに何があんの? また変な仕事?」
ショーンが仕事も放りだすくらいのビッグニュースってなんだろう。
まさか幽霊退治とかいわないよね。
「ここだ! 行くぜぇルイ!」
着いたのはどこにでもあるような中古品を扱う店だった。山積みになった鍋やカゴの並ぶカウンターが店の外に張り出している。
「いらっしゃい」
がらくただらけの店内で、声がする方をみると店主らしき爺さんが椅子に座っていた。つばのない帽子を頭に乗せた、眉毛まで白い爺さんだ。
「爺さん! ちょっと聞きてぇんだけどさ!」
ショーンが爺さんに何か耳打ちした。すると爺さんは何度かうなずきながら立ち上がり、ある棚の引き出しに迷わず手をかけた。
「目当てはこれかい?」
爺さんが取り出して見せた物を目にし、僕は気を失うかと思った。
「それ……!! お母さんの、髪飾り!!」
くすんではいるが鈍く光る金色の柄の先に、小さな青緑の石が三つ、枝に実るようについている。
お母さんから聞いたんだ。この石は
「おおっ!! マジか!? モノホンか!?」
ショーンの瞳が輝いている。僕はその目を見ながら口をぱくぱくさせた。言葉が出てこないよ、ショーン。
「これは異国の物だろうからのぉ。なかなか見ないデザインじゃな。おそらく君の物探し物だろう、これは」
「爺さん!! これはこいつの親の形見なんだよ! いくらだ!?」
爺さんは指を一本立てる。
「そうさな、一ポンドじゃ」
「い、一ポン……」
僕は声が震えた。一ポンドは、一束一ペニーの花、二百四十束分の売り上げ額だ。何日食べるのを我慢すれば貯められる?
「これでも安い方じゃて。さぁ、わしは一ポンド払う人間なら君じゃなくても売るだろう。大事な物なら、はやく買い取ることじゃな」
僕は爺さんの手から髪飾りを奪い取るまでの動きを想像した。捕まったら今度こそ絞首刑かな。でも、また行方がわからなくなる絶望に比べたら――。
「ルイ!! 俺も金を出すから!! あり金全部出せ!!」
ショーンが肩を掴む。僕はその瞳を見ながらゆっくりとうなずいた。
「ちくしょー、あの爺さん! 穏やかそうな面して、しっかりしてやがるぜ!」
「ショーン……ありがとう」
秋の風が吹き抜ける通りを、二人で身を縮こませながら歩く。
僕の髪の結び目には、青緑の石の飾り。
二人でお金を出し合って、足りない分はその場で身に着けている物を売って、なんとか一ポンドに足らせた。
ショーンはブーツとネッカチーフ、ベルト、上着とペーパーナイフ。僕は靴と帽子、ベストと上着、それとネッカチーフも――売ってしまった。どうしても足りなかったんだ。ごめん、マーガレットおばさん。
「いいんだよ! 親友のためになれたんだぜ? 俺は嬉しいんだ! さぁ、学校行こうぜ!」
ごめんというとショーンは怒るだろうから。僕はせめて、心底嬉しそうに笑って、力強くうなずいてみせた。
ショーンには世話になりっぱなしだ。本当にありがたいという思いと、対等な友達でいるためには何かしないと、という思いが膨らんでくる。
しなければじゃなく、したいんだ。
こう強く感じたら、なんでか涙が出てきた。ちくしょう、なんでだよ。
「グズッ。へへ、やっぱ寒いね。それはそうと、どうやって髪飾りの情報を手に入れたの?」
返事がない。
「ショーン?」
「うん? ああ、まぁな。さすがの情報網だろ? もはやロンドンは俺の手中ってところかな!!」
欠けた前歯を見せ笑うショーンに、僕も笑って応えた。
「はいはい、さすがです」
ショーンが死んだのは、この出来事からひと月も経たない秋の終わりだった。
その日、待ち合わせ場所にショーンは来なかった。
ひとりではブロードサイド売りもはかどらなくて、僕は仕事を切り上げて夜間学校へと足を向けた。
後からショーンが「わりぃわりぃ!」とやってくる姿を想像しながら。
おかみさんと呼ばれる先生がいる民家の扉を開くと、振り返った子供のひとりが首をかしげた。
「あれぇ? 今日はひとりなの?」
ショーンはどこでも人気者だ。
「後から来ると思うよ」
「おいら、ここに来る前にショーン見たぞ! 立派な格好した大人たちと一緒に歩いてたんだ。なんか暗い顔してたから、別人かと思ったけどありゃあショーンだよ!」
別の少年が声を上げた。
「……それ、どこで見た?」
「ホワイトチャペルの辺りだよ。なんかおっかねぇ雰囲気の奴らだったぞ」
全身から血の気が引くのを感じた。悪い予感がする。
ホワイトチャペルといえば、貧民だけでなくならず者のはこびる、イーストエンドでも特に治安の悪い場所だ。
僕は学校を飛び出した。
薄暗く影が落ちる街を、呼吸をするのももどかしい気持ちで走った。
ショーン。
親友に何も言わずに、ひとりで何やってるの。
「ショーン!!!!」
ホワイトチャペルを駆けずり回り、やっと見つけたショーンは虫の息だった。
暗い路地の煉瓦の壁に、背中をもたれてぐったりしていた。
「ショーン……!」
「う……」
薄く目を開けたショーンは、小さく声を上げた。
殴られたような跡がなければ、寝起きの幼い子供みたいな顔だった。
「ルイ……。やっちまったよ、俺」
その一言で、ショーンの今までの言動と、危険な人間関係に手を出してしまったことがつながった。
よりいい稼ぎを得るために、ヤクザ者に近づいたんだ。
「病院に行く!」
僕はショーンをかつごうとした。うめくショーンの反応は、暴力をふるわれたのは顔だけじゃないことを示している。
「やめとけ。治療なんかしてもらえねぇよ……。それより逃げろ」
「置いて行けるか!!」
助けるよ。
何でも売るよ。髪だって、髪飾りだって。どんな借金でも負うよ。
絶対助けるから。
「ルイ、頼みがあるんだ。妹に……」
「知らねぇ、自分で会いに行けよ……!」
細くても身長のあるからだを僕は支えられず、よろけて膝を着く。ショーンはうめきながら、もういいと言わんばかりに首を振る。
「妹に、俺が死んだこと伝えてくれよ」
「ばか!! 何言ってんだ、殴るぞ!!」
「あいつ、俺を待ってるはずだから……。待たせたままじゃ、だめなんだ」
「あきらめんなよ! そんなに妹が大事なら、生きてやれよ!」
そうだよ、何やってんだよ。忘れられてもいいなんて、そんなの身勝手だ。忘れるわけないじゃないか。お願いだよ。死なないでよ。一緒にいてよ。これからいっぱい助けるんだから。助けさせてよ。僕をひとりにしないでよ。
「これ……渡してくれ。証拠に」
震える手で帽子を取る。紫色の唇から漏れる声はかすれている。
「う、ううっ。ショーン、ショーン……!」
泣いたらだめだ。ショーンがもうだめなんだと認めることになる。首を振りながら、でも僕は涙が止められない。
ショーンは僕を見て、笑った。
歯の欠けた、いつもの笑顔。
「ルイ……」
その先の言葉を待つ僕の前で、ショーンの目が閉じ、笑みが消えていく。
「この辺りだ! 探せ!!」
響き渡る怒鳴り声。びくりとして顔を上げる。ショーンを追っている奴らだ。
聞こえてくる声では何人かは分からない。戦うには分が悪すぎる。
しゃくり上げながら、冷静に回る頭の中。僕はなんて人間だ。
ショーンに目をやる。
もう、眠ってる。
ぎゅっと歯を噛んで、僕は立ち上がり、逃げだした。
深緑色の帽子を握って。
ごめん。ごめんねショーン。連れて行けないよ。
走りながら、繰り返し、繰り返し謝った。
ごめんねショーン。僕のせいだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます