8-4

 彩と待ち合わせをして、中学生の時によく遊んだイオンの中にある、コメダ珈琲に向かった。

 久々の連絡にも関わらず、彩は何ともないような様子で突然の誘いを快諾してくれた。

 彩はホットのウインナーコーヒー、私はアイスコーヒーと、二人で分けるためのシロノワールを頼んだ。

「彩、私がランドセルに付けてた猫のキーホルダー覚えてる?私に意地悪してきたきっかけのやつ」

 彩はバツの悪そうな顔をして、「覚えてる」と早口で言った。

「じゃあ、髪が長くて性格の暗かった私が『貞子』って言われてたとき、彩、そのあだ名言ってきた人たち全員に嫌がらせしてやめさせたの覚えてる?」

「パソコンの授業のときに先生に隠れてA4用紙に大きく赤い文字で『呪』って書いてプリントアウトしたやつを、言ってきた奴らの靴箱に投函したやつね」

 彩は過去のことを蒸し返してほしくなさそうに、肩をすぼめながら言った。

「あと岡井先生の傘に大量のダンゴムシ入れたの、あれ田島くんが疑われてたけど犯人あんたでしょ」

「あれ一年生のときじゃなかったっけ?」

「三年生だよ」

 彩は眉をひそめた。過去の罪を悔いているのか単に大量のダンゴムシを思い出して気味悪がっているのかの二択であれば、おそらく後者だろう。

 岡井先生は、頭の良い子をえこひいきして、気に食わないことがあればヒステリックに怒る、太った女の先生だった。

 田島くんは体育は得意だけど勉強は苦手で、彩はそんな田島くんのことが好きだった。

 いつもよりも田島くんが激しく叱られた日、彩は休み時間中にせっせと集めたダンゴムシを、下駄箱の横の傘立てに刺さった岡井先生の傘の中に放り込んだ。岡井先生の叫び声が聞こえたのは次の日だったか、更にその次の日だったか、とにかく大きかったのだけは覚えている。


 私のアイスコーヒーが最初に来て、続いて彩のウインナーコーヒーと、シロノワールが運ばれてきた。

 彩がシロノワールを、デニッシュとソフトクリームを良い塩梅で互いの取皿に分けてくれる。

「まだあの上司と付き合ってるの?」

「まあ、うん」

 シロノワールのソフトクリームが早々に溶け、デニッシュ生地のあちらこちらに白い筋を走らせた。口に運ぶと甘くて冷たくて、柔らかい食感が背徳的だ。

「誰にも応援されない。誰からも否定される。もう疲れた」

「うん」

「でもこのままじゃ幸せになれないって、頭ではわかってる」

「うん」

「何もかもが苦しいしうんざりする中で、優しい彼のことがどうしても、好きなんだよね」

 うん、と答えようとした声を飲み込む。

 いたずらっぽい顔をしたり、溌剌と笑ったり、怒ったり、が多い彩なので、くたびれた様子で苦笑する顔は珍しい。

 けれどきっと大人になって、お互いに知らない表情を私達はたくさん持っている。自分自身すら知らない表情も、きっとたくさんある。

「賭けをしよう」

 私がそう言うと、彩は目を丸くし、それから「なにを?」と聞いた。

「その人との関係が終わってしまったら、私の負けね。一万円のアイシャドウでも、チークでも、何でも好きなもの買ったげる」

「私が負けたらどうなるの?」

 その質問が、私には悲痛な叫びに聞こえた。

「彩がその人と結婚して、死ぬまで幸せになって、はじめて私の勝ち。っていうのはどう?」

 なにそれ、と言う彩の顔は険しい。美人の冷たい表情は、見慣れていても恐ろしい。腹いせに、彩の愚かなニセモノの恋人をボコボコに殴りたいと思った。

「ごめん、でもそういうことなんだよ。私は彩が悲しんでるのを見たくないし、馬鹿なことして傷付くんなら、私は止める」

 アイスコーヒーが入ったステンレスのマグは結露して、水滴が紙のコースターを濡らしている。

 彩のウインナーコーヒーも、せっかくの生クリームが珈琲に溶け切ってしまっていた。

「そんなに負けたがるなんて、あんな場末でもホステスって稼ぎ良いんだね」

 ようやく開いた口から飛び出た嫌味が妙に心地よい。

「まあね。もう辞めたけど」

 そうなんだ、と言いながら彩はようやく甘ったるい色のコーヒーに口をつけた。

 私も、アイスクリームが溶け込んだデニッシュを頬張った。

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