7

 コッコが来るので、休みをもらっていた金曜日。

 私達は朝から家で映画を見たり、くっちゃべったりして過ごしていた。

 天気は良く、肌に感じる嫌な湿り気も減っていて、梅雨は私の知らないうちに明けてしまったようだ。

「真琴ってさ、昔は医者になりたいって言ってたけど、いつ諦めたの?」

「いつだったかなあ、高校に上がる頃には諦めてたかも。医学部ってお金かかるイメージあって」

「真琴らしいね」

 そう言ったきり、コッコは何も言わなかった。

 二人で夕飯に宅配注文をしたピザを食べるけれど、一日中家でだらけきっていたためかなかなか減らない。Lサイズにしたことを後悔した。

「そういえばさ、うちのお母さん、コッコのこと覚えてなかったんだよね。ちっさい頃からずーっと一緒なのに。昔から人の名前覚えるの苦手だけど、コッコのことはさすがに覚えててほしかったよねぇ」

 そう言うとコッコはバツの悪そうな顔をして、何も言わない。いつもなら笑い飛ばすのに、オロオロと、まるで言葉を探してるみたいだ。私は、しばらく黙ってコッコが話すのを待った。

「それは、真琴が分かってるはずだよね」

 ようやく返ってきた言葉に、鼓動が早くなる。今度は私が言葉を見失って、どうしようもなく不安な気持ちになる。

「真琴、彩と喋るようになったときのこと、覚えてる?」


 可愛くてちやほやされてわがまま放題だった彩とは最初、同じクラスでも全く話したこともないような仲だった。

 けれどもある日、突然彩が私にちょっかいをかけてきた。小学二年生のときのことだ。

 鉛筆を取られて、返してもらえない。最初は何本もあるうちの一本だけだったので気にしていなかったけれど、次の日は全ての鉛筆とおまけに消しゴムも取られた。

 仕方がないので隣の席の子に鉛筆と消しゴムを借りると、それもまた取られた。

 さすがに借り物まで取られるといよいよ本当に困る。彩に返すように言うと、彼女は不服そうな顔で返してくれた。

 すると次の日は筆箱ごと取られて返してもらえない。私は学校の裏庭でコッコと落ち合って、意地悪をしてくるクラスメイトのことを相談した。


「嫌なことは嫌って言わなきゃ、ちゃんと」

「そうだったね、コッコはあのとき、そう言ってくれた」


 当時の私はコッコに言われた通り、彩にちょっかいをかけるのをやめるように毅然と言った。

 幼かった彩はすぐに謝ってきた。さらに、なぜ私にちょっかいをかけるのかを聞くと、私が当時ランドセルに付けていたキーホルダーが、彩も好きな猫のキャラクターだったので、仲良くなりたかったのだと、もじもじして頬を膨らませながら答えた。

 その姿があまりにも滑稽で、いじらしくて、よく覚えている。


 けれども私は、コッコと同じクラスになったことがない。小学校は二クラスしかなかったのに。五クラスあった中学で同じクラスにならないならまだしも、だ。

 しかもコッコが私以外の友達と話しているのを見たこともない。こんなに明るい性格の子なのに、たくさん友達がいるほうが、むしろ自然なのに。


「どういうこと? あなたは、だれ?」

 言葉が出てこなくてきちんと選び取れない。それでも私が聞きたいことは伝わったらしく、ひどいな、と彼女は笑った。

「こんなに長く一緒にいたのに、私が誰なのかわからないの?」

 そんなことは私が一番わかっている。けれど、受け入れ難い。

「さ、お風呂入って寝よう。もう遅いよ」

 時計は深夜一時過ぎを指している。

 開け放した窓からは、夏の香りの風が入ってくる。


 お風呂から上がると、親友の姿は見えなかった。

 あるのは、散らかしたアルバム類と、金色の丸い目をした黒猫のぬいぐるみポーチ。学生の頃、UFOキャッチャーで宮部が取ってくれたものだ。

 ポーチの中には、いくらかのお金と、『スーパー銭湯 たんぽぽの湯』の、一人分の深夜料金のレシートが入っていた。

 誰に見せるわけでもないのに、どんな顔をしていたら良いかわからない。

 ただひたすら、頬が塩辛い。所在なくて網戸の近くの床に寝そべると、風が草花を揺らす微かな音が聞こえる。

 空に、星が青白く輝いているのが見える。深呼吸をすると草の香りがする空気が肺を満たす。

 何も敷いていない床は固くて冷たいのに、それすら心地よくて、私はいつの間にか眠っていた。

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